今日も午後、首都圏は激しい雷雨に見舞われました。交通機関などの影響を
受けた方もおられるのではないでしょうか…。
中山道ウオーク塩名田宿から和田宿までの報告です。
06年5月17日(水) 塩名田~和田
宿泊した国民宿舎もちづき荘付近は、ヤマツツジが花盛り。南側の山かげ
から雪の残る蓼科山の山頂付近が少しだけ望まれる。
国民宿舎を7時30分にマイクロバスで出る。昨日のゴール、塩名田宿の佐久
市公民館浅科地区館まで送ってもらい、8時1分に38名がスタートした。
千曲川の中津橋際に、船つなぎ石の説明板があった。千曲川は荒れ川で、
2~3年に1回は橋が流されたという。そこで明治6年(1873)に船橋会社が
つくられ、9艘の舟をつないでその上に板をかけて橋とした。船つなぎ石は、
その舟をつなぎ止めたもので、明治25年に木橋が架けられるまで使われた
という。
御馬寄(みまよせ)集落を抜けると田園地帯となり、早苗田の向こうにも浅間
山が大きく姿を見せてくれた。
八幡宿の東端にあった八幡神社で最初の休憩。鳥居の先に境内を覆うように
大ケヤキがそびえ、その奥に2階建ての随神門が立つ。門の周囲には見事な
彫刻が施されている。
本殿の周囲も精巧な透かし彫りの木彫で飾られており、建立当時は鮮やか
だったろうと想像される塗色もわずかに残っていた。
建物自体は小さいが、菊の紋章のある旧本殿の高良社は、延徳3年(1491)
の建立で、室町時代の特長をよく残すことから国重文である。
八幡宿の外れからも浅間山がよく見える。ライラックはこの周辺にあちこち
で咲いていた。
八幡宿を抜け、布施川を渡って百沢集落へ。狭い街道沿いに古い家並みが
並んでいた。上り坂となり、広葉樹の新緑に覆われた瓜生坂一里塚を通過し、
瓜生坂の上で休憩した。
急坂を下って橋を渡り、望月宿に入る。連子格子の古い家並みが幾つか残っ
ている。現代風の家を含め民家には、笹屋、大和屋、井桁屋など、それぞれに
屋号が下がっていた。
望月の家並みを抜けて国道を横断、青木坂を越えて茂田井に向かって下る。
狭い道の両側は、白壁土蔵造りなどの古い家並みが続いている。
中で目立つ建物が、2つの造り酒屋、武重本家酒造と大澤酒造。大澤酒造に
入り、民俗資料館と書かれた建物で、清酒や濁り酒、甘酒などを試飲させて
もらう。
邸内には、信州の絵や書などを展示する建物もあり、それらも見学もした。
次の芦田宿を抜ける辺りで、中山道を反対方向に進む一人のウオーカーと
行き違い、激励を交わす。
国道を斜めに交差すると、笠取峠へのゆるい上りとなり、県の天然記念物に
なっている松並木が続いている。
笠取峠の松並木は、小諸藩が幕府から下付された数百本の赤松を、近隣の
村人とともに植樹したもので、歌川広重の「木曾街道六十九次」芦田宿にも描か
れている中山道の名所の一つである。
長い歳月の間、風害に痛み枯れ、大正13年(1924)に229本あったが、平成
5年現在は110本に減っているという。
松並木の終わり近くにある休憩所で昼食とし、宿から届いたおにぎりやトマト
などをいただく。周辺の斜面にはヤマツツジがたくさん咲いていた。トイレは
かやぶき屋根である。
昼食の終わるころから雨が本降りになった。雨具を着けて笠取峠に向かって
出発する。
笠取峠一里塚付近が標高876m、間もなく峠に着く。峠の西南一帯は学者村
と呼ばれる別荘地になっている。
峠からは国道142号沿いに下るのだが、3年前には無かった「中山道原道」の
表示があり、ヘヤピンカーブの続く国道をショートカットする草の道を下った。
ほぼ下りきったところに松尾神社がある。赤松の前に、諏訪大社の御柱と同様
な柱が2本立ち、りっぱなしめ縄がかかっていた。
長久保宿に入ってすぐ、「一福処濱屋」の看板がかかったりっぱな民家に入る。
長久保宿歴史資料館で、ピカピカに磨かれた板の間にいろりがあり、土間には
農具などが並んでいた。セルフでお茶も飲めるようになっており、トイレを借り
て小休止した。
家並みの中心で90度左折して南東に向かい、依田川沿いの田園地帯に出る。
中山道は国道を進むのだが、車を避けて東側の民家のすそ行く旧道を1.5km
ほど進んだ。
手前から来た大門川と依田川が合流する落合橋を渡り、青原交差点にあった
東屋で休憩する。
与田川右岸に平行する国道に入って下和田の集落に沿って進む。上深山口
バス停には、かやぶきの待合所があった。
両側に迫る山の斜面は、淡い新緑がいっぱいで、雨に濡れた風情が昔と変わ
らぬ中山道らしいたたずまいを見せてくれる。
古い石碑の並ぶ三千僧接待所や、童子と獅子舞の掘られた珍しい道祖神の
前を通過、杉木立下にかやぶきの本殿のある若宮八幡社の三差路から右手の
旧道に入る。
和田宿の入口にある八幡神社も、社殿の屋根はかやぶき。
宿の中心にある十字路際に石起き屋根のりっぱな和田宿本陣が残っている。
そばの脇本陣前に作られた休憩所が今日のゴール。15時49分に着いた。
今夜の宿も国民宿舎もちづき荘。迎えのマイクロバスで2泊目の宿に向かった。
(天気 曇り後雨、距離 28km、歩行地 佐久市(旧浅科村、望月町)、
