あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢航空発祥記念館とYS-11

2006-09-20 23:15:23 | 所沢だより
 今日、9月20日は何の日かご存じでしたか。
そう、ファンの方はご存じのとおり、「空の日」です。

 そこで、久しぶりに所沢航空記念公園内にある「所沢航空発祥記念
館」に行って来ました。

 半円筒形の建物は飛行機のエンジンを、真ん中の入口上は、複葉機の
翼をかたどったものです。

 航空発祥記念館のある所沢航空記念公園周辺や、北側に残る米軍
所沢基地などは、明治44年(1911)4月1日、日本最初の飛行場が
誕生したところです。

 その4日後には、徳川好敏大尉の操縦するアンリ・ファルマン機が、
初の飛行に成功しました。

 以来、所沢飛行場は、日本最初の国産軍用機「会式1号機」をはじめ、
初期の飛行機や飛行船の製作、パイロット訓練などがすべて行われる
など、昭和20年(1945)の終戦までの間、わが国の航空技術の発展
を支えてきました。

 その記念の地に創設されたのが、所沢航空発祥記念館なのです。

 館内では、航空機の飛行原理や、航空技術、歴史をはじめ、迫力
ある多数の実機や映像などで、航空機のことが理解できます。

 また、模擬飛行体験の出来るフライトシミュレーターや実験装置、
大型映像館などがあります。

 その一端を写真で紹介します。

 初めは、明治44年(1911)所沢飛行場場の初飛行の日の模型です。

 これはその日、飛行している写真です。 


 次は、所沢飛行場にあった陸軍航空整備学校の建物の写真。


 所沢を舞った飛行機はたくさんありますが、初期の飛行機です。


 館内の展示の目だまは、幾つもある実機です。その一部をご覧下さい。


 航空自衛隊の飛行機やヘリコプターも展示されています。


 実機の幾つかは、大ドームの天井からつり下げられています。


 ロールスロイス社などのエンジンも幾つか並んでいます。


 ほかに、すぐ近くにある東京航空交通管制部で平成4年(1992)まで
使われていた管制装置、実際に操作して操縦の感覚が得られるフライト
シミュレーター、所沢飛行場の歴史紹介などの展示があります。

 ところで先日の新聞で、『戦後初の国産輸送機「YS-11」が、9月末
で国内の旅客の定期運行を終える』ことを、ご覧になった方も多いかと
思います。

 YS-11は、1962年に初飛行し、日本航空機製造が1973年まで
182機製造した双発プロペラの名機です。

 YS-11の退役に伴い、国立科学博物館(東京・上野公園内)では、
きょうから10月20日まで、「YS-11 国産旅客機44年の軌跡」と
題した特別展示を行います。


 所沢航空発祥記念館でも、「さよなら日本の翼YS-11」という企画展
を10月9日まで開催中で、写真家青木勝氏の「YS-11名機伝説」と
題する写真展や、ミニ模型の展示などをしていました。


 青木氏のすばらしいYS-11の写真の数々は撮影禁止でしたので
紹介できません。こちらは、一般の人から募集した写真の一部です。


 また、最寄り駅、西武新宿線航空公園駅前に展示してあるYS-11の
実機(下の写真)が10月1日10時~15時に特別公開され、内部に入っ
て見学することが出来ます。


 航空ファンの方、飛行機に興味のある方は、この機会にお出かけ下さい

 なお、所沢航空発祥記念館のWebアドレスは下記のとおりです。
 http://tam-web.jsf.or.jp/cont/index.htm



 
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京の伝統野菜・鹿ヶ谷カボチャ

2006-09-20 18:42:00 | Weblog
 昨日のブログの最初で、鹿ヶ谷(ししがたに)カボチャを収穫した
ことをお伝えしましたが、今日は実物の写真をご覧いただきましょう。

 ご覧のように多く市販されているセイヨウカボチャとは形も表面も
かなり違います。長さは約23cm、重さは約3kgでした。

 鹿ヶ谷カボチャは、寛政(1789~1801)から文化年間(1804~
18)ころに、山城国粟田村(現在の京都市東山区粟田口)の農夫が、
奥州津軽(青森県)から、カボチャの種を分けてもらい、これを近くの
鹿ヶ谷村(現在の左京区鹿ヶ谷)の農家に分け与え、栽培されたのが
始まりとのことです。

 初めは普通のカボチャのように菊座形だったのが、栽培しているうち
にヒョウタン形になり、鹿ヶ谷を中心に普及し、京の伝統野菜となった
ようです。

 ちなみに、「京の伝統野菜」として、「鹿ヶ谷カボチャ」「賀茂ナス」
「聖護院カブ」「壬生(みぶ)菜」「堀川ゴボウ」などが挙げられます。

 鹿ヶ谷の住連山安楽寺(左京区鹿ヶ谷御所ノ段町)では、毎年7月
下旬に、中風まじないの「鹿ヶ谷カボチャ供養」が行われ、当日は鹿ヶ
谷カボチャを煮炊きしたものが、参拝者に振る舞われるそうです。

 「鹿ヶ谷カボチャを夏の土用に食べると中風にかからない」という真空
上人のお告げにより始まったと伝えられているとか。

 鹿ヶ谷カボチャは西洋カボチャに比べ、成人病予防に有効なリノレン
酸が6.8倍、リンが2.6倍、ビタミンCが1.7倍、カリウムが1.4倍も
含まれていると、京都府衛生公害研究所が発表しています。


 わが家の家庭菜園の鹿ヶ谷カボチャは、まだ葉も緑で一つだけ花も
咲いていますが、ほかには実っていそうにありませんでした。

 
 味は淡泊とのことですが、どんなおいしさなのか、食べるのが楽しみ
です。


 
 
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四国遍路道ある記(前編)・高知その3

2006-09-19 22:45:04 | 初めての四国遍路
 久しぶりに貸し農園の畑(わが家のすぐ東)に行き、モロヘイヤ、
シシトウガラシ、ミョウガ、鹿ヶ谷(ししがたに)カボチャ(1つだけ)
を収穫しました。

