あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(前編)・高知その9

2006-09-28 21:36:17 | 初めての四国遍路
 今日も午前中は快晴で、西の方に奥武蔵の山並みがよく見え
ました。その山並みなどを見ながら西の方にあるY病院へ行き、
市民検診を受けてきました。毎年1回、市の費用で健康診断を
してくれるのです。

 帰りがけに、近くのコスモス畑に回ってみましたが、花の盛り
は少し過ぎていたので、写真の紹介は省略します。

 引き続き、四国遍路記をお届けします。


 第16日 2004年3月6日(土) 晴一時雨
 =横波スカイラインを行く=
 
 6時20分起床、7時朝食、外へ出たら小雨が降っていたので、
ポンチョを着用して7時40分に国民宿舎を出る。昨夜泊まった
歩き遍路は私だけだったようだ。

 この先、37番へ向かうには、宇佐大橋まで戻り、横浪三里と
呼ぶ浦ノ内湾の北岸を西に進む道もあるのだが、私は、横波
スカイラインと呼ぶ、湾の南側の稜線を抜ける県道47号を行く
ことにした。次の37番までは約55kmある。

 数戸の別荘地を過ぎ、須崎市に入った辺りでウグイスが鳴き
青空が広がる。強風注意報が出ていたが、まだ風はない。

 ずっと見えていた南側の太平洋だけでなく、北側の入り江も
少しだけ見えた。

 道はゆるい上り下りとカーブの繰り返し。カーブの内側を回る
ようにして距離の短縮を図る。北側に、明徳義塾中・高校へ下る
標識が出たあたりから、昨日渡った宇佐大橋が見えた。

 帷子崎の付け根にある駐車場で小休止。この辺りもウグイスの
競演。また雨が降ってきた。

 車も少なく誰もいない道を1人でテクテク歩いていると、「歩かせ
てもらえるのは、家族や地元の方など大勢の人たちのおかげだ」
という感謝の気持ちが高まり、それらの人たちに代わってしっかり
とお参りをしなくては、と思った。

 雨は小雪まじりとなったが、寒さよりは暖かさを感じる。歩かせて
もらえることに感謝しているからだろうか…。

 そんなことを考えながら歩いていたら、向こうから逆打ちの男性
遍路が2人が来た。韓国の僧侶と通訳役の若い韓国人男性である。

 「どこから来ましたか」と聞かれたので、埼玉からと答えたら、この
僧侶は2年前、韓日のワールドカップ会場20を結んで4000kmを
歩いた方だと言い、そのことを報じた2002年4月26日の埼玉新聞
を見せてくれた。

 「韓国を歩く際は、ぜひご連絡下さい。宿の便を図ります」とも言わ
れ、住所氏名入りの納札を頂いた。国境を越えた思いがけぬ嬉しい
出会いであった。


 丸い建物が現れ、入口に「心のあかり」と記された近くに、駐車
場があったので休む。また晴れてきて、ビジャゴ鼻と呼ばれる辺り
は、南側の海が逆光にきらめく。


 更に進むと一昨日知った武市半平太の像が立つ駐車場があり、
もう一度休憩。雨も上がったようなのでポンチョも閉まった。


 再び歩き出しながら、一昨年12月に急逝した従兄弟のT君と
一緒に歩けたら、あるいは四国遍路の話が出来たらよかった
なのになーと、彼のことをふと思い出す。

 甲崎という岬の手前、エメラルドグリーンの海がひときわ鮮やか。
いよいよ半島も終わりに近づき、下り道となった。

 板材の並ぶ土佐工芸村を過ぎ、浦ノ内湾に向かって下る。海上
に浮かぶ「浮標」「竜宮」、そして「潮騒」と呼ぶ3つの海鮮レストラ
ンがあった。

 須崎市営の大きなドームの体育館と野球場や、カヌーが並ぶ湾
の横を通過して、浦内東分に入ったら、「休んで行きませんか」と
少し年輩の奥様から声をかけられ、自宅の縁先に案内された。

