タキさんの押しつけ読書感想
『ハリーポッター』の作者が書いた『カジュアルベイカンシー』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
JKローリング(ハリー・ポッター・シリーズ作者)の初の大人に向けての作品。
題名の意味は「偶然できた空席」……イギリス とある田舎町 その町の評議員の一人が心臓発作で亡くなる。
物語は、この死んだバリーの議席を巡るスッタモンダを中心に、このド田舎町の名士達(?)の内情をえぐって行く。最後は、ある悲劇を通しての大団円(????)になるのだが………
一読、これはローリングの怨念の小説だと感じた。
気取って「ルサンチマン」などとは書かない、まさに、“ハリー・ポッター”が成功する以前の彼女の人生に対する、イギリス社会に対する『怨念』の書だと感じた。
彼女の自伝は読んでいないが、シングルマザーであり、子育てのかたわら カフェの一隅で“ハリー”を執筆していたとは読んでいる。本作は、その当時のローリングの生活に裏打ちされている(確信する)。
日本人気質が「島国根性」(最近あまり言わない?死語?)と言われるように、イギリス人には、未だに残る身分制度に端を発する人間感があり、これがある種の尊大なイギリス人気質の基になっている。
これは、裏を返すとイギリス国内での“持たざる”人々の恨みともセットであり、どうやらロンドンなんてな大都会よりも田舎町に顕著に見られるようだ……なんぞと見てきたように書いているが、イギリスはもとよりヨーロッパのどこにも行った事はない。
ただ、イギリス人の書いた本を読むと、まるで判で押したように同じ光景に出会う。こういうのを読むたびに「イギリス人とは付き合えね~」と思ってしまう。それほど、本作の登場人物達は「嫌な奴」だらけです。人間の内面を覗いてみれば、大なり小なり本書に書かれているような物なんだと思いますが、ようまあ ここまでネチネチ書けるもんだと感心します。
本屋で手に取って見て下さい。帯に絶賛の辞が多数載っています。否定はしません、そうも読めるでしょう……私ゃひねくれ者ですから「怨念」を軸に全部ひっくり返した評価になってしまいます。“ハリー・ポッター”のような物語を構築するエネルギーはどこから湧いてでるのか……答を見た気がします。
ハリーの中にある ある種の「反キリスト」 ハグリットあるいはハーマイオニーに向けられる蔑視は、イギリスのどこにでも有る風景であり、ローリングはまさにこの中にいる。ローリングの怨念はヴォルデモートとその一党、魔法議会の支配層に向けられ、自ら求めた救済をハリー、校長以下学校の教師達に託したのである。
作家と言う人々は、一度は自身の怨念をはっきり形にしたいと思うものらしい。その意味で、本作にはローリングというストーリーテラーの怨念で満ちている。“ハリー”の中に、ベルトを解くと噛みついてくる教科書が出てくるが、本書はまさにあれです。
これを読もうとされる方にアドバイス…登場人物の一覧表が挟まっています。これに各人物のデータをメモしながら読むとわかりやすいですよ。なんせ一気に全員次々に登場しては交代して行きます。アタシャどうも最近 記憶力に難が出とりまして(誰が昔からやねん!!)、 最初 誰が誰やらサッパリワカメで 読んでは戻りの繰り返しでした。 ローリングが自身を仮託している登場人物を特定しにくいのですが、重要キャラとして登場する5人のハイティーンに少しずつ入っているんじゃないかと思います。
ラストに向かって、キャラクター達が交錯し、そして終幕になだれ込んで行く。まるで映画を見ているようなビジュアルが浮かんで来るのはさすがですが……このラストにある種の救い(カタルシス)を読み取れるか否かで 本書に対する評価は別れます。
私は「結局 嘘で固めるんだ」と思いました。でも、それが「社会智」ってか「人間知」ってもんです(「痴」「稚」と変えるのはあまりにもシニカル?)