 いずれも量はわずかですが、収穫するのは楽しみなものです。

 引き続き今日も、四国遍路道ある記です。


 第10日 2004年2月29日(日) 雨後晴 
                  <25番津照寺~26番金剛頂寺>
 =痛む右膝をかばいながら=
 
 前夜半から風が強まり、激しく室戸荘の雨戸をゆらした。5時50分
に起床、朝になっても風は治まらず、岬の波が白く砕け散るのが
見える。

 6時30分朝食、午前中に雨は上がる予報だが、まだ風が強く、
出ようとしたら雨も強まった。雨具で完全装備して7時15分に出発、
でも、横なぐりの雨でたちまち靴の中まで濡れる。

 前方もよく見られないが、海は白い波しぶきが上がり、海鳴りが
ゴーゴーとほえている。

 しかし、間もなく風は弱まり雨も小降りになり、室戸漁港付近では雨
は止んだ。水産高の先で旧道に入る。「昭和9年海嘯襲来地点」という
標石があった。何のことだろうか。

 後で広辞苑を引いたら、海嘯(かいしょう)とは「満潮が河川を遡る
際に、前面が垂直の壁となって、激しく波立ちながら進行する現象」
とあった。

 いったん国道55五号と交差し、間もなく25番津照寺(しんしょうじ)。
また雨が降ってきた。

 大師堂は納経所の横だが、本堂は急な石段の上である。

 本堂には、昨日会った3人の若い女性歩き遍路と男性の歩き遍路
1人がいた。

 下りが右膝に利いて痛い。寺の前に薬局があったので、インサイド
テープという関節痛の貼り薬を購入する。店の薬剤師さんからは、
「一日休めば治る」と言われた。

 室津の町並みを抜け、国道55号と再交差して、山側の旧道を進む。
国道に出て間もなくT字路を北に入り、山すその集落から山道のへんろ
道を上がる。

 狭い道で、ぬれた木々の間をかき分けて上がるところもある。26番
金剛頂寺(こんごうちょうじ)は、汗をかいて上った山の中腹にあった。

 山門に大きなわらじが奉納されている。立派な鐘楼もあったので、
久しぶりに鐘をついた。

 納経所にいた例の若い3人の女性は、東京、千葉の人で、高知県
内の区切り打ちとのこと。納経所の人に道を聞いていたので一緒に
教えてもらう。

 教えに従い山門まで戻らず、納経所の横から西に出た。しばらくは
少年自然の家に向かって上がり、標識に従い「農免道路」に入る。

 2車線の道が、ゆるやかな上り下りを繰り返して畑や林の間を抜け
ている。車も少ないので歩きやすい。

 谷間にかかるくらみ橋からは、谷を下った海の白波が見える。

 10時半、雨は上がった。傍士(ぼうじ)集落に向かって下り始めたが、
傾斜がややきつくなり右膝が痛い。

 行く手眼下に、吉良川(きらがわ)の家並みや白波の立つ海が見えて
きた。

 傍士で国道55号に出たが、すぐ旧道に入り、吉良川の家並みへ。
伝統的な建造物が9戸ほどあり、その説明板が立っていた。

 いずれも土蔵ふうの造り、この町は昔は木材の産地だったとか。

 歩いていた人に食堂があるか聞いたが無いという。スーパーを教え
てくれたので、その店で弁当とパンを買い、その先の大きな忠霊塔の
ある公園で昼食にした。

 間もなく国道55号に出て、立石海岸の保安林沿いの歩道を進む。
薄日が出てきて、やがて青空が広がり、暖かくなってきた。

 舟場で旧道へ。羽根病院前バス停で休憩。この辺のバス停には皆、
屋根があり、腰掛けて休めるので歩き遍路にとってはありがたい。

 羽根の町並みが終わる市民会館の先で市営住宅団地を抜け、中山
峠越えのへんろ道に入った。暑くなりなんだか眠い。

 2度車道を横切り、上り下りを2、3度繰り返す。棚田にレンゲがいっ
ぱい咲き、羽根の町並みの展望が開けてきた。

 台地上の田んぼに沿ったへんろ道は、やわらかな草に覆われ気持ち
よい。

 台地上の小集落を抜け、海に向かっての下りとなる。これが右膝に
痛く、折り畳み杖を頼りに加領郷までゆっくりと下った。

 国道55号に出ると、「弘法大師霊石」と刻まれた大きな石碑が立って
いた。白波の寄せる海岸を眺めながら進む。


 杉材が一杯並ぶ奈半利(なはり)材木共販所を過ぎ、ゆるやかな峠を
越えて奈半利の町並みへ。Aコープ奈半利の先から右手の家並みに入り、
16時40分、山本旅館に着いた。

 古くからの旅館のようだが、部屋、トイレ、洗面所、風呂などみな
新しくてきれい。おかみさんも気さくで、よい宿だ。


 夕食はカツオのたたき、ウナギの蒲焼きなど、郷土料理をおいしく
頂いた。

 洗濯機も使わせてもらい、今日の客は私1人だけというので、部屋
も2間貸し切り。洗濯物も部屋一杯に干せた。

 夕食中、飛び込みの歩き遍路から電話があり、あとから着いた。

 〈コースタイム〉室戸荘7:15ー室戸漁港7:50ー室戸水産高先(旧道
へ)8:10ー25番津照寺8:32~57ー26番金剛頂寺10:01~33ー傍士
(R55へ)11:50ー忠霊等のある公園(昼食)12:12~52ーー羽根病院前
バス停14:04~11ー中山峠へのへんろ道へ14:30ー加領郷東口BS
15:15ー山本旅館16:40

(距離 30km、歩行地 室戸市、奈半利町、歩数 50,600)



 

 
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四国遍路道ある記(前編)・高知その2

2006-09-18 22:16:19 | 初めての四国遍路
 敬老の日の今日は、連れ合いと東京・吉祥寺に出かけ、娘2人から
2日遅れの誕生祝いにと昼食をごちそうになりました。その上、旅行
券までプレゼントしてもらい、嬉しい1日でした。

 四国遍路記は、最長距離の土佐・高知に入っての2日目です。


 第9日 2004年2月28日(土) 晴 <24番最御崎寺>
 =はるかなる室戸岬へ=
 
 5時50分起床、6時20分過ぎからの朝食はカートの遍路さん
(奈良県)と一緒。7時に出発した。

 野根大橋を渡り国道55号に出る。海の向こうに上がったばかり
の太陽が輝く。風がやや冷たい。たくさんのカモメの群が波間に
浮かんでいる。


 伏越岬の先は、海岸側路面の土砂崩壊で片側通行。御水橋の先
に「ゴロゴロ休憩舎」があった。

 ゴロゴロとは石だらけのこの辺の海岸のことで、国道が出来る前
の遍路は、このゴロゴロ石を歩いたという。

 見下ろすととても歩きにくい岩ばかりで、その苦労が忍ばれる。

 この辺り、「室戸岬まで単調な風景が続く」とガイドブックや遍路の
紀行文に書いている人が多いが、先方に4つの岬が見え、一つの
岬を回ると風景が変わるので、私は飽きることはなかった。

