魔法少女マヂカ・209
黄昏色に染まる上野公園のあちこちから炊飯の煙が上がる。
避難民の数が多いので、官や慈善団体の炊き出しでは間に合わずに、あちこちで夕食の準備が始まるのだ。
火の用心には悪いのだけど禁止するわけにはいかない、公的な炊き出しが間に合わないんだ。火の始末の指導に学生ボランティーアはテントを離れている。
大正十二年の九月は令和の時代よりも秋は早い。
地表は昼間の残暑に温められてボランティーアの学生たちの額には汗がにじんでいるが、地表数十メートルのところには秋の空気が掛け布団のように蟠り、炊飯の煙を留めてしまって、あたかも上野公園の上に霞の蓋をしたようになっている。
その霞の蓋も不忍池を舐めるように差し込む夕日のために茜に染まっていたが、ノンコやブリンダと簡易夕食の食後のお茶を頂いているうちに、逢魔時の妖色に変わってきた。
「ちょっと、妖しい空気になってきてしもたわね……」
半日、子どもたちの遊び相手をしていたノンコも、子どもたちが、それぞれのテントやバラックに戻ってしまうと、火照りが覚めて妖色の霞に怖気を振るう。
「ここは幕末の上野戦争の激戦地だったのだろう?」
「ブリンダ、上野戦争なんて知ってるの?」
「ああ、いちおう千駄木女学院の生徒だからな、日本史の授業で習った。彰義隊の少年たちが大勢死んだ。会津の白虎隊と並んで有名な悲劇だ」
「そうだね、もともと上野の山を開いたのは百二十歳まで生きたと言われる化け物坊主の天海大僧正だしね」
「て、てんかい?」
暗示にかかったノンコが眉をヘタレさせて寄って来る。
「うん、一説によると天王山の戦いで敗れた明智光秀が死なずに生きていて坊主になって、家康に匿われていたものとか、関東一の化け物が人に化けたものとかいう噂がある。まあ、そういう化け物じみた奴じゃなきゃ、江戸の鬼門に寺を建てて江戸の厄除けになろうとは思わなかっただろうね」
「江戸の厄除けって……神田明神じゃ」
「あれは、関東全域の総鎮守だ。まあ、神田明神にしろ天海大僧正にしろ、妖を封じるのには妖をもってするしかないという家康の知恵なんだろうがな」
「じゃ、じゃあ……」
「まして、大震災の後だ……」
「なにかあるかもしれないぞ……」
「ひええええええ」
わたしもブリンダも意地が悪い、怖がりのノンコをつい弄ってしまう。
お嬢様の霧子なら「そんなに人を脅かすものじゃないわよ」とか言って止めるのだろうが、夕食を済ましてからは、疲れが出たのだろう、救援物資の山に寄り掛かって居眠りしている。
「ちょ、ちょっと、あれ……なに!?」
怯えたノンコが道の向こうを指さした。
「「うん?」」
ブリンダと目を凝らしてみると、公園南口に通じる石段を紙屑の山が上がって来るのが見えた。
「か、紙くずお化けええええええ!!」
腰を抜かしたノンコが四つん這いになってわたしの後ろに回り込む。
「あれは、張り紙の山だぞ!」
見覚えがある、公園の南口に尋ね人の張り紙が重ね貼りになったのがあった。
もともとあったオブジェなのか、ボランティーアが用意した掲示板なのか、行方不明の身内を想う気が凝り固まって、ちょっと化け物じみた感じになっていた。
その化け物が、のっしのっしと歩いて来て、わたしたちのテントを目指すように進んでくる。
「ここで戦いになったらマズいぞ」
「不忍池の方に誘導しよう、ノンコは霧子を庇って隠れてろ」
「う、うん」
ノンコが霧子を庇っているのを見届けて、ブリンダと二人で表に飛び出し、化け物を前後から挟んだ。
すると、化け物は左右から伸びた手のようなものを回して、首のあたりの張り紙を観音開きにした……。
「おのれ!」
「やるか!?」
ブリンダと二人、後ろに撥ね飛んで姿勢を低くする。
わたしの手には風切丸、ブリンダの手にはエクスカリバーが具現化している。
化け物が身じろぎ一つしても、前後から打ち込める体勢になった。
「ちょっ、待っちょくれ」
化け物が口をきいた……え……この訛は?
「さ、西郷さん!?」
張り紙の観音開きが全開になって現れた顔は、久しぶりの西郷隆盛の銅像だった。
※ 主な登場人物
- 渡辺真智香(マヂカ) 魔法少女 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 要海友里(ユリ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 藤本清美(キヨミ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 野々村典子(ノンコ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 安倍晴美 日暮里高校講師 担任代行 調理研顧問 特務師団隊長
- 来栖種次 陸上自衛隊特務師団司令
- 渡辺綾香(ケルベロス) 魔王の秘書 東池袋に真智香の姉として済むようになって綾香を名乗る
- ブリンダ・マクギャバン 魔法少女(アメリカ) 千駄木女学院2年 特務師団隊員
- ガーゴイル ブリンダの使い魔
※ この章の登場人物
- 高坂霧子 原宿にある高坂侯爵家の娘
- 春日 高坂家のメイド長
- 田中 高坂家の執事長
- 虎沢クマ 霧子お付きのメイド
- 松本 高坂家の運転手