タキさんの押しつけ映画評・113
『トランセンデンス/オール・ユー・ニード・イズ・キル』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
さて、「トランセンデンス」であります。
クリストファー・ノーラン監修(なんで監督じゃないの?)によるSF、ジョニデ主演、モーガン・フリーマン共演。鳴り物入りで公開されたが、全米トップ10から2週で脱落、興行収益2000万$を超えた??程度、早い話がコケとります。さぁて、なんでなんでしょうねぇ。とりあえず見てみましょう。
おっと、その前に、時間の都合上仕方なく“吹き替え”を見ました。只今、自己嫌悪と共に大後悔、ずっと違和感持ったまま二時間座ってました。しかしまぁ、内容は判りました(当たり前)。本作がなんでコケたのかも、ハッキリ掴めました。
主犯は脚本です。ストーリーがあまりにも表面的かつ単純かつ一方的なんです。
最近流行りのキリスト教関連映画風に言うなら“アダムとイブの楽園追放物語”です。死にかけている夫の頭脳をコンピューターにアップロードしようとする妻の名前が“エブリン”……EVEの名前が含まれている。となると、神様は師に当たるモーガン・フリーマン、同僚であり友人でもあるポール・ベタニー(本作の語り部でもある)は、さしずめ「失楽園」著者のミルトンだろう。「フランケンシュタインの怪物」を書いたシェリー夫人でも良い。以上の比定はパンフにも書かれているが、これは簡単に想定できる、ちゅか、それしかない。
設定があまりにも安易かつご都合主義です。いつものように、ストーリーを開いていく角度に例えると、映画が始まって30度、90度と開いて行くが、丁度180度になった所で物語は終わる。
えっ? この先は無いの?……思いっきり欲求不満だけが残る。量子コンピューター“ピン”に向かって「お前に自我は在るのか?」と質問し、ピンシステムが応える「難しい質問です……あなたは自分の自我を証明出来ますか?」この質疑は二度繰り返され、二回目はアップロードされたジョニデに向けられる。
ジョニデの答えは「ピン」とまるっきり同じ。ここは重要ポイント!
まぁ、この点はちょいと置いといて、本作の中で“人間の自我”とは一体何であるのか……一切考察されないし、当然“答”も明示されない。この点をすっ飛ばしていきなりアップロードされたジョニデは元のジョニデではないと短絡されてしまう。単に“人類以上”の存在に対する“恐怖・嫌悪”だけしか映画から読み取れない。
ジョニデを愛するが故に、彼の頭脳をアップロードする妻にしても、ロード半ばでジョニデは死ぬのに、何の検証も無く作業を進める。ここでの拙速が、後の疑惑に繋がるのだから仕方ないとも言えるが……エデンにおいて人間が知恵の実を口にしてしまうのは、悪魔の誘惑でもあるが、その責任の大半はイブにあるとするのが一般的。本作は、そこから一歩も踏み出していない。
人間が自我を持つに至った事が果たして“罪”なのか否か……この答が無いのが本作の致命傷です。
アップロードされたジョニデは次々に新技術を繰り出す。最大の物はナノボット(ナノテクノロジー+ロボット=細菌サイズのロボット)、研究室で作られるのみならず、おそらく地中の硅素を原料として無数に発生し、天候すら左右する。ここまで来てしまえば、アップロードされたジョニデが人類の敵であろうが味方であろうが打つ手はない。銅が電磁波を遮るってんで、対ジョニデのバリヤー代わりに使われるが、そんなものナノボットに侵食させたら一発終わり。新しい量子コンピューターを止める為、地上のソーラーシステムを破壊しようとするが、小口径の大砲一門と迫撃砲が一つだけ? ミサイル(核)は無理としても“マザー・オブ・ボム”の一発で方が付く。軍隊(政府)を即座に動かせない言い訳はされているが、それにしても貧弱過ぎる。
