あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第4回飯能新緑ツーデーマーチ2日目

2006-05-21 23:08:24 | ウオーキング
 さわやかな快晴となった今日は、埼玉県西部の「飯能(はんのう)ツーデー
マーチ」2日目に参加しました。

 中央会場は、JR八高線、西武吾野線の東飯能駅に近い、飯能市役所です。
私の参加した20kmコースは、8時半過ぎにスタートしました。

 スタートから約2.8kmにある最初の接待所では、飲物とあめの接待が
あり、中山囃子連のお囃子もしていました。


 すぐ近くにある西武電車の武蔵丘車両基地横の坂を上がり、山道に入ります。


 今日のコースの最高峰、多峰主山(とうのすやま・270m)に上がると、
新緑の向こうに、奥秩父の山並みが遠望できます。



 南側は飯能市の市街地を見下ろせますが、ちょっと霞んでいました。

 入間川沿いに下り、7.3km地点にあるチェックポイントでは、お茶や
梅干し、タクワンなどのサービスがあり、そばも売っていたので腹ごしらえ
しました(200円)。私の後、4~5人で売り切れです。



 入間川に分かれ、南側の峠に向かっての上りとなりましたが、途中にある
自由の森学園高の生徒が、中国民謡を見せてくれていました。


 峠を下り、苅生(かろう)の昼食会場で、強い日差しを咲け、桜の若木の
下で昼食をしました。

 赤根峠に上がり、しばらくは杉やヒノキの下の涼しい尾根歩きです。

 下畑で東京都青梅市との都県境にある成木川沿いに出て、東に進みます。
午後の日差しが強くなり風もなくなり、この辺りが1番暑さが応えました。


 岩淵から成木川を渡り、美杉台の住宅団地や運動公園などを抜けました。

 子どもたちでにぎやかな入間川(いるまがわ)の飯能川原を見下ろす橋を
渡って、市街地の中心を抜け、14時48分に中央会場にゴールしました。

 昨日は、猛烈な暑さと午後、雷雨に見舞われたようですが、今日は湿度が
少なく、後半を除いては、さわやかな風にも恵まれ、緑豊かな林間のウオー
クを楽しむことができました。

 

 
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カントリーウオーク高山村(2)

2006-05-21 21:55:53 | カントリーウオーク
 群馬県高山村のカントリーウオーク2日目のレポートです。

06年5月14日(日)
カントリーウオーク高山村(役場~JR吾妻線中之条駅)

 2日目の朝は、昨日の冷たい雨が上がり次第に青空が広がる。昨日は見えな
かった小野子山(1208m)が、宿の眼前に立ちはだかるように山容を見せていた。

 朝食前、宿の東に広がるゴルフ場内の林間を散策。北の山並みの奥に、残雪の
谷川連峰が望まれた。


 小野子山を背に記念撮影後、宿の車で高山村役場まで送ってもらい、8時57分
にスタートする。


 かやぶき民家のところで国道145号を斜めに横切り、溝口の旧道へ。名久田
川右岸の高台なので、小野子山山ろくの色とりどりの新緑の展望がよい。

 相対するかやぶきの民家や、廃屋のかやぶき民家などの間を抜けて国道に入る。
しばらく進むと、正面に雪の残る浅間山の穏やかな山容が見えてきた。


 1時間歩き、水の入った田んぼのそばで休憩。近くで作業していた奥さんの、
年期の入った背負い籠は、まだ現役である。

 山すそに、映画「阿弥陀堂だより」に出てきたような小さなお堂があった。
泉照寺跡で、残っているのはやはり阿弥陀堂だった。
 
 
 関田集落を北西に上がり、赤松や杉林を抜けると山間の棚田に出た。水の入っ
た田では耕耘機が入って田植えの準備が進んでいる。

 穏やかな風景を眺めながらコーヒータイム。カントリーウオークならではの、
ゆったりとした時間と空間。そばの林ではフデリンドウが花を開いていた。


 尻高集落には、かやぶきの民家が2つ残っていた。写真とは別の家は廃屋
で、崩れ落ちそうな屋根から木が伸びていた。
 
 小屋集落の先の高台からは、西南西の山並みの奥に再び浅間山が望まれた。

 熊野集落の山すそにある泉龍寺に11時35分に着く。阿弥陀堂のあった泉照
寺を、文禄元年(1593)移転し、6年後に泉龍寺として開山したという。

 徳川3代将軍家光公から30石の御朱印を賜り、現本堂は定享5年(1688)の
落慶とか。広い境内は、ツツジ、八重桜、ショカサイ、ハナモモ、ナノハナなどが
花盛り。

 本堂背後に、県天然記念物で樹齢800年、目通り6.3m、樹高29.5mという
みごとなコウヤマキの巨木(上の写真)がある。ほかに、本堂前には樹齢250年
の盆栽松、鐘楼のそばには、樹齢200年、樹高25mの大イチョウなどもあり、
思いがけずのりっぱなお寺だった。

 強い日差しを避けていちょうの木陰や鐘楼堂に腰を下ろす。小野子山や境内の
花々、さわやかな青空と周囲に満ちあふれる新緑などを眺めながらの、ぜいたく
な昼食である。12時22分に寺を出た。


 散在する民家の間を抜けて、さらに西南の高台に上がると、小野子山と眼下の
熊野集落の気持ちよい展望が広がる。




 国道に戻って高山村から中之条町に入る。中之条側に朱塗りの小さい観音堂が
立っていた。大塚観世音堂で、草創は弘仁年中(810~)といわれ、吾妻三十三
観音札所のうち最古の霊場とされているという。

 国道には「只今の気温19℃」の表示が出ていた。

 沢尻から矢場、栃瀬、長石へと再び国道北側の旧道をたどる。矢場集落の先、
赤坂川と名久田川との合流点に、八幡城址の説明板があった。そばの段丘上に
大永年間(1521~8)に築城されたと記されていた。

 集落の中ほどに、ツツジや紫モクレン、白フジ、ホウチャクソウ、ツリイトソウ
などに彩られた高橋景作生家があった。

 高橋景作は、寛政11年(1799)この地で名主の長子として生まれ、医学を学び、
高野長英の塾頭をつとめた人。牢舎の火災で脱獄した高野長英を、生家に近い
文殊院にかくまったという。

 七日市で国道の南に回る。庭先に花いぱいの民家があった。戻ってきた奥さん
が、「オキナグサの種を持って行きなさい」と声をかけてくれので、実の着いた穂
から種を分けてもらう。

 国道145号と名久田川が接近したところにある吾妻神社で最後の休憩。現在
の社殿は文政4年(1821)の造営という。社殿は精巧な木彫で彩られ、境内は
うっそうたる杉や、イチョウ、モミジなどの緑に覆われている。

 神社の横から国道に戻って中之条の町並みに入る。ゴールのJR吾妻線中之条
駅には15時22分に着いた。15時47分発高崎行き電車にて帰途につく。

(距離 13km、地図(1/2.5万) 上野中山、中之条、群馬原町、歩行地 群馬県
高山村、中之条町)

 
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