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〔エピソード・赤鼻のトナカイ・2〕
赤鼻のトナカイの家は留守だった。
「ああ、選挙まで一週間もないものな……」
サンタは、携帯で呼び出すのも無粋に思い、近くの喫茶店で時間を潰した。
「この店、まだやっていたんだね」
出てきた赤天狗のマスターに、つい言ってしまった。
「こんな店が、世界に一軒ぐらいあってもいいと思いましてね」
マスターは嫌な顔一つしないで、コーヒーを入れてくれた。どこか悟るところがあるのだろう、昔ほど鼻は高くない。
「今でも、みんなで歌ってるのかい?」
「ハハ、これでも歌声喫茶ですからね。世の中、まだインター歌いたい奴もいるんですよ」
「え、昔でもインターまでやる歌声喫茶は少なかったよ」
「今は、コアなお客さんしか来ませんからね」
「嫌味じゃなく、重要無形文化財だな……」
そこまで言うと、マスターもサンタも黙ってしまった。別にどちらかが気を悪くしたためではない、サンタの詠嘆に、この世代にのみ通じる思いが醸し出され、二人の老人は、それに浸っているのである。
入り口のカウベルを元気に鳴らして女の子が入ってきた。名前を聞かなくても姿で分かった。
「おう、赤ずきんちゃんじゃないかい!? お祖母ちゃんは、まだ元気なのかい?」
「はい、オオカミサンにデイサービスの送り迎えなんかしてもらって、元気にやってます」
「あそこも孫の代かね?」
「ううん、オオカミサンは、今年61のオジサン」
「え、オオカミには子供がいなかったっけ?」
「うん、オレの代で店じまいだって……いまどきオオカミの時代でもないって、若いころにパイプカットしたって、こないだ初めて聞いてショックだった」
「赤ずきんちゃんは、お客でくるのかい?」
「ううん、アルバイト」
「ハハ、ウソですよ。バイト置けるほど繁盛はしてませんからね。ボランティアで手伝ってくれてるんです」
「あたし、渡り廊下走り隊の『希望山脈』のプロモ見て感動したんです。歌声喫茶なんて、あたしらの感性じゃ絶対思いつかないもの。今時喫茶店と言えば、漫画か、ネットか。普通の喫茶店でも、スマホかタブレットばっか見てて会話がないでしょ。それが赤天狗のお店じゃ、お話しもするし、みんなで歌まで歌っちゃうんだもん。これはイケてるわ!」
「渡り廊下走り隊」ってのはなんだね?」
「あら、ご存じないんですか、AKBのユニットですよ」
「ああ、そうなんだ」
サンタは分からないまま、相槌をうった。
「赤ずきんちゃんは、伴奏にピアノもバラライカもやってくれるんですよ」
サンタは、赤ずきんが歌声喫茶を単なるファッションとしてとらえていることに一抹の寂しさを感じないでもなかった。おかしなものである。若いころは歌声喫茶に行くやつなんかバカにしていたが、赤ずきんのような若い子が、なんの屈託もなく入っているのに、嫉妬に似たような感情をもった。
夕方になると、三々五々、お客が集まり始めた。みんな白髪が目立つジイサン、バアサンだったが、中には赤ずきんと変わらない年頃の子もいた。コーヒーなどのドリンクはセルフサービスで180円である。これではバイトなど雇えるはずはない。
「喜びの唄」「白い恋人たち」「山のロザリア」「カチューシャ」「仕事の唄」と、往年の名曲をみんなで歌った。
そして、赤ずきんが、明るく「インターナショナル」を唄っているときに、赤鼻のトナカイが入ってきた。
夜風にあたって赤い鼻をいっそう赤くし、一杯のコーヒーを両の手で暖ともいえぬ温もりを愛おしんでいた。よく見ると、今まで選挙ビラを撒いていたのであろう。手はカサカサになり、半分ほどの指には絆創膏が巻かれていた。
――歌い終わるまで待ってやろう――