再生されたジョニデと、自らウィルスを体内に仕込んだ妻が触れ合っただけで、コンピューターもダウンするのも“????”妻の心を斟酌しての心中だと考えるしかないし、それが正解ではあるが、それにしても「え~~?」である。そうだとするとアップロードされたジョニデには、ちゃんと理性もあったんだという結論になる。ピンの答えとジョニデの答えが一緒だから「自我が無い」と判断されるが、ピンに自我が在るのか無いのかの考察が抜けているから、この結論にはブーイングです。何より、この脚本で良しとしたクリストファー・ノーランとウォーリー・フィスター監督(「インセプション」の撮影監督)の真意が解らない。これじゃ、まるで「環境派」のプロパガンダから一歩も出ない。セリフの中にもインターネット等デジタル技術に疑問を投げかける物が多数織り込まれている。この二人のコンビで、こんな平板な作品が出来上がるなんぞ、信じられない。ジョニデにしても「パブリック・エネミーズ」「ローン・レンジャー」に引き続いての三連続コケ作品です。次回作は低予算コメディーらしい。
本作が世界興行においても失敗に終わるとしても、それはジョニデ以下 出演者には何の責任も無いと考える。ひとえに、物語に力が無かったからです。
オール・ユー・ニード・イズ・キル
こらぁ面白いです。久々にトム君、ミッション・インポシブル以外にヒット作品誕生です。
SF原作はやっぱり日本人の独擅場ですねぇ。
異星人の侵略を受けている地球、広報担当士官のトム君、無理やり絶望的な戦場に放り込まれ、殆ど瞬殺で死亡する。しかし、ある条件を満たした為、彼は時間をループして、その1日を無限に繰り返す事となる。 いわゆる“無限地獄SF”で、結構多数の作品があります。もう新機軸は無いと思いますが、本作はプロットの積み上げ、サスペンスの盛り上げが巧い(原作未読) 但し、本作鑑賞についても注意点ありです。まず、タイムパラドクス(悲観的な現在を改変するため過去に戻っても、そこから別な時間軸が発生するだけである)と、トム君が この能力を得るに至った事情には目を瞑って下さい。もう一つもタイムパラドクス絡みですが、タイムループの能力は元々 異星人の持つ能力で、トム君が勝った所で、今度は異星人がループする。
かくして、無限地獄は永遠に続いて行く……はぁい!こんな小理屈は引っ込めて下さいませ。本作は全米公開3週目、初登場一位とは行かなかったが好調に推移、今週6位で7400万$の稼ぎ。1億$は苦しいと思いますがスマッシュヒット成績(製作費が判らんとなんとも言えませんが)は上がってます。日本人はトム君大好きですから、相対的には大ヒットになるかも、今日も結構入ってました。
あっと、昨日今日は先行ロードですから、月曜日に行ってもやっていません。次は7月4日からですのでご注意下さい。本作、アクションがなんと言っても圧巻、あの重そうな(実際アホほど重いらしい)パワードスーツを身にまとい、重いばかりか身動きしにくそうで、みんながに股歩きで走り回っています。男共はまぁよろしい、エミリー・ブラント(プラダを着た悪魔)が、あのか細い身体で大奮闘……涙なくして見られまへんでっせ。撮影中 生傷が絶えなかったそうで、「ああ、ここで怪我したな」と思えるシーンが多々ございました。
映像は、あり得ないSF設定の作品ながら隅々までリアルに仕上がっており、監督ダグ・ライマン(ボーン・アイデンティティ)の手腕もさることながら、主役の二人以下 全キャストの本気の賜物です。戦場に放り込まれる・戦う・死ぬ・目覚める……そして、また戦場へ。繰り返しのシーンの連続ながらスリリングに展開して行き、死ぬごとにスキルアップしていくトム君に自分を重ねる。カタルシスたっぷり、これは見るしかありません!
