大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・ライトノベルベスト・〔ライトノベル奇譚〕

2016-12-26 07:44:41 | ライトノベルベスト
ライトノベルベスト
〔ライトノベル奇譚〕



「またライトノベル……」

 帰ってくるなり、ピーコートもろとも上着を脱ぎながら、真子ネエが言った。ま、いつものことだけど。
「大橋むつお……この人、劇作家でしょ?」
「ラノベも書いてんの。エンタメで文学性もあるし……」
 と、口ごたえして、あたしは、もう後悔し始めた。真子ネエの目が本気モードになってきたから。
「文学書の百冊も読んでから言いなさいよ。せめてね、筒井康隆とか小松左京とかなら文学へのとば口になんだけどね『はるか ワケあり転校生の7カ月』……うちにも配本されてきたけど、バックヤードオキッパで返本しちゃったよ」
「中身も読まないで?」
「日に何十冊も来る新刊本なんか読んでらんないわよ。新聞とかの書評見て並べんの。良い本なら、一定の書評とかネットへの投稿とかあるもんよ。だいたい小説のくせして挿絵多すぎ。これでも読みな」
 真子ネエが机にドンと置いたのは『サラバ!』の上巻。直木賞とって本屋大賞にもノミネートされてる。あたしにも、それくらいの知識はある。だってラノベって本屋に行かなきゃ買えないもん、自然と目につく。
 真子ネエは、そのままスカートも落とした格好でお風呂に行った。ま、こうすりゃ着替えのパジャマだけ持ってればいいわけで、時間的にも空間的にも節約にはなるんだろうけど、女同士とは言え、もう少しデリカシーないと、一生独身だ。
 と、聞こえないように毒づく。

「ねえ、音楽は音が楽しいって書くのに、文学はなんで文を学ぶって堅苦しくかくのさ」

 風呂上がりの真子ネエに一矢報いようと、無い知恵を絞って絡んでみる。
「萌恵、ほんとバカだね。文に楽しいなんて書いたら『文楽(ぶんらく)』と区別つかなくなるじゃん」
「文楽なんて、歳よりくさいもの関係ないわよ」
「決まってるもの変えられるわけないじゃん」
「でもさ、芸者って、今と昔じゃ意味が違うんだよ。知ってた?」
「芸者は、昔からのプロコンパニオンのことでしょうが」
「昔はね、武芸者のことを言ったんだよ。だから宮本武蔵なんかは、剣豪じゃなくて、名芸者って呼ぶべきなのよ」
「そんなの初めて聞いた。どうせライトノベルのデタラメでしょ」
「そんなこと……」
 続きを言おうとしたら、さっさとベッドに潜って、あろうことかオナラで返事。

 朝は萌恵が「オナラで返事するな!」と朝食の席で言う。たとえ親の前でも言っていいことと悪いことも区別できない。ラノベ漬け女子高生の不届きな感性にへきえき。
 今日は後期試験の合間なので、シフトをフルにしてもらって、朝からJ書店の女性スタッフ。書架から取次に返本する本の抜き取り。そのあとを本職の売り場主任が、昨日の売り上げやら情報で、本の並び替えをやっていく。大橋むつおの本も、一度は最上段に並んだけど、まあ、取次への義理。一週間でバックヤード。萌恵に言ったことと大差ない扱いだった。

 交代で遅い昼食。バイト代が安いので休憩室でコンビニ弁当。休憩室にはレンジもあるので、ホカホカにして食べられる。
 食べながら、夕べ萌恵が言ったことが頭をよぎる。スマホで「芸者」を引く。以外にも萌恵の説明が正しいことが分かる。MMM……対抗策として、近代日本語で反論と決める。今の日本語のほとんどは、明治になってからの造語だ。明治時代には「芸者」は、すでに今の意味で使われている。よし、これでラノベ少女を言い負かせる。

 そう思った時。火災報知器が鳴った。

「え、うそ、どこ?」
「やだ、こんなの初めて!」
 などと言っているうちに電気が消えて非常灯になる。
「早くお客様を誘導しなくちゃ!」
「早く逃げよう」を、そう意訳した本職のあとについてバックヤードから売り場へ。火元はこの店か、その近く、非常灯もかすむほどの暗闇に煙が充満。ハンカチを口と鼻に当ててしゃがみこむ。
 書架が幾重にも重なって、いつもなら目をつぶっても歩けそうな売り場が、まるでラビリンス。
 やがて、彼方の方で火が見える。本屋は薪の山のようなもの、延焼してきたら目も当てられない。
「スプリンクラーが作動しないよ」
 本職のオネエサンが泣き声で言う。バイトのあたしたちはパニック寸前。

 すると、近くの書架が光りだした!