サンタは、歌声の温もりの中に、身を隠すようにして看板になるのを待った。
〔エピソード・赤鼻のトナカイ・2〕
赤鼻のトナカイの家は留守だった。
「ああ、選挙まで一週間もないものな……」
サンタは、携帯で呼び出すのも無粋に思い、近くの喫茶店で時間を潰した。
「この店、まだやっていたんだね」
出てきた赤天狗のマスターに、つい言ってしまった。
「こんな店が、世界に一軒ぐらいあってもいいと思いましてね」
マスターは嫌な顔一つしないで、コーヒーを入れてくれた。どこか悟るところがあるのだろう、昔ほど鼻は高くない。
「今でも、みんなで歌ってるのかい?」
「ハハ、これでも歌声喫茶ですからね。世の中、まだインター歌いたい奴もいるんですよ」
「え、昔でもインターまでやる歌声喫茶は少なかったよ」
「今は、コアなお客さんしか来ませんからね」
「嫌味じゃなく、重要無形文化財だな……」
そこまで言うと、マスターもサンタも黙ってしまった。別にどちらかが気を悪くしたためではない、サンタの詠嘆に、この世代にのみ通じる思いが醸し出され、二人の老人は、それに浸っているのである。
入り口のカウベルを元気に鳴らして女の子が入ってきた。名前を聞かなくても姿で分かった。
「おう、赤ずきんちゃんじゃないかい!? お祖母ちゃんは、まだ元気なのかい?」
「はい、オオカミサンにデイサービスの送り迎えなんかしてもらって、元気にやってます」
「あそこも孫の代かね?」
「ううん、オオカミサンは、今年61のオジサン」
「え、オオカミには子供がいなかったっけ?」
「うん、オレの代で店じまいだって……いまどきオオカミの時代でもないって、若いころにパイプカットしたって、こないだ初めて聞いてショックだった」
「赤ずきんちゃんは、お客でくるのかい?」
「ううん、アルバイト」
「ハハ、ウソですよ。バイト置けるほど繁盛はしてませんからね。ボランティアで手伝ってくれてるんです」
「あたし、渡り廊下走り隊の『希望山脈』のプロモ見て感動したんです。歌声喫茶なんて、あたしらの感性じゃ絶対思いつかないもの。今時喫茶店と言えば、漫画か、ネットか。普通の喫茶店でも、スマホかタブレットばっか見てて会話がないでしょ。それが赤天狗のお店じゃ、お話しもするし、みんなで歌まで歌っちゃうんだもん。これはイケてるわ!」
「渡り廊下走り隊」ってのはなんだね?」
「あら、ご存じないんですか、AKBのユニットですよ」
「ああ、そうなんだ」
サンタは分からないまま、相槌をうった。
「赤ずきんちゃんは、伴奏にピアノもバラライカもやってくれるんですよ」
サンタは、赤ずきんが歌声喫茶を単なるファッションとしてとらえていることに一抹の寂しさを感じないでもなかった。おかしなものである。若いころは歌声喫茶に行くやつなんかバカにしていたが、赤ずきんのような若い子が、なんの屈託もなく入っているのに、嫉妬に似たような感情をもった。
夕方になると、三々五々、お客が集まり始めた。みんな白髪が目立つジイサン、バアサンだったが、中には赤ずきんと変わらない年頃の子もいた。コーヒーなどのドリンクはセルフサービスで180円である。これではバイトなど雇えるはずはない。
「喜びの唄」「白い恋人たち」「山のロザリア」「カチューシャ」「仕事の唄」と、往年の名曲をみんなで歌った。
そして、赤ずきんが、明るく「インターナショナル」を唄っているときに、赤鼻のトナカイが入ってきた。
夜風にあたって赤い鼻をいっそう赤くし、一杯のコーヒーを両の手で暖ともいえぬ温もりを愛おしんでいた。よく見ると、今まで選挙ビラを撒いていたのであろう。手はカサカサになり、半分ほどの指には絆創膏が巻かれていた。
――歌い終わるまで待ってやろう――
サンタは、歌声の温もりの中に、身を隠すようにして看板になるのを待った。