大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳怪訳日本の神話・35『ちょっと怪しいんですけどお(;一_一)』

2021-04-16 09:37:15 | 評論

訳日本の神話・35
『ちょっと怪しいんですけどお(;一_一)』  

 

 

 オオクニヌシは名乗りをヤチホコノカミと変えて越の国(福井・富山・新潟のあたり)に向かいます。

 ヤチホコとは沢山の武器を持っているという意味で、武神としてのオオクニヌシの性格を現しています。

 オオクニヌシは他の日本神話の神々と異なって、沢山の名前が付いています。

 ご先祖であり妻のスセリヒメの父であるスサノオは、後にも先にもスサノオの名前しかなく、姉のアマテラスも同様です。

 素人考えですが、オオクニヌシの姿が定着する過程で、いろんな神さまの話が一緒くたにされたのではないかと思います。

 なぜ一緒くたにされたのかと想像しますと、以下のように妄想します。

 オオクニヌシを頂いていた西日本の地域は大和朝廷に対立する大きな勢力であったので、大和政権に帰順させるにあたって特別扱いをされた。

 特別扱いなので、元々出雲にあった神々や大和の神々の話がまとめられてオオクニヌシという神格になった。

 だから、出雲を治めていた首長は国造として残され大和政権からも敬意を払われて、令和の今日でも天皇家と並ぶ古い家系として出雲大社の神主を務めておられると想像します。

 日本人は、一般的に大虐殺をやりません。

 相手を服属させても、地方長官として残して、彼らの文化や信仰を汚すような真似をしません。

 弥生時代の遺跡から銅鏡や銅鐸がまとめて出てくることがしばしばあります。

 おそらくは、他の集落や部族を従えた時に取り上げた、あるいは帰順のしるしに差し出されたものでしょう。

 世界的に見ると、服属した者の神は否定され、時には邪神、悪魔の扱いになり抹殺されます。神々の依り代や神具は壊されたり、金銀なら鋳つぶされて、金貨や装身具に鋳なおされます。

 日本では、祭祀権を取り上げるというか、より高次の神に統合することで継承されます。

 この感覚が、後に仏教が伝来した時には神仏習合という便利な考え方になり、ほとんど平和的にまとめられたのではないかと思います。たとえば、天照大神(アマテラス)は大日如来の垂迹(すいじゃく=仮の姿)であったなど。

 

 話をオオクニヌシに戻します。

 スセリヒメはスサノオの娘だけあって、非常に気の荒い女神であります。

 亭主のオオクニヌシが浮気を目的に越の国まで出かけるとあっては、決して許さなかったでしょう。

「ちょっと、あんた、馬を引き出させて、いったいどこに行くのよ!?」

「いやあ、狩りだよ、狩り。俺って『ヤチホコノカミ』って武神でもあるんだからさ、平和になったとは言え、そういう精神を忘れちゃいけないと思うんだよ。だから、武神のたしなみっていうか、腕が鈍らないためと言うか、部下の神々に示しを付けるためと言うか……ま、そんなノリでさ」

「ちょっと怪しいんですけどお……いつになく多弁になってるしい」

「違う違う、久々の狩りでさ、ちょっと興奮してんのさ。そ、そう、おまえを背負ってお義父さんのところから走って逃げたときみたいにさ。いやあ、あの時のスセリちゃんは可愛かったあ!」

「あ、それって、今は可愛くないって間接的に言ってない?」

「違う違う(^_^;)」

「そ~お、首筋を汗がつたってるんですけどお」

「あ、これは、気負ってるからっすよ。久々の狩りってゆったじゃん」

「そ~お?」

「とにかく、お義父さんがそうであったように、俺も武神の端くれ、腕がなまってはお義父さんに申し訳が無い。どうか、この俺の男を立てさせてくれよ!」

「そ、そう……そこまで言うなら。じゃ、早く帰って来るのよ」

 記紀神話の中では、原則的に女神は移動しません。あちこちほっつき歩いているのは男神ばかりです。

 アマテラスは高天原ですし、イザナミは死んでからは黄泉の国です。

 その点は、日本神話をモチーフにしたアニメも守っていて、記紀神話の女神の名前を付けられたキャラは移動しません。

『ノラガミ』でも大活躍する女神は『毘沙門』という外来の仏神の名前にしています。

 さて、なんとかスセリヒメを言いくるめたオオクニヌシ、いや、ヤチホコノカミは一路腰の国を目指します途中アリバイ工作の狩りを怠ることなく、やがて、ヌナカハヒメの屋敷の門前にたどり着きます……。

 

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らいと古典・わたしの徒然草・74『蟻の如くに集まりて』

2021-04-16 06:43:51 | 自己紹介

わたしの然草・74
『蟻の如くに集まりて』  

 



徒然草 第七十四段

 蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起る。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。
身を養ひて、何事をか待つ。期する処、ただ、老と死とにあり。その来る事速やかにして、念々間に止らず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。


 これは、兼好が、時々触れている。というか、落ち込んでいる無常観で、いささか始末が悪い。
 蟻のように生きたって、けっきょく死んじまうんだから、あくせくしたってしかたねえ。と、開き直っています。「生を貪り、利を求めて、止む時なし」それでも、けっきょくは、老いと死がまっているだけなんだぜ。というデカダンスと紙一重のように思えます。