 山側でガサガサする。見ると猿がいた。土砂崩れ防止用の網の
上に上がったので、カメラを構えたら逃げてしまった。

 8時過ぎ、暖かくなったので1枚脱ぐ。カートの遍路が先行するの
が見えた。海には定置網のブイが円弧を描いて浮いている。

 魚寄せ地蔵のところに法界上人像入り口の標識があったが寄らず
に通過。道ばたのコンクリートのすき間にスミレが咲いていた。近くに、
車にひかれたらしいタヌキの死骸があった。

 安芸から甲浦へのバスと行き違ったが乗客はいない。野根大橋から
室戸市境の水尻谷まで7km余り家が無く、境界の東側に1戸だけあり
(下の写真)、その先もまた無い。みずみずしいアシタバが自生している。


 地蔵ヶ鼻を回ると佐喜浜の町並みが見えてきた。白花のナズナが
咲いている。入木の番外霊場・佛海庵まで家はなかった。

 佛海庵のある旧道の家並みに入ると、ポンカンとビワの木が多い。
佛海庵は空海上人が没した地。庵の周辺はクスノキなどの常緑樹が
豊かに繁っていた。


 再び国道55号に出ると、コジュケイがにぎやかに鳴く。右膝痛が
また気になり階段下りが痛いので、階段はなるべく避ける。

 佐喜浜の町並みに入り、コンビニ、モンマートで弁当と牛乳を購入、
その先1km余りは旧道の狭い家並みを抜ける。
 
 国道に戻ると、今まで見えていた島影が一つも見えなくなった。
小さい海水浴場の先、民宿徳増の横に、簡単な「お遍路さん休憩所」
があったので休ませてもらった。


 行く手に、4つの巨大な岩が現れた。

 防波堤沿いに進むと、逆打ちの女性遍路が来た。近づくと、巨大な
岩は夫婦岩で、海側の2つにしめ縄が張ってあった。

 そばに駐車場があり、車で来た人が話しかけてきた。一人は埼玉県
吉川市の人で、車も春日部ナンバー。歩き遍路のことをいろいろ聞か
れ、「自分も仕事を辞めたら歩いてみたい」と言われた。

 鹿岡第3バス停付近で正午のチャイムが鳴る。この辺の家は、海か
らの強風よけのためか、石垣やレンガを軒下近くまで積んである。

 2基だけの墓地の後ろで風を避けて昼食。そばに大きなアシタバが
茂っていた。


 清水で狭い家並みの続く旧道へ。校庭が芝生に覆われている椎名
小を過ぎ、国道に戻ると、「椎名の捕鯨山史跡」がある。

 寛永初年(1624)から明治末期まで行われた土佐式捕鯨発祥の地
だとの説明が記されていた。確かにこの背後の山上からは、かなり
先まで海上の展望が利きそうだ。

 その先もまた旧道を進み、椎名橋を渡って国道へ。眼下の岩の上に
釣り人が3人見える。いよいよ室戸岬の先端が現れた。岬の山上には
アンテナが数本立っているのが見える。

 世界で4つ目という高知県海洋深層水研究所前を通過。海中300m
以下から深層水をくみ上げているという。

 高知市方面への県道の三差路を過ぎ、三津漁港横を抜ける。室戸岬
の上に風力発電のアンテナも見えてきた。

 小休止していたら、野宿らしい大荷物の若い男性遍路3人が追い抜い
ていった。

 高岡漁港や白い大きな室戸青年大師像、ビシャコ岩という大岩など
の横を通過、海に面した高い断がいの下に鳥居があり、奥が洞窟に
なっている。

 御蔵洞(みくらど)といい、空海が19歳の時にここに籠もり、悟りを得
た場所だという。500mほどで、24番最御崎寺(ほつみさきじ)への
上り道にかかる。

 下側はコンクリートの階段、上は石段が続く。膝痛を我慢して上り、
常緑樹に囲まれた広い境内に入る。

 納経所はユースホステルにもなっている奥のへんろセンター、バスの
団体宿泊客がいた。

 下りは、折り畳み杖で膝をかばって下りる。岬の方へ回り、16時25分、
民宿室戸荘に入った。

 間もなく入浴の案内、最御崎寺への上りで大汗をかいたので、入浴の
間に洗濯もする。夕食は18時から。缶ビールを飲むとよい気分になり、
今日のデータ整理や明日以降の計画をする気がなくなるので、明日から
は禁酒としよう。
 
 久しぶりに自宅にメールをと思い入力したが、iモード圏外の表示が出て
送れず。明日は午前中雨で、風が強まるという予報。右足の痛みととも
に気がかりだ。

〈コースタイム〉まるたや旅館7:00ー大谷7:58ー室戸市境8:44ー地蔵ヶ
鼻8:50~55ー佛海庵9:20~25ー佐喜浜中9:57ーコンビニモンマート
10:09~15ー尾崎橋10:57ー夫婦岩11:32~46ー鹿岡第三BS12:00ー鹿岡
の墓地(昼食)12:15~48ー県道202号分岐13:54ー三高小14:12ー大谷
14:27~31ー大師修行地・御厨人窟15:05~07ー最御崎寺上り口15:15ー
24番最御崎寺15:36~16:01ー室戸荘16:25

(距離 33km、歩行地 東洋町、室戸市、歩数 54,800)

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カタツムリ歩行・つくばエキスプレス八潮駅

2006-09-17 23:43:27 | カタツムリ歩行
 九州北部は台風13号の上陸で大きな被害が出たようです。被害に
あわれた方には謹んでお見舞い申し上げます。

