東京から父の故郷の広島県に疎開したのは
昭和20年7月23日で、広島県の中央部にある山村でした。
8月6日の原爆はピカッと光って台地が大きく揺れました。
広島市に大型爆弾が落ち悲惨な悲惨な状況のニュースが入っても
日本が負けるなんて誰も想像できませんでした。
次は74年前の8月15日の終戦の日の日記です。
「十二時に重大放送があるというので、ラジオのスイッチを入れ耳を傾けて居たら
「汽車も十分間止めて厳粛な態度でお聞き下さい」と。
何事だろう、きっと陛下にご異常があったに相違ない。十二時になった。
「皆ご起立ください」君が代が奏せられ大詔(おおみことのり)が発せられた。
陛下の玉音らしい。終ってまた君が代が。
ラジオがガーガーなってよく聞き取れなかったが 後の報道でようやく分かった。
昭和20年8月15日、ついに日本はアメリカに負けたのだ。
日本の無条件降伏!なんということぞ。
大和魂で最後まで、撃って撃って撃ち抜くつもりだったのに。
日本の歴史がぐらっと大展開してしまったのだ。」