魔法少女マヂカ・207
ブリンダがカンザス男を連れてきたことは驚かなかった。
今般の大震災は、世界中が同情やら好奇心の目を向けている。
同情、好奇心、どちらも好きな言葉じゃないけど、結果的に被災者支援や復興の役に立つなら歓迎しなければならない。
だから、カンザストリビューンという新聞記者の相手もないがしろにしてはいけない。
「地球の裏側からのご支援、ありがとうございます!」
とりあえずは、学習院の女生徒らしく折り目正しい挨拶をしておく。
挨拶した顔を上げると、新聞記者をやるよりはオフブロードウェイで陽気なコントをやっていた方が似合いそうな三十がらみの男だ。
「実は、上野大仏を買いたいんだって」
「上野大仏……」
ピンとこなかった。
日本には奈良と鎌倉以外にも、ご当地の名前を冠した大仏が存在するが、その多くは昭和のバブル期に税金対策や成金趣味で建てられたものが多く、大正時代に存在しているのは、ごくわずか地方に建てられたものがあるきりで、東京に大仏が存在していた記憶がない。
「ちょっと待ってください」
わたしは、テントの奥でボランティアのシフトを調整している帝大生に聞いてみた。
「自分は仙台の出身ですので……」
そう言うと、帳面にしおりを挟んで隣の救護テントで老人の治療をしている医学生に声をかけてくれた。
その医学生も地方の出身なのか要領を得なかったのだけど、治療してもらっている老人が痛んでいない方の手を挙げた。
「それなら不忍池に行く途中にありまさあ」
そう言うと、老人は三角巾の腕を庇いながら、我々を誘導してくれる。
「なんでも、三代さま(家光)のころに、越後の殿様が討ち死にした敵味方の霊を慰めるためにお建てになったのが始まりで、そのあと地震やなんやで何度も傷んだんですがね、その時その時の江戸っ子やお上の心意気で修理したのが、今度の震災じゃ……ほれ、ご覧の通りでさ」
上野の山が不忍池に向かって下りになるところに倒壊したお堂の瓦礫がそのままになっていて、回り込むと、瓦礫の中から首が落ちた大仏の姿が見えてきた。
「お首は、こちらの方に……」
老人が指差したそこには、その周囲だけ瓦礫が取り除かれて、まるで戦国の昔に首実検された兜首のように大仏の首が据えられていた。
「ナマンダブナマンダブ……」
老人は、大仏の首を片手拝みして後ろに下がった。
首の前には、一対の花瓶に花が生けられ、ひしゃげた香炉には線香が焚かれている。
思い出した!
こいつは『合格大仏』だ。
魔法少女だからと言って、昔の事をコンピューターのように記憶しているわけではない。殺伐とした戦いばかリだったので、こういう市民の憩いの場である公園の事などには疎い。
まして、第一次大戦後の大正時代は、ヨーロッパやロシアが不穏で、わたしは日本を留守にすることが多かった。
二年前、渡辺真智香として眠りから覚めた時に、一通り東京を巡ってみた。
その時訪れた上野公園にあったのが『合格大仏』だ。
コンクリートの枠の中に顔面だけのレリーフがあって、どこぞの仏像の首が落ちて、再建されることなく、顔面だけが残されたと、由緒書きを斜め読みした記憶がある。
『合格大仏』の由来は――地面にまで落ちた首なので、これ以上落ちることはない――というダジャレから来ている。そういう洒落めいたことなので苦笑しただけで通り過ぎた。
「この大仏を買い取ろうと?」
「うん、こういうのはエキゾチックで、たとえ壊れていてもオブジェとしての需要があるんだ」
「オブジェ?」
「今は新聞記者をやってるんだけど、これからは東洋美術とかの貿易をやってみようと思ってるんだよ」
なんだ、商売のタネか。老人が聞いたら「罰当たりな!」と目をむきそうだが、老人に英語は分からない……いや、いつの間にか姿を消している。
「案内の役は果たしたって、ちょっとお礼しようと思ったんだけど、滅相もないって行っちゃった」
ブリンダが肩をすくめる。
「むろん新聞の記事にもするよ、少しでもアメリカ人に興味を持ってもらって、それが日本への支援に繋がったらいいと思うんだ」
「そうですか、取りあえず、ミスターオズマをご案内できてよかったです」
「ああ、どうもありがとう」
このカンザス男がやろうとしていることに賛否のつけようがないし、他の仕事もあることだし、これで失礼しようとしたら、ギョッとした。
大仏の首が、一瞬、将門の首に見えた……。
※ 主な登場人物
- 渡辺真智香(マヂカ) 魔法少女 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 要海友里(ユリ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 藤本清美(キヨミ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 野々村典子(ノンコ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 安倍晴美 日暮里高校講師 担任代行 調理研顧問 特務師団隊長
- 来栖種次 陸上自衛隊特務師団司令
- 渡辺綾香(ケルベロス) 魔王の秘書 東池袋に真智香の姉として済むようになって綾香を名乗る
- ブリンダ・マクギャバン 魔法少女(アメリカ) 千駄木女学院2年 特務師団隊員
- ガーゴイル ブリンダの使い魔
※ この章の登場人物
- 高坂霧子 原宿にある高坂侯爵家の娘
- 春日 高坂家のメイド長
- 田中 高坂家の執事長
- 虎沢クマ 霧子お付きのメイド
- 松本 高坂家の運転手