「うぜぇ~」と思いつつも結局 結末が気になって最後まで読まされました。やっぱり力のある作家なのだとの評価に揺るぎはありません。
『ハリーポッター』の作者が書いた『カジュアルベイカンシー』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
JKローリング(ハリー・ポッター・シリーズ作者)の初の大人に向けての作品。
題名の意味は「偶然できた空席」……イギリス とある田舎町 その町の評議員の一人が心臓発作で亡くなる。
物語は、この死んだバリーの議席を巡るスッタモンダを中心に、このド田舎町の名士達(?)の内情をえぐって行く。最後は、ある悲劇を通しての大団円(????)になるのだが………
一読、これはローリングの怨念の小説だと感じた。
気取って「ルサンチマン」などとは書かない、まさに、“ハリー・ポッター”が成功する以前の彼女の人生に対する、イギリス社会に対する『怨念』の書だと感じた。
彼女の自伝は読んでいないが、シングルマザーであり、子育てのかたわら カフェの一隅で“ハリー”を執筆していたとは読んでいる。本作は、その当時のローリングの生活に裏打ちされている(確信する)。
日本人気質が「島国根性」(最近あまり言わない?死語?)と言われるように、イギリス人には、未だに残る身分制度に端を発する人間感があり、これがある種の尊大なイギリス人気質の基になっている。
これは、裏を返すとイギリス国内での“持たざる”人々の恨みともセットであり、どうやらロンドンなんてな大都会よりも田舎町に顕著に見られるようだ……なんぞと見てきたように書いているが、イギリスはもとよりヨーロッパのどこにも行った事はない。
ただ、イギリス人の書いた本を読むと、まるで判で押したように同じ光景に出会う。こういうのを読むたびに「イギリス人とは付き合えね~」と思ってしまう。それほど、本作の登場人物達は「嫌な奴」だらけです。人間の内面を覗いてみれば、大なり小なり本書に書かれているような物なんだと思いますが、ようまあ ここまでネチネチ書けるもんだと感心します。
本屋で手に取って見て下さい。帯に絶賛の辞が多数載っています。否定はしません、そうも読めるでしょう……私ゃひねくれ者ですから「怨念」を軸に全部ひっくり返した評価になってしまいます。“ハリー・ポッター”のような物語を構築するエネルギーはどこから湧いてでるのか……答を見た気がします。
ハリーの中にある ある種の「反キリスト」 ハグリットあるいはハーマイオニーに向けられる蔑視は、イギリスのどこにでも有る風景であり、ローリングはまさにこの中にいる。ローリングの怨念はヴォルデモートとその一党、魔法議会の支配層に向けられ、自ら求めた救済をハリー、校長以下学校の教師達に託したのである。
作家と言う人々は、一度は自身の怨念をはっきり形にしたいと思うものらしい。その意味で、本作にはローリングというストーリーテラーの怨念で満ちている。“ハリー”の中に、ベルトを解くと噛みついてくる教科書が出てくるが、本書はまさにあれです。
これを読もうとされる方にアドバイス…登場人物の一覧表が挟まっています。これに各人物のデータをメモしながら読むとわかりやすいですよ。なんせ一気に全員次々に登場しては交代して行きます。アタシャどうも最近 記憶力に難が出とりまして(誰が昔からやねん!!)、 最初 誰が誰やらサッパリワカメで 読んでは戻りの繰り返しでした。 ローリングが自身を仮託している登場人物を特定しにくいのですが、重要キャラとして登場する5人のハイティーンに少しずつ入っているんじゃないかと思います。
ラストに向かって、キャラクター達が交錯し、そして終幕になだれ込んで行く。まるで映画を見ているようなビジュアルが浮かんで来るのはさすがですが……このラストにある種の救い(カタルシス)を読み取れるか否かで 本書に対する評価は別れます。
私は「結局 嘘で固めるんだ」と思いました。でも、それが「社会智」ってか「人間知」ってもんです(「痴」「稚」と変えるのはあまりにもシニカル?)
「うぜぇ~」と思いつつも結局 結末が気になって最後まで読まされました。やっぱり力のある作家なのだとの評価に揺るぎはありません。