 首都圏は、夕方から雨の予報でしたが午前中は大丈夫そうなので、
JR武蔵野線周辺を歩いている「カタツムリ歩行」の第157回例会に
参加しました。

 今日のスタートは、昨年8月に開通した新しい鉄道「つくばエキス
プレス」の八潮駅(埼玉県八潮市)です。

 改札口のそばにきれいなステンドグラスがあり、7月に英国・コッツ
ウォルズの教会で見た、幾つかのステンドグラスを思い出しました。

 10時に駅北口をスタートしました。駅周辺は鉄道の開通に合わせて
区画整理が進み、新しい道や、新しい商店、住宅などが出来ていま
した。

 駅東側を南北に走る県道54号に出て、首都高速6号三郷線の八潮
料金所東側下をくぐり、八潮1丁目に入ります。

 民家の軒先の棚に、小さいけれどもたくさんのヒョウタンが、鈴なり
にぶら下がっていました。

 まず、その家の近くの照富久稲荷神社に寄りました。

 入口に復旧碑というのがあり、それによると、「住民の意向を無視
して明治政府によりこの神社が上木曽根地内の氷川神社に強制的に
合祀(ごうし)されてしまったのを、第2次大戦後、交渉して分社して
もらい復興した」ことが記されていました。

 東に進んで大原公園に入りました。この辺り一帯の区画整理で出来
た公園のようです。園内に、「里帰り桜」というのがありました。

 明治45年(1912)に東京市長が日米友好の証としてソメイヨシノ
など12品種の桜苗を米国ワシントンに送りましたが、その苗は、現在
の東京都足立区江北一帯に植えられていた「荒川の五色桜」とよばれ
たもののようです。

 その五色桜が、堤防工事や公害などの影響で衰退したので、足立区
で昭和56年(1981)にワシントンのポトマック河畔から桜の枝を持ち
帰り、里帰りをしたのですが、それを分けてもらったのがこの公園の
5本の桜とのことでした。

 さらに東に進み、八潮7丁目に入ると、「畑まるごと直売所」と書かれ
た小屋がありました。かたわらの畑の生産物を直売する小屋のよう
ですが、なんだか「畑そのものを売る」のかと、一瞬勘違いしました。

 近くにある円照寺には、元禄5年(1692)と読める古い青面金剛が
残っています。

 ほかに江戸時代の五輪塔も幾つかあり、境内のイチョウは、ギンナン
が鈴なりでした。



 墓地の入口に12地蔵尊があったのですが、その真ん中にあるお地蔵
さんは、なんだかこわいような様相です。どうしてこうなったんでしょうか。


 すぐ近くに、明治初期には八幡村村社だった稲荷神社がり、社殿裏手
のマテバシイに実がいっぱい実を付けていました。

 本殿の木彫はなかなか精巧なものです。

 浅い流れにカルガモが遊ぶ葛西(かさい)用水の中馬場橋を渡り、
小さいけれども緑の多い西袋児童公園の横から東に進み、県道115号
を越えて、武蔵三十三観音霊場第22番札所という蓮台寺に行きました。

 ところが正面の門は閉まっていて入れません。

 12時近くなってきたので、ゴールに向かうことにして、県道115号の
大曽根交差点西側の福寿院に行きました。

 境内に、元禄3年(1690)の庚申塔がありました。この辺り一帯は
新興住宅地で、当時の面影はありませんが、ここにも江戸の名残が
あるのです。

 ゴールの大曽根八幡神社はすぐ近く、ちょうど12時に着きました。

 拝殿に参拝して裏手に回ったら、本殿の周囲は精巧な彫刻が施されて
いました。

 神社略記によればこの社は、文亀2年(1502)に勧請されたが、
一説には、後3年の役に源義光が兄義家の援軍のため奉納したとも
伝わるとのことが記されていました。


 昼食後、記念撮影し、Y・敬子さんのオカリナ演奏「小さい秋」「あかと
んぼ」「里の秋」を聞き、私が入れなかった蓮台寺でOさんがもらって
きたというクリの実も見せてもらい、小さい秋を感じながら帰途につき
ました。
 
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四国遍路道ある記(前編)・徳島その8/高知その1

2006-09-16 22:26:12 | 初めての四国遍路
 さいたま市大宮区のソニックシティで、「水循環を支える市民の
役割」をテーマに、『水フォーラム2006』が開催されたので、
参加してきました。

 内容を整理する時間がありませんでしたので、別途報告したいと
思います。引き続き、四国遍路道ある記を続けます。


 第8日 2004年2月27日(金) 晴 
 =徳島県を打ち終え高知県に入る=
 
 5時50分起床、6時50分朝食、チョコレートのお接待をもらい
7時35分に出発。すばらしい青空で風もなく、空気は冷たい。

 23番薬王寺から室戸岬にある24番最御崎寺(ほつみさきじ)まで
は84kmあり、民宿あづまからでも61km先である。

 右膝痛が気がかりなので、ゆっくりしたペースで歩くことにする。
牟岐(むぎ)警察署前に無料接待所があったが、歩き出したばかり
なので寄らずに通過した。


 八坂トンネルを越え、内妻峠から海を見下ろしながら下る。海南町
に入り、番外4番霊場鯖大師に参拝。

 番外霊場の中では参拝者や宿坊への宿泊者が多いところだ。

 大砂トンネルを抜け、フェニックスが茂る大砂海水浴場の先、室戸
阿南海岸国定公園の標識のところで厚手のシャツを脱ぐ。浅川湾には
いかだが幾つも浮かんでいた。


 粟ノ浦で国道55号から湾沿いの旧道に入る。湯川天神社に、「南海
地震津波最高潮位」の標識があった。

 漁船が一杯の浅川港を回り、再び上り下りして大里へ。松原の続く
大里松原海岸を左に見て、県史跡1号、大里古墳前を通過する。

 海部(かいふ)川の手前にあったサンシャイン海南というスーパーで
昼食と牛乳を調達し、トイレを借りる。奥浦の町並みを進み、海部
郵便局で当面の資金を下ろす。


 海部駅(上の写真)の近くで国道に戻り、上り坂を上がって漁火の
森公園の入口を通過、下ると2km以上続く那佐湾沿いに出て、間も
なく宍喰(ししくい)町に入る。

 風弱くおだやかな日より。湿度が低いので汗もかかず快適。右膝
痛もまずまずで、何とか歩けそう。

 那佐湾が終わって旧道に入り、小さい神社横の草地で昼食。波おだ
やかな那佐湾が逆光にきらめく。


 海部から先、JRから変わった阿佐海岸鉄道の線路をくぐり、山側
に回る。民宿はるる亭の前に、ミモザの黄色い花が咲いていた。

 道の駅ししくいの手前で国道に分かれて右へ。宍喰川を渡った正梶
の電柱の、自分の背丈ほどの高さに、1946年12月の南海大地震
最高潮位標があった。

 遍路中にこんな大地震が来たらどうしたらいいんだろうかと思う。

 水床トンネルも歩道工事中、マスクを付けて規制車線を通過。出た
ところが県境で、高知県東洋町。徳島県とともに今まで来たことの
無かった県だ。これで私の未踏の地は宮崎県だけになった。

