ライトノベルベスト
〔エピソード・赤鼻のトナカイ・3〕
サンタは、赤ずきんが「インターナショナル」を唄い終わるまで待った。
起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
佐々木孝丸/佐野碩訳詞・ドジェテール作曲
赤鼻のトナカイは、赤ずきんが唄っているあいだ、コーヒーには口を付けず、ただ両の手で温もりを愛しんでいた。
「赤ずきんちゃんのインターも、捨てたもんじゃないな」
サンタは、自分のカップを持って赤鼻の向かいに座った。
「これは……タワリシチ・サンタ!」
「懐かしいな、その呼び方」
「あんただけでしたからね、タワリシチって言っても嫌な顔しなかったの」
「インターも、今の女の子が唄うと、心地いい違和感を感じるね」
「ハハ、懐かしいね、あんたのシニカルなとこも。赤ずきんちゃんは『はらから』を『腹から』だって、大笑いでしたけど、意味なんていい。インターはメロディーとテンポにソウルがありますから」
「昔どおり、ノンポリでいいよ」
「この店に来れば、みんなタワリシチですよ」
「でも、我が祖国ソヴィエトなんて、気持ちの悪いことは言わんでくれよ」
「いまさら、コミンテルンでもないでしょ。あたしはアナクロじゃない」
「『資本論』の剰余価値説でケツ割ったオレが言うのもなんだけど、思想としても政治手法としてもインターが目指すところのものは蜃気楼に過ぎないことは、20世紀で勝負がついた。それを承知の上で、選挙運動やってる君の一徹さには頭が下がる」
「よしてくださいよ。この歳まで続けたことだ……ここで歳だからって、隠居顔してたんじゃ、人生の帳尻が合わない」
「だよな。パージ受けた時も、君は節を曲げなかった。ひ弱な学生諸君らとは腹の据え方がちがう」
「で、こんなロートルに、なんの御用ですか?」
「アナログサンタは、今年でよそうと思ってさ……」
サンタは、老眼鏡を拭こうとしてハンカチを出そうとした。
「ハンカチじゃ、レンズの曇りはとれない。どうぞ」
赤鼻は、専用の眼鏡ふきを差し出した。
「こういうところが、君の長所だ。先々代の赤ずきんが惚れたのも、そういう、ちょっとボヘミアンずれしたとこだったなあ」
「古傷です。あの子といっしょになっていたら、あの赤ずきんちゃんは、この世には生まれてませんからね」
「ん……この眼鏡ふきのイニシャル、刺繍だな」
「ただの年寄り同士の小さな親切です。誤解しないでくださいね、こういうことにかけちゃ、自分はプラグマティズムなんです」
「ハハ、そうか。じゃ、単なる年寄りのリリシズムと笑われるかもしれんが、最後の橇は、君に曳いてもらいたいんだ」
「……そうですか」
赤鼻は、眼鏡を外してハンカチを出した。
「眼鏡は、眼鏡ふきだろ……」
「いえ、歳のせいでしょ、涙腺が緩くなっちまって……」
二人は、やっとコーヒーカップに手を付けた。すっかりぬるくなってしまったが、ロートル二人の心は十分に温まった。
〔エピソード・赤鼻のトナカイ・3〕
サンタは、赤ずきんが「インターナショナル」を唄い終わるまで待った。
起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
佐々木孝丸/佐野碩訳詞・ドジェテール作曲
赤鼻のトナカイは、赤ずきんが唄っているあいだ、コーヒーには口を付けず、ただ両の手で温もりを愛しんでいた。
「赤ずきんちゃんのインターも、捨てたもんじゃないな」
サンタは、自分のカップを持って赤鼻の向かいに座った。
「これは……タワリシチ・サンタ!」
「懐かしいな、その呼び方」
「あんただけでしたからね、タワリシチって言っても嫌な顔しなかったの」
「インターも、今の女の子が唄うと、心地いい違和感を感じるね」
「ハハ、懐かしいね、あんたのシニカルなとこも。赤ずきんちゃんは『はらから』を『腹から』だって、大笑いでしたけど、意味なんていい。インターはメロディーとテンポにソウルがありますから」
「昔どおり、ノンポリでいいよ」
「この店に来れば、みんなタワリシチですよ」
「でも、我が祖国ソヴィエトなんて、気持ちの悪いことは言わんでくれよ」
「いまさら、コミンテルンでもないでしょ。あたしはアナクロじゃない」
「『資本論』の剰余価値説でケツ割ったオレが言うのもなんだけど、思想としても政治手法としてもインターが目指すところのものは蜃気楼に過ぎないことは、20世紀で勝負がついた。それを承知の上で、選挙運動やってる君の一徹さには頭が下がる」
「よしてくださいよ。この歳まで続けたことだ……ここで歳だからって、隠居顔してたんじゃ、人生の帳尻が合わない」
「だよな。パージ受けた時も、君は節を曲げなかった。ひ弱な学生諸君らとは腹の据え方がちがう」
「で、こんなロートルに、なんの御用ですか?」
「アナログサンタは、今年でよそうと思ってさ……」
サンタは、老眼鏡を拭こうとしてハンカチを出そうとした。
「ハンカチじゃ、レンズの曇りはとれない。どうぞ」
赤鼻は、専用の眼鏡ふきを差し出した。
「こういうところが、君の長所だ。先々代の赤ずきんが惚れたのも、そういう、ちょっとボヘミアンずれしたとこだったなあ」
「古傷です。あの子といっしょになっていたら、あの赤ずきんちゃんは、この世には生まれてませんからね」
「ん……この眼鏡ふきのイニシャル、刺繍だな」
「ただの年寄り同士の小さな親切です。誤解しないでくださいね、こういうことにかけちゃ、自分はプラグマティズムなんです」
「ハハ、そうか。じゃ、単なる年寄りのリリシズムと笑われるかもしれんが、最後の橇は、君に曳いてもらいたいんだ」
「……そうですか」
赤鼻は、眼鏡を外してハンカチを出した。
「眼鏡は、眼鏡ふきだろ……」
「いえ、歳のせいでしょ、涙腺が緩くなっちまって……」
二人は、やっとコーヒーカップに手を付けた。すっかりぬるくなってしまったが、ロートル二人の心は十分に温まった。