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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

英国・ウィンチコム郊外のスードリー城

2007-07-09 23:30:34 | 英国いろいろ
 1年前の今日は、英国・コッツウオルドウェイのウオーキング
に出かけていました。

 すでにその模様は、カテゴリー「英国のウオーキング」や、
「英国いろいろ」で紹介していますが、7月9日は、参加者が
各々行きたいところに出かけるというフリータイムの日だった
ので、私は、宿から数㎞の町、ウインチコムとその周辺を、1
日かけて約17kmほど歩き回りました。

 町並みに入る前に、郊外に残る古城・スードリー城(Sudeley
 Castle)を訪ねたので、その写真の幾つかを紹介します。

===========================

 2006年7月9日(日)
 =英国・ウインチコムのスードリー城= 

 スードリー城は、英国国教会を設立した、ヘンリー8世の未亡
人、キャサリーン・パーが住まいとした城ですが、19世紀前半
までの約180年間は、廃墟として放置されていたのを、バッキ
ンガム侯爵がリフォームして、公開しているとのことでした。

 入口の看板


 城内から見える周辺の風景、コッツウオルズ地方のあちこちで、
このような起伏の丘陵が見晴らせます。


 城の一部は、廃墟と化していました。


 場内には、きれいに整えられた庭園が広がります。








 幾つもある建物の中には教会もあり、中に入るときれいな
ステンドグラスが見られます。










 中心になる石造り2階建ての建物内部には、16~18世紀に
使われた家具、食器、衣装、絵画、漁具、装飾品などの展示も
あり、当時の城主の暮らしぶりが理解出来るようになっています。

 また、一部の建物は現在も住んでいるプライベートエリアに
なっていて、その一角は非公開でした。
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カントリーウオーク金子(埼玉・東京)

2007-07-08 23:54:34 | カントリーウオーク
 7月8日(日)、埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオーク
グループの例会で、埼玉県入間市から東京都青梅市、埼玉県
飯能市にかけて、丘陵沿いの集落や、阿須丘陵のハイキング
コースを歩いた。



 集合地のJR八高線金子駅には22人が集まる。5組に分か
れ、10時9分にスタートした。

 
 =山ろくを寺竹から今井へ=
 
 わがグループは、八高線の東側沿いに北に向かう。大きな
コイの泳ぐ霞川を渡り、左岸沿いの「汽車ぽっぽ乃御花畑」と
名付けられた、季節の花が色とりどりに咲く細いエリアを、次
の橋際まで進む。

 花を育成している地元の方が、草取りなどの作業中だった。

 八瀬橋から県道218号を北に、すぐ先の寺竹交差点まで行
き、北側に並行する旧道に入る。霞川の南側一帯は、広大な
狭山茶の茶畑が広がっているので、この辺りには、日本茶の
製造販売の坂本園など、幾つかの茶園が見られた。