 甲浦(かんのうら)大橋からは、右手にY字状に入り組んだ甲浦港に
並ぶたくさんの漁船が見下ろせる。


 南に進むと白浜海水浴場。若い2人しか見えない浜辺、ベンチに腰
を下ろし、干潮で砂浜の引いた湾を眺めながらしばし休憩した。


 湾を離れると上り坂となる。右カーブするところに、3人の高年女性
がデコポンやミカンなどをたくさん並べて売っていた。

 通過しようとしたら、それぞれから2つずつミカンのお接待をいた
だき、デコポンの味見もさせてもらった。

 生見の長い砂浜を見下ろしながら下る。まっすぐな道路の両側に、
ポンカン、ミカン、デコポンなどの直売店が十数店続いていた。

 国道55号の標識は、室戸岬へ35kmとなる。相間トンネルでは、
上を越す旧道に回ったら廃棄車の多い汚れた道、距離も2倍近くあり
これは失敗だった。

 高知県に入ってからの国道55号は路側帯が狭く、U字溝の半分以下
でほとんど歩けぬところもある。


 八幡神社の横から平行する旧道に入り、番外霊場・東洋大師に参拝。
間もなく野根の町並みに入り、15時55五分、まるたや旅館に着いた。

 老夫妻の経営する古い旅館。おかみさんがすぐ風呂を用意して下さり、
洗濯もしていただいた。

 夕食はご夫妻と一緒だったが、おかみさんは食欲がないと言い、ほと
んど食べない。体調不良なのに世話をしてもらい、申し訳なく思う。

 昔はこの町にも営林署など官公庁の出先機関があり、出張者のため
の宿が何軒かあったが、出先機関が無くなり、宿もまるたやだけになり、
遍路宿にしたという。

 なお、まるたや旅館は、ご夫妻高齢のため、このあと4月末で廃業
したと知った。よい遍路宿だったので残念だが仕方ない。

 17時前、カートに荷物をつけた歩き遍路が着いた。40何kmかの
長距離を歩いて来たようで、かなりの疲労を訴えていた。

〈コースタイム〉民宿あづま7:35ー鯖大師8:34~58ー大里集落の北
(休憩)10:10~14ー海南町役場南の十字路10:40ー海部駅前11:15ー
宍喰町入り11:35ー那佐の神社(昼食)12:00~36ー東洋町入り13:47ー
白浜海水浴場14:08~18ー東洋大師15:29~45ーまるたや旅館15:55

(距離29km、歩行地 牟岐町、海南町、海部町、宍喰町、高知県
東洋町、歩数 47,400)

 
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西武沿線マンスリーハイク・所沢航空記念公園を歩こう

2006-09-15 22:40:13 | ウオーキング
 少しですが4日ぶりに青空が見えたので、西武沿線マンスリー
ハイキングに出かけました。

 といっても、いつも私が散歩をしている、所沢航空記念公園と
米軍所沢基地の周囲を歩くので、道筋はおなじみのところです。

 スタートの西武新宿線新所沢駅で地図をもらい、地図を見ながら
ゴールの航空公園駅まで約7kmのコース、2時間足らずです。

 =西武沿線マンスリーハイキング 9月コース
  日本の航空発祥の地 所沢航空記念公園を歩こう!=

 10時22分に新所沢駅東口をスタート、東口商店街を経て、国立
身体障害者リハビリテーションセンター西側に出ました。
  

 けやき並木の広い歩道を進んで、リハビリテーションセンターの正面
(南側)に回ります。

 広いリハビリテーションセンターの構内を見ながら東に進むと、米軍
所沢基地が見えてきます。市の中心にある米軍基地の全面返還は、
所沢市民の長くからの願いです。 
    

 米軍所沢基地は、東京の横田基地(福生(ふっさ)市、瑞穂町ほか)を
発着する米軍機の管制通信の役割を担っているので、返還はかなり
難しそうです。
     

 基地正面から、基地西側に沿って西北に向かいます。

 この歩道の西側には、一昨年の埼玉国体のバスケットボール会場、
所沢市民体育館があります。現在は、プロバスケットボールチーム
「埼玉ブロンコス」のホームゲームの主会場です。


 米軍基地北西端付近には、キクイモがたくさん咲いていました。


 基地の北側を東から東南へと回り込んで行きます。西側に奥武蔵の
山並みが見えてきました。もう少し先まで行くと、冬などの天気のよい
日は、富士山も展望できます。

     
 基地の周辺は、このような金網に囲まれていて、ところどころに
警告板も張ってあり、「米軍基地」であることを、まざまざと認識
させられます。
     

 基地の反対側(東)にある所沢中央高正門では、週末の文化祭に
備え、飾り付けをしていました。

 その先、高層住宅の立つ並木通り団地や所沢東部浄水場の横を
通り、南に向きを変えます。
 

 この通りにはニセアカシヤなど、緑が一杯の歩道が800mほど
続いていて、私のお気に入りのコースです。車道は見えませんが、
この左側を走っています。

 米軍基地の南東端を過ぎ、成田空港と羽田空港周辺の航空管制
をしている国道交通省 東京航空交通管制部の先から、所沢航空
記念公園に入りました。

 埼玉県立所沢航空記念公園は、日本最初の飛行場・所沢飛行場
があった場所です。

 第2次大戦後、米軍に接収されて基地となったのですが、最初に
回ったリハビリテーションセンターや市民体育館周辺、そして南側
のこの公園一帯は返還されたところなのです。
     
 公園の東端に、複葉飛行機をかたどった作品が展示されています。


 公園は、東西1.2km、南北500mほどあり、緑の木立や太い
桜、芝生広場、池、約2kmのランニングコースなどがあります。

 県立博物館である航空発祥記念館前の芝生広場には、遠足に来た
幼稚園児が賑やかに遊んでいました。背後は、所沢市役所です。

 公園の西端に回ると、ゴールの航空公園駅、写真を撮りながら
ゆっくり歩きましたが、12時13分に着きました。

 コースの半分以上は米軍基地の外周を回るのですが、いずれも広い
歩道があるので、安心して歩け、最後は緑いっぱいの航空記念公園
なので、ゆっくりと昼食をするのにもよい場所です。