もう一つ、今日の映画とは全く関係おまへんが、先日、うちの店のチーフにあるバイク雑誌を見せてもらいました。 ”マッド・マックス”の第一作に橋の上でマックスの車と暴走族が交錯するシーンがあります。スローモーション映像の中、転げ落ち滑って行く暴走族役スタントマンの頭に、これも倒れ滑って来たオートバイがまともに激突、彼の首は有り得ない角度に曲がってしまいます。当時、このスタントマンは死んでいると噂され、「地獄の黙示録」で、カーツ帝国の河原に並んだ死体の中に、本物があるってのと(これは嘘だと すぐ証明された)同じく、侃々諤々の言い争いになっとりました。まぁ、映画に本当に人間が死ぬシーンなど入る訳はないのですが、これだけは“本物だ!”って事になっとりました……そこで件の雑誌であります。記事には、その当のスタントマンが写真入りで登場、「ありゃあ俺だよ。これこのとおり生きてるぜ」と……実に35年ぶりにモヤモヤが晴れた一瞬でありました。
『トランセンデンス/オール・ユー・ニード・イズ・キル』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
さて、「トランセンデンス」であります。
クリストファー・ノーラン監修(なんで監督じゃないの?)によるSF、ジョニデ主演、モーガン・フリーマン共演。鳴り物入りで公開されたが、全米トップ10から2週で脱落、興行収益2000万$を超えた??程度、早い話がコケとります。さぁて、なんでなんでしょうねぇ。とりあえず見てみましょう。
おっと、その前に、時間の都合上仕方なく“吹き替え”を見ました。只今、自己嫌悪と共に大後悔、ずっと違和感持ったまま二時間座ってました。しかしまぁ、内容は判りました(当たり前)。本作がなんでコケたのかも、ハッキリ掴めました。
主犯は脚本です。ストーリーがあまりにも表面的かつ単純かつ一方的なんです。
最近流行りのキリスト教関連映画風に言うなら“アダムとイブの楽園追放物語”です。死にかけている夫の頭脳をコンピューターにアップロードしようとする妻の名前が“エブリン”……EVEの名前が含まれている。となると、神様は師に当たるモーガン・フリーマン、同僚であり友人でもあるポール・ベタニー(本作の語り部でもある)は、さしずめ「失楽園」著者のミルトンだろう。「フランケンシュタインの怪物」を書いたシェリー夫人でも良い。以上の比定はパンフにも書かれているが、これは簡単に想定できる、ちゅか、それしかない。
設定があまりにも安易かつご都合主義です。いつものように、ストーリーを開いていく角度に例えると、映画が始まって30度、90度と開いて行くが、丁度180度になった所で物語は終わる。
えっ? この先は無いの?……思いっきり欲求不満だけが残る。量子コンピューター“ピン”に向かって「お前に自我は在るのか?」と質問し、ピンシステムが応える「難しい質問です……あなたは自分の自我を証明出来ますか?」この質疑は二度繰り返され、二回目はアップロードされたジョニデに向けられる。
ジョニデの答えは「ピン」とまるっきり同じ。ここは重要ポイント!
まぁ、この点はちょいと置いといて、本作の中で“人間の自我”とは一体何であるのか……一切考察されないし、当然“答”も明示されない。この点をすっ飛ばしていきなりアップロードされたジョニデは元のジョニデではないと短絡されてしまう。単に“人類以上”の存在に対する“恐怖・嫌悪”だけしか映画から読み取れない。
ジョニデを愛するが故に、彼の頭脳をアップロードする妻にしても、ロード半ばでジョニデは死ぬのに、何の検証も無く作業を進める。ここでの拙速が、後の疑惑に繋がるのだから仕方ないとも言えるが……エデンにおいて人間が知恵の実を口にしてしまうのは、悪魔の誘惑でもあるが、その責任の大半はイブにあるとするのが一般的。本作は、そこから一歩も踏み出していない。
人間が自我を持つに至った事が果たして“罪”なのか否か……この答が無いのが本作の致命傷です。
アップロードされたジョニデは次々に新技術を繰り出す。最大の物はナノボット(ナノテクノロジー+ロボット=細菌サイズのロボット)、研究室で作られるのみならず、おそらく地中の硅素を原料として無数に発生し、天候すら左右する。ここまで来てしまえば、アップロードされたジョニデが人類の敵であろうが味方であろうが打つ手はない。銅が電磁波を遮るってんで、対ジョニデのバリヤー代わりに使われるが、そんなものナノボットに侵食させたら一発終わり。新しい量子コンピューターを止める為、地上のソーラーシステムを破壊しようとするが、小口径の大砲一門と迫撃砲が一つだけ? ミサイル(核)は無理としても“マザー・オブ・ボム”の一発で方が付く。軍隊(政府)を即座に動かせない言い訳はされているが、それにしても貧弱過ぎる。