 名古屋市や瀬戸市などで45年間、看護の仕事をされ、12年前
に辞められたというMMさんで、健康な余生を送れるようにと、恩
返しにお接待を続けておられるという。

 明日、1番霊山寺を出ると報じられていた、大人の引きこもりの
人たちの歩き遍路にも関わりを持たれているようで、昨年の記録
や今年の資料を見せて下さった。

 縁側で、ポンカン、干しいも、もち、お茶、抹茶入りくず湯などを
いただいた。失礼しようとしたら、ビニール袋にポンカン、干しいも、
ポカリスェット缶なども持たせて下さり、道路際まで見送っていた
だき、大変恐縮した。

 このような丁重なお接待をしていただき、なんだか今日は右膝
の痛みも薄らいだようで、嬉しい。

 浦ノ内湾最奥にかかる辺りで、行く手に見える山が雨模様なの
に気づく。急いでポンチョを付けたら、間もなくみぞれになった。

 浦ノ内湾北回りコースと合流する三差路に出て、県道23号に
入る。鳥越トンネルに向かう上り坂、12時を過ぎたのに吐く息が
白い。

 ペンライトを付けてトンネルを通過、下った棚田の隅にパンジー
がたくさん咲いていた。

 次のカーブで逆打ちの男性遍路と行き違い、そのあと自転車
遍路に抜かれた。店もなく、しばらく昼食にありつけそうもないの
で、頂いた干し芋を口に入れる。

 住友大阪セメントの、複雑な形のプラント塔が正面に見えてきた。
南風が強まり、菅笠を押さえる機会が多くなった。

 押岡簡易郵便局の先で押岡川の橋を渡る。住友セメント沿いに
進み、須崎港最奥部の大峰橋を渡った。港の奥を半周してJR
土讃線沿いに進んで須崎駅前を通過する。


 片側歩道が広い川端シンボルロードを進むと、少し先から堀川を
暗渠にしてせせらぎの流れる遊歩道になる。この辺りは須崎市の
中心街らしく、官公庁が多い。

 町外れにあった番外霊場・大善寺に参拝して読経をする。真新し
い大師堂は道路沿いだが、本堂は石段を上がって須崎湾を見下
ろす台地上にある。

 本堂も近年再建したよう。境内を掃除中の女性から、ミカンを2
つお接待いただいた。

 大きな、スーパーフジの先、国道56号の北側に、道の駅「かわ
うその里すさき」があった。

 2階のレストランに上がり、昼食を頼もうとメニューを見ていたら、
隣席で食事を終えたご夫妻が立ち上がり、奥さんから声をかけら
れた。少し話した後、「ご接待します、きつねうどんでいいですか」
と言われ、レジで自分の分と合わせて払って帰られた。

 出てきた腰の強いうどんをすすっていると、奥さんのあまりにも
自然のふるまいに、思わず涙がこぼれて止まらない。自分には
どんな恩返しが出来るのだろうかと思いながら、ありがたく頂いた。

 食後、1階の農産物などの直売場を回っていたら、普段着だが
どこかで見かけた顔とバッタリ。お互いに顔を見比べ、アッそうだ、
27番神峰寺に一緒に上がった台車の遍路氏と分かった。

 5日ぶりの再会だ。先ほどのスーパーを今夜の野宿場所に決め、
食料などの調達に来たらしい。「またお会いましょう」と言って
分かれた。

 国道56号を3つのトンネルで抜ける。いずれも歩道が無く、ライト
を照らして注意深く進んだ。

 今日の宿、岬旅館に16時21分に着いた。早速風呂に入らせて
もらい、18時夕食。食堂も兼営だが宿泊客は私だけだった。


 今日は3人もの方からお接待をいただき、右膝の痛みも感ぜず
に歩けた。明日もこの調子で歩けるよう祈りたい。

〈コースタイム〉国民宿舎土佐7:40ー須崎市境8:05ー帷子崎8:35~
40ー福良の駐車場9:24~30ー武市半平太像のある駐車場9:51~
10:06ー海賊料理「浮標」横10:51ーMさん宅(お接待)11:03~40ー北
回りとの合流点12:14ー押岡簡易郵便局13:16ー須崎駅前13:58ー
番外霊場大善寺14:28~47ー道の駅すさき(昼食)15:03~30ー岬旅
館16:21

(距離 29km、歩行地 土佐市、須崎市、歩数 47,700) 
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