 ゴールで、もらった地図の端にある応募票に書き込んで、応募箱に
入れておくと、抽選で、西武沿線の1日フリーきっぷや、アウトドア
シューズなどが計30名に当たります。

 このウオーキングは、9月一杯、いつでも歩けるので、天気のよい
日や、時間のある日などに歩いてみることが出来ます。お近くの方や
沿線の方など、半日のウオーキングにいかがでしょうか。


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四国遍路道ある記(前編)・徳島その7

2006-09-14 21:38:20 | 初めての四国遍路
 四国遍路道ある記も7日目、徳島県も最終コースとなりました。


 第7日 2004年2月26日(木) 晴 <23番薬王寺>
 =トンネルの多い国道55号を行く=
 
 5時50分起床、6時半朝食、7時11分に出発する。平等寺門前で
改めて参拝し南に向かう。

 馬場の家並みを抜け、県道284号を南へ。女子小学生の「おはよう
ございます」の挨拶が気持ちよい。このあたりも竹林が多い。

 月夜のT字路は「日和佐」の標識に従い左折、この道は1車線あるか
なしで狭く、細かいカーブの連続である。

 心地よいウグイスの声を聞きながら緩い上りで峠を越え、国道に向か
って下る。国道に出るまでの間に通過した車は1台だけだった。

 国道55号に出るとトンネル通過が増える。間もなく釘打トンネル(301
m)、懐中電灯を用意したが、歩道があるのでライトをつけずに抜けた。
出たところに、室戸まで96kmの標識があった。

 地図を見ると福井ダムの左岸上だが、ダムは見えない。22番奥の院、
弥谷観音へ500mの標識近くに、へんろ小屋第3号(釘打)があった。

 ヒノキ材の小屋で、座布団と本10冊ほどが置いてある。

 次の福井トンネルも歩道があった。小野集落は旧道を抜ける。途中、
「小野の一里松跡」の標識が立っていた。

 棚田の上に猪よけのトタン板が並ぶ。モウソウチクを出荷すためだろ
うか、竹林に竹を割った段があり、運搬用の道もついている。

 星越トンネルは歩道がないので懐中電灯を点灯、抜けると日和佐町。
久望トンネルを出たところに休憩舎があったので休んだ。

 深瀬では、民家から掛樋(かけひ)に冷水が流れていたので飲ませて
いただく。これもありがたいお接待である。


 ぼうだい橋から北河内川の対岸の旧道に入る。多少回り道だが、小
石がゆらめくきれいな流れと、ウグイスのさえずる気持ちよい道だ。

 国道のようなアップダウンと、車のわずらわしさから解放される。

 県道294号を経て、北河内駅(下の写真)の先で国道55号に出た。
今日は右膝にやや痛みを感じる。


 日和佐川を渡って12時過ぎ、23番薬王寺に着いた。山門に大わらじ
が奉納され、大師堂前には枝の伸びた大ケヤキが立つ。


 厄除けの寺として知られ、石段に1円、5円などをまきながら上がる人
が多い。最上部には、還暦厄よけの霊験あらたかという、新しい瑜木塔
(ゆぎとう)(上の写真)があり、塔の前からは町並み川や海の展望がよい。


 右膝の痛みで、瑜木塔からの下りはちょっときつかった。

 門前は参詣客のための食堂や土産物店が多い。その一つ、うどん
「やすらぎ」に入り、名物、厄除けうどんを注文する。

 食べ終わった頃、客は私一人、若い店長が、「まめは出来ていないか」
と声をかけてきた。「まめはないが右膝が痛い」と言うと、足の不調でここ
から帰る人が結構いるという。私は、途中で帰るはめにはなりたくない。

 日和佐駅を過ぎ、奥潟川沿いに西に向かう。奥潟トンネルの先で南風
が吹き、杉林から杉花粉がたくさん飛び散った。

 日和佐トンネルでは歩道の設置工事中。マスクと腕章を着けさせられ、
規制された車線を進む。3月末には完成予定とか。全部のトンネルに
早く歩道を設けて欲しい。

 国道はJR牟岐(むぎ)線と平行して進む。逆打ちの男性遍路が来た。
今日は東洋町を出て、23番薬王寺まで歩くという。かなりの距離だ。

 牟岐線のトンネル上をオーバークロスするところが峠で、その先は橘川
に沿って下る。辺川駅先のT字路上に番外霊場、小松大師の標識があっ
たが、膝痛なので寄らずに通過する。


 川又では国道の東側の旧道へ。車が来ないので安心して歩ける。消防
団の建物のそばで国道に戻り、16時40分、牟岐駅前の交差点角にある
民宿あづまに着いた。

 食堂兼営のおかみ、MSさん(68)はとても話好き。部屋に案内する前に、
ひとしきり話が続く。

 15年前、50歳のご主人を亡くし、やったことのない店を引き継ぎ、その
上、孫2人を育てたりして苦労を重ねたとのこと。

 最近は車で四国遍路の区り打ちを続け、よその店の応対を、自店での
対応に生かしているという。

 厚いパジャマとガウンが浴衣代わり。夕食は、お遍路さんからもらった
という御影帳や、地元出身の上田利治元監督のサインなどが飾られた
食堂で。

 まず、お手製の食前酒(梅酒)をすすめられる。料理も盛りだくさん。
いろいろな話を聞きながらおいしくいただいた。

 私には多すぎる大瓶ビールで、気持ちよく眠くなり、今日のレポート
づくりがはかどらない。右膝痛が明日治るかも気がかりだ。

〈コースタイム〉山茶花7:11ー国道55号へ8:30ーへんろ小屋3号8:41ー
室戸へ93㎞地点9:01~19ー久望トンネル南10:22ー北河内駅11:45ー
23番薬王寺12:07~40ーうどん・やすらぎ(昼食)12:43~13:11ー寒葉
坂上15:03~14ー小松大師下15:57ー民宿あづま16:40

(距離 36km、歩行地 阿南市、由岐町、日和佐町、牟岐町、歩数
 58,900)
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四国遍路道ある記(前編)・徳島その6

2006-09-13 23:00:23 | 初めての四国遍路
 今日も1日雨で、最高気温も20℃前後と10月下旬並みとか。
長袖とブルゾンを着用して外出しました。