再生されたジョニデと、自らウィルスを体内に仕込んだ妻が触れ合っただけで、コンピューターもダウンするのも“????”妻の心を斟酌しての心中だと考えるしかないし、それが正解ではあるが、それにしても「え~~?」である。そうだとするとアップロードされたジョニデには、ちゃんと理性もあったんだという結論になる。ピンの答えとジョニデの答えが一緒だから「自我が無い」と判断されるが、ピンに自我が在るのか無いのかの考察が抜けているから、この結論にはブーイングです。何より、この脚本で良しとしたクリストファー・ノーランとウォーリー・フィスター監督(「インセプション」の撮影監督)の真意が解らない。これじゃ、まるで「環境派」のプロパガンダから一歩も出ない。セリフの中にもインターネット等デジタル技術に疑問を投げかける物が多数織り込まれている。この二人のコンビで、こんな平板な作品が出来上がるなんぞ、信じられない。ジョニデにしても「パブリック・エネミーズ」「ローン・レンジャー」に引き続いての三連続コケ作品です。次回作は低予算コメディーらしい。
本作が世界興行においても失敗に終わるとしても、それはジョニデ以下 出演者には何の責任も無いと考える。ひとえに、物語に力が無かったからです。
オール・ユー・ニード・イズ・キル
こらぁ面白いです。久々にトム君、ミッション・インポシブル以外にヒット作品誕生です。
SF原作はやっぱり日本人の独擅場ですねぇ。
異星人の侵略を受けている地球、広報担当士官のトム君、無理やり絶望的な戦場に放り込まれ、殆ど瞬殺で死亡する。しかし、ある条件を満たした為、彼は時間をループして、その1日を無限に繰り返す事となる。 いわゆる“無限地獄SF”で、結構多数の作品があります。もう新機軸は無いと思いますが、本作はプロットの積み上げ、サスペンスの盛り上げが巧い(原作未読) 但し、本作鑑賞についても注意点ありです。まず、タイムパラドクス(悲観的な現在を改変するため過去に戻っても、そこから別な時間軸が発生するだけである)と、トム君が この能力を得るに至った事情には目を瞑って下さい。もう一つもタイムパラドクス絡みですが、タイムループの能力は元々 異星人の持つ能力で、トム君が勝った所で、今度は異星人がループする。
かくして、無限地獄は永遠に続いて行く……はぁい!こんな小理屈は引っ込めて下さいませ。本作は全米公開3週目、初登場一位とは行かなかったが好調に推移、今週6位で7400万$の稼ぎ。1億$は苦しいと思いますがスマッシュヒット成績(製作費が判らんとなんとも言えませんが)は上がってます。日本人はトム君大好きですから、相対的には大ヒットになるかも、今日も結構入ってました。
あっと、昨日今日は先行ロードですから、月曜日に行ってもやっていません。次は7月4日からですのでご注意下さい。本作、アクションがなんと言っても圧巻、あの重そうな(実際アホほど重いらしい)パワードスーツを身にまとい、重いばかりか身動きしにくそうで、みんながに股歩きで走り回っています。男共はまぁよろしい、エミリー・ブラント(プラダを着た悪魔)が、あのか細い身体で大奮闘……涙なくして見られまへんでっせ。撮影中 生傷が絶えなかったそうで、「ああ、ここで怪我したな」と思えるシーンが多々ございました。
映像は、あり得ないSF設定の作品ながら隅々までリアルに仕上がっており、監督ダグ・ライマン(ボーン・アイデンティティ)の手腕もさることながら、主役の二人以下 全キャストの本気の賜物です。戦場に放り込まれる・戦う・死ぬ・目覚める……そして、また戦場へ。繰り返しのシーンの連続ながらスリリングに展開して行き、死ぬごとにスキルアップしていくトム君に自分を重ねる。カタルシスたっぷり、これは見るしかありません!
もう一つ、今日の映画とは全く関係おまへんが、先日、うちの店のチーフにあるバイク雑誌を見せてもらいました。 ”マッド・マックス”の第一作に橋の上でマックスの車と暴走族が交錯するシーンがあります。スローモーション映像の中、転げ落ち滑って行く暴走族役スタントマンの頭に、これも倒れ滑って来たオートバイがまともに激突、彼の首は有り得ない角度に曲がってしまいます。当時、このスタントマンは死んでいると噂され、「地獄の黙示録」で、カーツ帝国の河原に並んだ死体の中に、本物があるってのと(これは嘘だと すぐ証明された)同じく、侃々諤々の言い争いになっとりました。まぁ、映画に本当に人間が死ぬシーンなど入る訳はないのですが、これだけは“本物だ!”って事になっとりました……そこで件の雑誌であります。記事には、その当のスタントマンが写真入りで登場、「ありゃあ俺だよ。これこのとおり生きてるぜ」と……実に35年ぶりにモヤモヤが晴れた一瞬でありました。