 あんなところに非常灯!?
 痛む眼で、その光を見つめる。視力はいいほうだ。光っているものの正体はすぐに分かった。ライトノベルのコーナーのラノベたちが光っているのだ。
 その中で、一番強い光を放っているのが大橋むつおの『はるか ワケあり転校生の7カ月』と分かった。
「みんな、あっちの方!」
 ラノベコーナーは西出口に近い。あたしたちは、なんとか助かった。

 救急隊員に助けられながら気が付いたライトノベルのLIGHTも、明かりのLIGHTも同じスペル。

 あたしはラノベの神さまに感謝した。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ読書評『愛と憎しみの豚』

2016-12-26 07:12:15 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評
『愛と憎しみの豚』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 これは悪友の映画評論家・滝川浩一の個人的読書感想ですが、もったいないので転載しました。

         

 長らく ユダヤ、イスラムの人々が何故「豚肉」を食べないのかについて興味があった。
 勿論、それが宗教的忌避である事は知っている。旧約聖書には ハッキリ「豚は食べるな」と記されており、ユダヤ教から別れたイスラムが豚肉を忌避するのも解る。なら、同じくユダヤ教から出たキリスト教が 取り立てて豚肉を嫌わないのは何故なのか、新約聖書にも豚を忌避するごとくの表記がある。旧約聖書程 明確には表現されてはいないが 感覚的にあまり好ましくなさげな書き方がされている。この点に関しては「内閣法制局憲法解釈的」な弁明しか聞いた事がない。 人間だって 究極の飢餓状況下では共食いする、それに比べれば たとえ宗教的禁忌であろうとも豚を食べる事などなんでもない。
 イスラエルにロシア/ソ連邦から難民が大量流入した時(大きく二回ある)、 豚の飼育が始まった記録が有り(流入してきたのはユダヤを名乗る人々であるにも関わらす) それは現在においても「キブツ」やキリスト教徒の居住区に受け継がれている。要するに、時の政治的要請やら社会状況に応じて食物禁忌はいとも簡単に変化するのであって、狂的なまでの宗教指導のもとにない限り 平和で食物が充分に有る状態においてのみ守られる掟なのだといえる。

 ならばこそ、未だに強固な宗教的禁忌たりうるのか…う~ん、面白い。さっぱり解らない。

 前置きが長くなりました。以上のような興味で“それらしき”本を見つけると読んでみるのですが、未だかつて答えてくれる本に出会った事はありません。この本は 何かの雑誌に書評が載っていて、その書評からすると私の疑問に答えてくれそうな気がした。 わざわざ取り寄せて購入したのだが……結果、止めときゃよかった。まるっきり期待外れ。まぁ、女性一人旅の徒然の記としては 楽しめる読者もおられるでしょうが……早い話が こんなもん、旅行記ブログを本にしただけです。一応 漠とした“豚”というテーマはある物の何を追いかけたいのやら不明。こんなので 北アフリカからイスラエル、東欧諸国から果てはシベリアまで出かけて行くのだから……いやはや大した度胸と行動力ではあるが、あまりにも準備不足、無謀の極み……シベリアに着いた所では 旅程の終わりが近づいているにも関わらず「まだ一頭も豚を見ていない」と嘆いている。極寒のシベリアにおいて、彼女の旅は破綻する。
 自己の問題提起が曖昧だから事前に何を調べるべきかも判然としなかったのだろう。旅行ライターでもあるようなので ある種の海外事情には通じているようだが 途中で信じがたい無知を露呈している。
 出先での偶然の出逢いに期待するか インターネット情報によるかの旅行で、おおよそ“ルポ”をおっての旅ではない。序章を読んだ段階でこんな事は全部判ったが、取り寄せた手前「いらん!」 とも言えず 購読した次第。全くの金と時間の無駄でした。

 誰が書いたんやあの書評!

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