 引き続き四国遍路道ある記・徳島の続きを報告します。


 第6日 2004年2月25日(水) 曇後晴 <20番鶴林寺~22番平等寺>
 =二つ目のへんろ転がしを越える=
 
 5時50分起床、6時20分朝食、7時5分に出発する。雲が一杯だが
雨の心配はなさそう。

 今日は「1に焼山、2にお鶴、3に太龍寺」といわれる2つのへんろ
転がし、鶴林寺(かくりんじ)と太龍寺(たいりゅうじ)越えである。

 民宿の少し先からへんろ道に入る。家並みが途切れると、西側の
勝浦川沿いの集落やその向こうの山並みの展望が開けてきた。


 ミカン畑の間の上りですぐに汗ばみ、厚手のシャツを1枚脱ぐ。
今朝もウグイスがきれいな声でさえずる。

 ミカン畑が終わると疑木の階段。疲労が片寄らぬよう、足の踏み
出しと折り畳み杖を持つ手を、意識して交互に変える。

 林道を横断して先行のSさんを抜く。上り一方の道だが、1時間
15分で20番鶴林寺に着いた。

 重厚な山門をくぐり、静寂な杉木立とこけむす岩の間を上がる。
ゲラが「トトトトト……」と木を突く。

 本堂の両脇に鶴の彫刻がある。境内には、ゆうべ同宿のご夫妻と
Mさん、そして車で来たご夫妻のみ。

 納経印をもらい、山門まで戻らずに大師堂の前から、太龍寺へ
向かう急坂のへんろ道を下る。

 落ち葉の多い杉林は疑木の階段の急降下、下りなのに緊張して
汗が出る。車道まで下って、ほっとしてひと休みした。

 再び杉林の下ってゆくと、ご神木の大杉が立つ八幡神社があり、
ほどなく大井の車道へ。神光本宮という新興宗教の新しい社殿の
先、水井橋で那賀川を渡る。


 支流の若杉谷川の手前から、川の左岸に沿ったへんろ道に入る。
歩きやすい簡易舗装の道、心地よい水音をはるか下から聞きなが
ら進むと、こけむす東屋(あずまや)があった。

 阿南市史跡・若杉山遺跡の説明板があり、ここは全国最古の
辰砂(しんしゃ)生産地とのこと。辰砂とは水銀朱のことで、縄文
時代から赤い顔料として土器を彩ったのだという。

 歩いていると、こういう新しい知識や発見が増えるのが楽しみだ。

 いつの間にか右岸に回り、ウグイスのさえずりを聞きながら沢沿い
に進む。沢を離れて山道となって間もなく、石鳥居があるが社殿
のない神社跡らしいところに出た。

 周辺に数枚の棚田があり、農作業を終えたご夫妻が帰り支度中。
ご挨拶をしたら、奥さんからミカンのお接待をいただいた。

 山間にあるこの棚田周辺には鹿が多く、田植え後すぐに食べられ
てしまうので目が離せないとのこと。

 神社に大きな木があるのに気づき、聞くとムクノキだという。以前、
この辺りには集落があったのだが、皆、下りてしまったとも話して
くれた。確かに、近くに1戸だけ建物が残っていた。

 その先は疑木の付いた緩やかな上りが続き、やがて平等寺への
分岐に出た。11時過ぎ、21番太龍寺の風格ある山門をくぐる。

 太い杉木立に囲まれた参道、かなりの傾斜を上がり、もう一つ山門
をくぐって納経所横に着く。幽玄な山上の霊場というふんい気。本堂
には、灯の入ったすかし灯籠がたくさん下がっていた。

 本堂と大師堂の間に古い多宝塔、納経所のそばには六角堂がある。
納経所の建物の廊下は、龍天井と呼ばれ、天井に龍が描かれていた。

 納経を終え山門に下る途中で、野宿で回っているという大荷物の
逆打ち遍路氏が上がってきた。

 お勧めの宿とそうでない宿、遍路に心暖かい喫茶、歩き遍路に
冷たい札所のことなど、いろいろ話してくれた。「いい出会いを
つくって下さい」と言われて分かれる。

 山門を出て沢沿いに車道をどんどん下る。「車道太龍寺参道」と
記された三差路の隅にシートを広げて昼食。青空が広がってきた。

 黒川集落に下る。棚田のそばに龍山荘、加茂川との合流点には
坂口屋と、2つの民宿があった。

 県道28号、阿南小松島線は沢沿いの道、途中で、少しだけ小魚
の泳ぐ小川に沿ったあぜ道に入って県道をショートカット、阿瀬比
町で国道195号を横断する。

 すぐ先に、へんろ小屋2号と記された休憩舎があった。阿瀬比
地区住民の善意と近畿大教授・歌一洋さんの設計企画で生まれた
と記された新しい建物。

 ただし宿泊はお断りと書いてあり、太龍寺で会った野宿遍路氏の
苦言が、ノートに記されていた。類似のものはこの後、何カ所かで
お目にかかる。

 その先は、野宿遍路氏お勧めのへんろ道。ミカン畑や田んぼの
横を進む簡易舗装の快適な道。ミカン畑が終わると杉林。


 木漏れ日の林をトラバース、その先の林も歩きやすく、今日は
もちろん、今まで一番のへんろ道だった。


 黒牛の牛舎を見下ろして岡花の車道に出る。西光寺集落を抜けて
22番平等寺(びょうどうじ)に着いた。

 手水鉢に実の付いたナンテンの葉があり、寺の心配りが嬉しい。
こぢんまりした寺だが、本堂には千羽鶴が下がり、本堂下の斜面に
スイセンが花盛りで気に入った。


 今日の宿は、山門のすぐ東、食堂兼営の山茶花。部屋は8畳間で
明るく、すぐに入れてもらった風呂にはお湯があふれ、洗濯機、乾燥
機とも無料で使わせてもらった。

 18時からの夕食も、盛りだくさんでおいしい。料理が多いので
ご飯は1杯で十分。3日ぶりの缶ビールがうまく、満足した。

 同宿は、きのうもご一緒した奈良市のご夫妻。2日くらいずつの
区切り打ちを続けているが、2人とも足にまめが出来たので、明日
は帰るとのことだった。

 へんろ転がしも案ずるほどでなく、車の多い国道歩きもなく、天気
もおだやか、この5日間で最良の宿と、よいことづくめだった。

〈コースタイム〉金子や7:05~20番鶴林寺8:20~45ー若杉谷川へんろ
道入り口9:40ー若杉山遺跡10:08~11ー21番太龍寺11:07~12:00ー
「車道太龍寺参道」標(昼食)12:28~58ー民宿龍山荘前13:20ーへんろ
小屋2号13:55~14:04ー峠(平等寺へ3㎞)14:33ー牛舎下15:00~05ー
22番平等寺15:28~50ー民宿山茶花15:50

