2002年FCIアジア インターナショナルドッグショー
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記憶は薄れていくけれど、写真は正確にその場面を見せてくれます。
古い写真を整理していると、ピレニーズのドッグショーの写真が何枚も出てきました
私が初めてピレニーズを飼いショーに出したのは1970年の秋でした。
母犬そして息子、娘と孫4頭計20数年ピレニーズとの生活を楽しみ,
ドッグショーにだしCHに仕上げました。
飼わなくなってもピレニーズのショーを見るに行き、楽しく勉強をさせてもらいました。
1994年のFCIアジアインターには92頭エントリーされ。それは見事なものでした。
2種の雑誌には載せてあるけれど、写真はみつからず残念です。。
1992年の登録数が5200頭と信じられない時代で
日本でのピレニーズの最盛期だったのです。。
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記憶は薄れていくけれど、写真は正確にその場面を見せてくれます。
古い写真を整理していると、ピレニーズのドッグショーの写真が何枚も出てきました
私が初めてピレニーズを飼いショーに出したのは1970年の秋でした。
母犬そして息子、娘と孫4頭計20数年ピレニーズとの生活を楽しみ,
ドッグショーにだしCHに仕上げました。
飼わなくなってもピレニーズのショーを見るに行き、楽しく勉強をさせてもらいました。
1994年のFCIアジアインターには92頭エントリーされ。それは見事なものでした。
2種の雑誌には載せてあるけれど、写真はみつからず残念です。。
1992年の登録数が5200頭と信じられない時代で
日本でのピレニーズの最盛期だったのです。。