立科村、長和町(旧和田村))
受けた方もおられるのではないでしょうか…。
中山道ウオーク塩名田宿から和田宿までの報告です。
06年5月17日(水) 塩名田~和田
宿泊した国民宿舎もちづき荘付近は、ヤマツツジが花盛り。南側の山かげ
から雪の残る蓼科山の山頂付近が少しだけ望まれる。
国民宿舎を7時30分にマイクロバスで出る。昨日のゴール、塩名田宿の佐久
市公民館浅科地区館まで送ってもらい、8時1分に38名がスタートした。
千曲川の中津橋際に、船つなぎ石の説明板があった。千曲川は荒れ川で、
2~3年に1回は橋が流されたという。そこで明治6年(1873)に船橋会社が
つくられ、9艘の舟をつないでその上に板をかけて橋とした。船つなぎ石は、
その舟をつなぎ止めたもので、明治25年に木橋が架けられるまで使われた
という。
御馬寄(みまよせ)集落を抜けると田園地帯となり、早苗田の向こうにも浅間
山が大きく姿を見せてくれた。
八幡宿の東端にあった八幡神社で最初の休憩。鳥居の先に境内を覆うように
大ケヤキがそびえ、その奥に2階建ての随神門が立つ。門の周囲には見事な
彫刻が施されている。
本殿の周囲も精巧な透かし彫りの木彫で飾られており、建立当時は鮮やか
だったろうと想像される塗色もわずかに残っていた。
建物自体は小さいが、菊の紋章のある旧本殿の高良社は、延徳3年(1491)
の建立で、室町時代の特長をよく残すことから国重文である。
八幡宿の外れからも浅間山がよく見える。ライラックはこの周辺にあちこち
で咲いていた。
八幡宿を抜け、布施川を渡って百沢集落へ。狭い街道沿いに古い家並みが
並んでいた。上り坂となり、広葉樹の新緑に覆われた瓜生坂一里塚を通過し、
瓜生坂の上で休憩した。
急坂を下って橋を渡り、望月宿に入る。連子格子の古い家並みが幾つか残っ
ている。現代風の家を含め民家には、笹屋、大和屋、井桁屋など、それぞれに
屋号が下がっていた。
望月の家並みを抜けて国道を横断、青木坂を越えて茂田井に向かって下る。
狭い道の両側は、白壁土蔵造りなどの古い家並みが続いている。
中で目立つ建物が、2つの造り酒屋、武重本家酒造と大澤酒造。大澤酒造に
入り、民俗資料館と書かれた建物で、清酒や濁り酒、甘酒などを試飲させて
もらう。
邸内には、信州の絵や書などを展示する建物もあり、それらも見学もした。
次の芦田宿を抜ける辺りで、中山道を反対方向に進む一人のウオーカーと
行き違い、激励を交わす。
国道を斜めに交差すると、笠取峠へのゆるい上りとなり、県の天然記念物に
なっている松並木が続いている。
笠取峠の松並木は、小諸藩が幕府から下付された数百本の赤松を、近隣の
村人とともに植樹したもので、歌川広重の「木曾街道六十九次」芦田宿にも描か
れている中山道の名所の一つである。
長い歳月の間、風害に痛み枯れ、大正13年(1924)に229本あったが、平成
5年現在は110本に減っているという。
松並木の終わり近くにある休憩所で昼食とし、宿から届いたおにぎりやトマト
などをいただく。周辺の斜面にはヤマツツジがたくさん咲いていた。トイレは
かやぶき屋根である。
昼食の終わるころから雨が本降りになった。雨具を着けて笠取峠に向かって
出発する。
笠取峠一里塚付近が標高876m、間もなく峠に着く。峠の西南一帯は学者村
と呼ばれる別荘地になっている。
峠からは国道142号沿いに下るのだが、3年前には無かった「中山道原道」の
表示があり、ヘヤピンカーブの続く国道をショートカットする草の道を下った。
ほぼ下りきったところに松尾神社がある。赤松の前に、諏訪大社の御柱と同様
な柱が2本立ち、りっぱなしめ縄がかかっていた。
長久保宿に入ってすぐ、「一福処濱屋」の看板がかかったりっぱな民家に入る。
長久保宿歴史資料館で、ピカピカに磨かれた板の間にいろりがあり、土間には
農具などが並んでいた。セルフでお茶も飲めるようになっており、トイレを借り
て小休止した。
家並みの中心で90度左折して南東に向かい、依田川沿いの田園地帯に出る。
中山道は国道を進むのだが、車を避けて東側の民家のすそ行く旧道を1.5km
ほど進んだ。
手前から来た大門川と依田川が合流する落合橋を渡り、青原交差点にあった
東屋で休憩する。
与田川右岸に平行する国道に入って下和田の集落に沿って進む。上深山口
バス停には、かやぶきの待合所があった。
両側に迫る山の斜面は、淡い新緑がいっぱいで、雨に濡れた風情が昔と変わ
らぬ中山道らしいたたずまいを見せてくれる。
古い石碑の並ぶ三千僧接待所や、童子と獅子舞の掘られた珍しい道祖神の
前を通過、杉木立下にかやぶきの本殿のある若宮八幡社の三差路から右手の
旧道に入る。
和田宿の入口にある八幡神社も、社殿の屋根はかやぶき。
宿の中心にある十字路際に石起き屋根のりっぱな和田宿本陣が残っている。
そばの脇本陣前に作られた休憩所が今日のゴール。15時49分に着いた。
今夜の宿も国民宿舎もちづき荘。迎えのマイクロバスで2泊目の宿に向かった。
(天気 曇り後雨、距離 28km、歩行地 佐久市(旧浅科村、望月町)、
立科村、長和町(旧和田村))