(距離 22km、歩行地 勝浦町、阿南市、歩数37,700)

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四国遍路道ある記(前編)・徳島その5

2006-09-12 21:55:04 | 初めての四国遍路
 1日雨で、すっかり涼しくなりました。秋の長雨シーズンに入った
ようで、しばらくこのような日が続くのでしょうか。

 四国遍路記は5日目です。遍路を始めるにあたり、デジカメを買った
のですが、持参したメモリが少な目だったので、この辺りでは1日数枚
しか撮りませんでした。


 第5日 2004年2月24日(火) 晴 <18番恩山寺~19番立江寺>
 =初会式でにぎわう立江寺=
 
 5時40分起床。今日の予想最高気温は11℃。6時半に朝食をして、
7時4分に出発する。

 徳島市の中心街、幅広い国道438号を南下。宿の近くに、徳島市
の展望台、盾山(びざん)ロープウェイの山麓駅がある。

 早めにコンビニで昼食を買ったが、その先の国道沿いに幾つもコン
ビニがあった。

 JR牟岐線二軒屋駅の先で線路の東側に出て、国道55号に入る。
園瀬川の上流、西南に見える山すそに霞がたなびく。

 今朝は風も治まりおだやかな天気だが、気温は低く吐く息は白い。
朝のラッシュ時とあり、国道55号は車の洪水。特に上りは2車線とも
途切れなく車が続く。

 一昨日の焼山越えの筋肉痛が残り、右膝にも少し違和感を感じた
が、歩いているうちに消えた。

 徳島市から小松島市に入る。勝浦川橋付近で「室戸120km」の
標識が出た。

 冷えたせいか大小を催す。中郷町の交差点にレストラン食堂の大き
な建物があった。開店前だが掃除中の人に聞き、トイレを借用し、すっ
きりする。

 芝生川橋の先で国道に分かれて県道136号のへんろ道へ。恩山寺
への分岐に、「源義経上陸地」の碑が立つ。

 元暦2年(1185)2月18日、平家討伐のため義経がこの地に上陸
したのだという。

 緩やかな坂の途中、「ほよう橋」のそばに県天然記念物ビランジュの
大木があった。こぶの出た赤銅色の木肌が珍しい。

 ほどなく18番恩山寺である。石段の前に新しい修行大師像が立つ。
寺は山の中腹にあり、杉木立に囲まれた静かなたたずまい。

 本尊薬師如来と書かれた赤い幟が幾つもはためく。納経所の近くに
は、納屋風の建物に弘法大師の10大弟子像が並んでいた。

 下り道の途中で、牛舎の横から竹林を抜けるへんろ道に入る。
緩やかに上り下りして、竹林を抜けたところに弘法大師おむつき堂と
いう古いお堂があった。

 再び県道136号に出て、田園地帯を進む。溝ノ木に煙火工場が
あり、3尺玉を打ち上げる大きな打ち上げ筒が見える。近くを通過
するとき、火薬の匂いがした。

 次の立江寺ゆかりのお経塚前を通過、平成橋で立江川を渡り、川
沿いに進んで門前の通りに入ると、なんだか人通りが多い。

 何かと思ったら、23日~25日が立江寺の初会式だというポスター
が貼ってあった。今日はお会式の中日なのだ。



 お会式に来た人が門前の露天にも境内にも多く、遍路の雰囲気には
ちょっとなじまず、異質な感じで19番立江寺に入る。

 本堂、大師堂のほか、多宝塔など幾つものお堂があり、善男善女が
たくさんお参りしている。隅の方で読経をして早々に仁王門を出た。

 参道に並ぶ露天のそばで、自転車で参詣に来たという男性から甘夏
のお接待をいただいた。宿以外でのお接待は初めてだ。

 朱塗りの白鷺橋を渡り、県道28号へ。南側は広々とした田んぼ。
トンビがのどかにピーヒョロロと鳴きながら飛んでいる。

 地形図を見て、昼食の適地と目星をつけた2つ目の神社、天満神社
に上がる。
 
 根元から枝分かれした太いクスノキがあり、その木陰のレンゲ咲く
草地にシートを広げて食事。

 クスノキには何の標識もないが、県天然記念物にしてもよさそうな
見事な木。そばの紅梅も見頃で、絶好の昼食地だった。

 その先、湯谷の桜渕八幡宮にも太いクスノキと県天然記念物フウの
大木があった。

 ところで、歩いているうちに、この付近の山は竹林が多いことに気
づいた。

 この先、高知県内でも杉林を浸食した竹林があちこちにあり、やがて
四国は竹林に覆われてしまうのではないかとさえ思われるほどだった。

 山口の先のT字路を右折して県道20号に入る。路幅の狭いところが
あり、車に注意して進む。

 掛谷のT字路で勝浦川沿いの県道16号へ。赤ずきんのお地蔵さんが
静かに見守ってくれている。

 両側の山は急傾斜の中腹まで柑橘(かんきつ)畑になっている。

 西岡のJA近くの店の外に甘夏やミカンが置いてあり、「おへんろさん
へ」と書いてあったので、一ついただいた。

 今日の宿は、鶴林寺への上り口に近い民宿金子や。後から日本ウオ
ーキング協会の「空海のみち」の一行16人が着くようなので急いで洗濯
をする。

 風呂は、10人くらい入れる大きな浴槽だが湯は温め。部屋は16畳を
半分に仕切ったところだったので、隣の話が筒抜けだった。

〈コースタイム〉ビジネス近藤7:03ー冷田川の橋7:50ーレストラン食堂
8:55~9:06ー18番恩山寺9:50~10:12ー19番立江寺11:15~37ー櫛渕町
の天満神社(昼食)12:08~49ー掛谷のT字路13:50ー民宿金子や14:50

(天気 晴、距離 26km、歩行地 徳島市、小松島市、勝浦町、歩数
 42,600)

 
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