ライトノベルベスト
〔ライトノベル奇譚〕
「またライトノベル……」
帰ってくるなり、ピーコートもろとも上着を脱ぎながら、真子ネエが言った。ま、いつものことだけど。
「大橋むつお……この人、劇作家でしょ?」
「ラノベも書いてんの。エンタメで文学性もあるし……」
と、口ごたえして、あたしは、もう後悔し始めた。真子ネエの目が本気モードになってきたから。
「文学書の百冊も読んでから言いなさいよ。せめてね、筒井康隆とか小松左京とかなら文学へのとば口になんだけどね『はるか ワケあり転校生の7カ月』……うちにも配本されてきたけど、バックヤードオキッパで返本しちゃったよ」
「中身も読まないで?」
「日に何十冊も来る新刊本なんか読んでらんないわよ。新聞とかの書評見て並べんの。良い本なら、一定の書評とかネットへの投稿とかあるもんよ。だいたい小説のくせして挿絵多すぎ。これでも読みな」
真子ネエが机にドンと置いたのは『サラバ!』の上巻。直木賞とって本屋大賞にもノミネートされてる。あたしにも、それくらいの知識はある。だってラノベって本屋に行かなきゃ買えないもん、自然と目につく。
真子ネエは、そのままスカートも落とした格好でお風呂に行った。ま、こうすりゃ着替えのパジャマだけ持ってればいいわけで、時間的にも空間的にも節約にはなるんだろうけど、女同士とは言え、もう少しデリカシーないと、一生独身だ。
と、聞こえないように毒づく。
「ねえ、音楽は音が楽しいって書くのに、文学はなんで文を学ぶって堅苦しくかくのさ」
風呂上がりの真子ネエに一矢報いようと、無い知恵を絞って絡んでみる。
「萌恵、ほんとバカだね。文に楽しいなんて書いたら『文楽(ぶんらく)』と区別つかなくなるじゃん」
「文楽なんて、歳よりくさいもの関係ないわよ」
「決まってるもの変えられるわけないじゃん」
「でもさ、芸者って、今と昔じゃ意味が違うんだよ。知ってた?」
「芸者は、昔からのプロコンパニオンのことでしょうが」
「昔はね、武芸者のことを言ったんだよ。だから宮本武蔵なんかは、剣豪じゃなくて、名芸者って呼ぶべきなのよ」
「そんなの初めて聞いた。どうせライトノベルのデタラメでしょ」
「そんなこと……」
続きを言おうとしたら、さっさとベッドに潜って、あろうことかオナラで返事。
朝は萌恵が「オナラで返事するな!」と朝食の席で言う。たとえ親の前でも言っていいことと悪いことも区別できない。ラノベ漬け女子高生の不届きな感性にへきえき。
今日は後期試験の合間なので、シフトをフルにしてもらって、朝からJ書店の女性スタッフ。書架から取次に返本する本の抜き取り。そのあとを本職の売り場主任が、昨日の売り上げやら情報で、本の並び替えをやっていく。大橋むつおの本も、一度は最上段に並んだけど、まあ、取次への義理。一週間でバックヤード。萌恵に言ったことと大差ない扱いだった。
交代で遅い昼食。バイト代が安いので休憩室でコンビニ弁当。休憩室にはレンジもあるので、ホカホカにして食べられる。
食べながら、夕べ萌恵が言ったことが頭をよぎる。スマホで「芸者」を引く。以外にも萌恵の説明が正しいことが分かる。MMM……対抗策として、近代日本語で反論と決める。今の日本語のほとんどは、明治になってからの造語だ。明治時代には「芸者」は、すでに今の意味で使われている。よし、これでラノベ少女を言い負かせる。
そう思った時。火災報知器が鳴った。
「え、うそ、どこ?」
「やだ、こんなの初めて!」
などと言っているうちに電気が消えて非常灯になる。
「早くお客様を誘導しなくちゃ!」
「早く逃げよう」を、そう意訳した本職のあとについてバックヤードから売り場へ。火元はこの店か、その近く、非常灯もかすむほどの暗闇に煙が充満。ハンカチを口と鼻に当ててしゃがみこむ。
書架が幾重にも重なって、いつもなら目をつぶっても歩けそうな売り場が、まるでラビリンス。
やがて、彼方の方で火が見える。本屋は薪の山のようなもの、延焼してきたら目も当てられない。
「スプリンクラーが作動しないよ」
本職のオネエサンが泣き声で言う。バイトのあたしたちはパニック寸前。
すると、近くの書架が光りだした!
あんなところに非常灯!?