 人生およそ八十年。
 だから、80-80=0

 この0の意味の取り方であると思います。お金に例えてみましょう。八十円を落っことせば0になる。インスタントラーメンを八十円で買えば、しばらく腹が持つ。八十円で切手をかえば、二十五グラム以内の重さの便りを誰かに送ることができる(いまは84円ですが(^_^;)。
 落っことした八十円は意味がありませんが、例えインスタントラーメンであっても、食べれば、一時お腹と心が暖まります。
 二十五グラムの便り、書く内容によっては、プロポーズが成功するかもしれず。エッセーの懸賞募集ならば、一等賞になって賞金五十万円ぐらいが手に入るかもしれない。
 要は、-80で何をしておくかによって答の0の意味が異なってくると思います。

 わたしの友人で、雅号というかハンドルネームというかを「朱夏」としている人がいます。朱夏とは人生の中年を指し、天命を知り、身を立て惑わずの時代であります。
 かみくだいて言うと、自分の人生のテーマを知り、モラトリアムの時代、すなわち親のスネかじりを止め、経済的にも精神的にも独立し「わたしの人生はコレデイイノダ!」と、惑わないことを表すことでしょう。
 この伝でいくと、わたしは朱夏の最後期で、惑っていてはいけない。おのが人生を顧みて、「コレデイイノダ!」と胸を張り、耳に従い、すなわち他人様のご意見に素直に聞く白秋の準備ができていなければならない。

 ところが、わたしは天命と心得た職を五十五で辞し、かろうじて出した過去の著作や、出版社が拾ってくださる駄文をもって、「嗚呼、我は、作家哉!」とやせ我慢の胸も張りかねております。戯曲、小説、エッセーと書くものも尻が定まらず。時たま「これを書こう!」と一念発起しても、「ああ、あれが分からん。これも知らんかった」と、ネットで検索したり、広辞苑を引いてみたり。朱夏はおろか「学を志す=青春」の先っちょにいるような気さえしてきます。
 惑わず=独立も怪しいもので、退職金の食いつぶしとカミサンの嘱託職員としての収入が頼りの毎日。実際、健康保険などはカミサンの扶養家族としてのそれであります。
 
 わたしの宗旨は仏光寺派の浄土真宗であります。この我が宗旨では開祖親鸞上人以来、人は死ねば、善人悪人にかかわらず、等しく御浄土に逝くことになっております。法名も勝手に決めて「釋睦夫(シャクボクフ)」と決めております。
 御浄土に逝くことは決まっているので、朱夏や白秋などと取り澄ますのは止しにしようと、最近は思います。分からんものは分からんと言い、嫌なものは嫌と言って残りの二十年を、生き恥と言われながら生きていこうと思う……と、思うところまでは開き直れてはおりません。
 毎日、ブログのアクセスを気にし、コメントやトラックバックにヒヤヒヤ。

 

 愚禿釋睦夫

(注)愚禿とは、親鸞上人を気取っているのではなく、見た目の通りであります(^_^;)。


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真凡プレジデント・54《生徒会室は暑い!》

2021-04-16 06:27:16 | 小説3

レジデント・54

《生徒会室は暑い!》     

 

 

 生徒会室に無いもの=エアコンと男。

 

 その結果、生徒会役員たちは非常にダレてきてしまった。

 年代物の扇風機は暖気をかき回しているだけで効果はないのだけど、ここで稼働しなければレーゾンデートルにかかわるとばかりに唸りを上げて回っている。

「ちょっとマシかもしれないよ」

 食堂から戻って来たなつきが、キンキンに凍ったペットボトルのお茶を配る。

「よくメッケてきたわね!」

 普段は凛としている副会長のみずきがクリスマスプレゼントをもらった子供のような顔になった。

「同じ食べ物屋だから、食堂でもやってるんじゃないかと思って」

「あ、なつきんちはお好み焼き屋さんだもんね」

 ブラウスの第二ボタンまで外していた綾乃はタンクトップを引っ張って、ペットボトルを胸の谷間に収める。

「う~ん、二択だなあ……」

 とりあえずタオルハンカチでくるんで頬っぺたをスリスリしながら、みずきは悩み始める。

「なに、悩んでんの?」

「なつきみたく胸に納めるべきか、脚で挟んでみるか……」

「脚で挟む?」

「こうよ……」

 

 三人が机の下を覗くと、みずきはスカートをたくし上げ太ももでペットボトルを挟んでいる。

 

「あ、それって、女捨ててる……」

「アハハ、でも涼しいよ」

「そう?」

「足の付け根って太い動脈があるから効率的に冷やせるのよ」

「動脈なら、腋の下とか首筋にもあるでしょ」

 真凡が首筋にペットボトルをあてがって注意する。

「だって、ここがいちばん蒸れるし(^_^;)」

「うん、分かる、こうやって……下敷きであおぐと……おお、いっそう快適じゃあ!」

「「あ、そう?」」

 なつきと綾乃が倣おうとしたとき、真凡のスマホが鳴った。

「……あ、やったあああああああ! エアコンが手に入るよおおおおおお!」

「「「えーーーー!」」」

「毎朝テレビの営繕課にメールしといたの、取りにくるんだったらストックのエアコンくれるって!」

 蛇の道は蛇で、真凡は姉の知り合いにメールを打っておいたのだ。

 

 かくて、本日の執行部会議は予定の議案を一つも話し合わないまま散開することになった。

 

☆ 主な登場人物

  •  田中 真凡    ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
  •  田中 美樹    真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、いまは家でゴロゴロ
  •  橘 なつき    中学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き
  •  藤田先生     定年間近の生徒会顧問
  •  中谷先生     若い生徒会顧問
  •  柳沢 琢磨    天才・秀才・イケメン・スポーツ万能・ちょっとサイコパス
  •  北白川綾乃    真凡のクラスメート、とびきりの美人、なぜか琢磨とは犬猿の仲
  •  福島 みずき   真凡とならんで立候補で当選した副会長
  •  伊達 利宗    二の丸高校の生徒会長

 

 

 

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