私は渋谷で生まれ、3歳から武蔵野市の吉祥寺で育ちました。
今の水道道路と昔の成蹊道路の角に家があり、
南の近くに中央線があり、昔はその南は畑が多く玉川上水が流れていました。
この川を、玉川上水と呼ぶ人はなく急流で川の底がえぐれているため
落ちたら助からないので「人食い川」と言われていました。
井の頭公園の西の端に流れる人食い川の橋「万助橋」から
恐々と見下ろした急流の川は、当時自殺の名所といわれ、
年間10名ほどの投身自殺があったと言われます。
川の向こう側は三鷹市の下連雀で、太宰治が住んでいました。
1948 6月13日、太宰治が入水したと聞きすぐ見に行きましたが
草が茫々と生えてどこか分かりませんでした。
今は柵が作られ歩道も素敵な散歩道になっているそうです。
太宰治の当時の写真は、この辺を懐かしく思い出し感動です。
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