痛む眼で、その光を見つめる。視力はいいほうだ。光っているものの正体はすぐに分かった。ライトノベルのコーナーのラノベたちが光っているのだ。
その中で、一番強い光を放っているのが大橋むつおの『はるか ワケあり転校生の7カ月』と分かった。
「みんな、あっちの方!」
ラノベコーナーは西出口に近い。あたしたちは、なんとか助かった。
救急隊員に助けられながら気が付いたライトノベルのLIGHTも、明かりのLIGHTも同じスペル。
あたしはラノベの神さまに感謝した。
〔ライトノベル奇譚〕
「またライトノベル……」
帰ってくるなり、ピーコートもろとも上着を脱ぎながら、真子ネエが言った。ま、いつものことだけど。
「大橋むつお……この人、劇作家でしょ?」
「ラノベも書いてんの。エンタメで文学性もあるし……」
と、口ごたえして、あたしは、もう後悔し始めた。真子ネエの目が本気モードになってきたから。
「文学書の百冊も読んでから言いなさいよ。せめてね、筒井康隆とか小松左京とかなら文学へのとば口になんだけどね『はるか ワケあり転校生の7カ月』……うちにも配本されてきたけど、バックヤードオキッパで返本しちゃったよ」
「中身も読まないで?」
「日に何十冊も来る新刊本なんか読んでらんないわよ。新聞とかの書評見て並べんの。良い本なら、一定の書評とかネットへの投稿とかあるもんよ。だいたい小説のくせして挿絵多すぎ。これでも読みな」
真子ネエが机にドンと置いたのは『サラバ!』の上巻。直木賞とって本屋大賞にもノミネートされてる。あたしにも、それくらいの知識はある。だってラノベって本屋に行かなきゃ買えないもん、自然と目につく。
真子ネエは、そのままスカートも落とした格好でお風呂に行った。ま、こうすりゃ着替えのパジャマだけ持ってればいいわけで、時間的にも空間的にも節約にはなるんだろうけど、女同士とは言え、もう少しデリカシーないと、一生独身だ。
と、聞こえないように毒づく。
「ねえ、音楽は音が楽しいって書くのに、文学はなんで文を学ぶって堅苦しくかくのさ」
風呂上がりの真子ネエに一矢報いようと、無い知恵を絞って絡んでみる。
「萌恵、ほんとバカだね。文に楽しいなんて書いたら『文楽(ぶんらく)』と区別つかなくなるじゃん」
「文楽なんて、歳よりくさいもの関係ないわよ」
「決まってるもの変えられるわけないじゃん」
「でもさ、芸者って、今と昔じゃ意味が違うんだよ。知ってた?」
「芸者は、昔からのプロコンパニオンのことでしょうが」
「昔はね、武芸者のことを言ったんだよ。だから宮本武蔵なんかは、剣豪じゃなくて、名芸者って呼ぶべきなのよ」
「そんなの初めて聞いた。どうせライトノベルのデタラメでしょ」
「そんなこと……」
続きを言おうとしたら、さっさとベッドに潜って、あろうことかオナラで返事。
朝は萌恵が「オナラで返事するな!」と朝食の席で言う。たとえ親の前でも言っていいことと悪いことも区別できない。ラノベ漬け女子高生の不届きな感性にへきえき。
今日は後期試験の合間なので、シフトをフルにしてもらって、朝からJ書店の女性スタッフ。書架から取次に返本する本の抜き取り。そのあとを本職の売り場主任が、昨日の売り上げやら情報で、本の並び替えをやっていく。大橋むつおの本も、一度は最上段に並んだけど、まあ、取次への義理。一週間でバックヤード。萌恵に言ったことと大差ない扱いだった。
交代で遅い昼食。バイト代が安いので休憩室でコンビニ弁当。休憩室にはレンジもあるので、ホカホカにして食べられる。
食べながら、夕べ萌恵が言ったことが頭をよぎる。スマホで「芸者」を引く。以外にも萌恵の説明が正しいことが分かる。MMM……対抗策として、近代日本語で反論と決める。今の日本語のほとんどは、明治になってからの造語だ。明治時代には「芸者」は、すでに今の意味で使われている。よし、これでラノベ少女を言い負かせる。
そう思った時。火災報知器が鳴った。
「え、うそ、どこ?」
「やだ、こんなの初めて!」
などと言っているうちに電気が消えて非常灯になる。
「早くお客様を誘導しなくちゃ!」
「早く逃げよう」を、そう意訳した本職のあとについてバックヤードから売り場へ。火元はこの店か、その近く、非常灯もかすむほどの暗闇に煙が充満。ハンカチを口と鼻に当ててしゃがみこむ。
書架が幾重にも重なって、いつもなら目をつぶっても歩けそうな売り場が、まるでラビリンス。
やがて、彼方の方で火が見える。本屋は薪の山のようなもの、延焼してきたら目も当てられない。
「スプリンクラーが作動しないよ」
本職のオネエサンが泣き声で言う。バイトのあたしたちはパニック寸前。
すると、近くの書架が光りだした!
あんなところに非常灯!?
痛む眼で、その光を見つめる。視力はいいほうだ。光っているものの正体はすぐに分かった。ライトノベルのコーナーのラノベたちが光っているのだ。
その中で、一番強い光を放っているのが大橋むつおの『はるか ワケあり転校生の7カ月』と分かった。
「みんな、あっちの方!」
ラノベコーナーは西出口に近い。あたしたちは、なんとか助かった。
救急隊員に助けられながら気が付いたライトノベルのLIGHTも、明かりのLIGHTも同じスペル。
あたしはラノベの神さまに感謝した。