 旧道をすぐ先で右折し、標高170mほどの山腹にある高養
寺に行く。本堂は、寺としては珍しい、ふつうの民家風な造り。

 境内に、芝の増上寺銘の大きな石灯ろうがあった。入口の
石段横には、ちょっと変わった石塔もある。


 寺の西側の林間を少し上がり、林間を西に進む。水道タンク
の北を回り、JR八高線沿いの車道に出た。

 線路沿いを下って踏切を渡り、並行する県道218号のすぐ
西側にある泉蔵院に入る。

 建久年間(1190~9)創建の古寺で、徳川3代将軍家光公
の朱印状など、徳川家ゆかりの記録が残るという。

 境内の大イチョウは、回りが枯れているが、中の新芽がかな
り太く育っている。


 東西に走る県道63号の北に並行する旧道を、南峯から木蓮
寺集落へ。

 桂川神社では、誕生間もない赤ちゃんの健やかな成長を祈願
する初参りの家族が、参拝を終えたところ。社殿背後に、しめ
縄をかけたご神木の太い杉が立つていた。

 山腹に広大な墓地の並ぶ、西東京コスモパーク霊園の南側を
通過し、そばのT字路際で小休止。

 茶畑を見下ろす一角に、サルスベリやハンゲショウが咲いて
いた。

 木蓮寺集落の西端から、竹林やヒノキ林などの間の土の道に
入る。高圧線の下あたりから、道は埼玉・東京の都県境沿いと
なり、西側は東京都青梅市である。

 薄暗い林の下を北西に進んで、病院の南側で南北に走る車道
に出た。

 車道の西側は国立音楽大の敷地。大きく枝を広げたネムの木
に、淡い彩りの花がいっぱい咲いていた。

 武蔵野台病院の南を回り、今井1丁目の住宅地を進み、11時
39分、昼食地の薬王寺に入った。

 本尊薬師如来は、聖徳太子の作といわれ、法相宗(ほつそう
しゆう)の僧・良誓が持ってきて建立したと伝えられているという。

 良誓は暦応2年(1339)没といわれ、同年の板碑も残って
いるようだが、足利尊氏の開基という説もあるという。

 2階部分に銅鐘の下がる、鐘楼門をくぐると、りっぱな本堂が
西向きに立ち、西側の広い斜面一帯にツツジの植え込みが広
がる。

 近くの塩船観音には規模の点で及ばぬながら、花どきには
なかなかみごとであろうと想像される。


 北側の谷間には、色とりどりのアジサイが咲き競い、その一
角に、「四国八十八ヶ所お砂踏み道」が出来ていた。

 本堂横手のぬれ縁付近で昼食をさせてもらう。
 
 =七国峠から阿須丘陵を東へ=

 
 記念撮影をして、13時ちょうどに全員で午後のコースに
向かう。

 
 あちこちにみごとなノウゼンカズラの咲く今井1丁目から藤橋
1丁目へと山腹の旧道を進み、木野下1丁目の山腹にある
木野下神社で小休止する。

 境内にはりっぱな杉が数本立ち、盆踊りの舞台を造った相
撲場もある。

 ここで折返しとなり、山腹を東北に緩やかに上がって都道
44号線の笹仁田峠(179m)に出た。東側の山林に入り、
阿須丘陵七国コースと名付けられたスギやヒノキの下の遊歩
道を東北に上がる。

 700mほどで標高225.9m三角点のある分岐に出て、
稜線上の歩きやすい土道を北へ進む。間もなく七国峠、
展望が開けていれば七つの国が見えたのだろうが、現在は
ヒノキ林で全く見通しは利かない。

 都道の西側一帯から、こちら側の山林全部が、立正佼正
会の敷地らしく、その支部の名を記した立て札があちこち
に立っている。

 霞丘陵ハイキングコースの標識もあり、標高238m点まで
進んで東北から東へと緩やかに方角を換え、稜線上の歩き
やすい遊歩道をさらに3km近く進む。


 標高139.9mの四等三角点を確認し、近くの長沢寺へ
下る。境内で休憩後ミーティングをして、15時50分ころ
解散する。

 帰路はそれぞれが、西武池袋線の飯能駅または元加治駅
へ向かう。


 私は元加治駅へ向かい、JR八高線下を東に抜け、カヌー
の浮かぶ入間川を渡り、16時21分に元加治駅に着いた。

(天気 曇、参加 21人、距離 13km、地図 青梅、
 歩行地 入間市、青梅市、飯能市)
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関東百駅巡礼歩行・養老渓谷(千葉県)

2007-07-07 23:46:35 | 関東百駅巡礼歩行
 カントリーウオーカー・やまさん企画の関東百駅巡礼歩行、
第36回は、今日7月7日(土)、房総半島の中ほど、小湊
鉄道の養老渓谷駅周辺を歩いた。



 JR内房線五井駅から2両の小湊鉄道に乗り約1時間、
10時23分に養老渓谷駅に着く。

 今日のメンバーは、やまさんのほか、藤沢市のIさんとMさ
ん、それに私(カメラマン)、いずれも常連である。


 駅の東側踏切を越えて南側に回り、まず近くの宝林寺へ。
入口に、十二支の干支を侍らせた地蔵さんが並んでいた。


 戦国時代の館山城主や久留里城主だった里見義堯公の長
女、里見種姫が、大多喜城主・正木大太郎に嫁したが、第2
次国府台合戦にて25歳で戦死したため、種姫は22歳で尼
僧となり、永禄7年(1564)8月、宝林寺を開基し、生涯を送
ったという。

 墓地には、代々の住職の墓と並んで里見種姫の墓がある。


 大きな本堂は、寛政2年(1790)の再建とか。緑あふれる
境内は、約2000坪あるという。

 西側の車道に下り、さらに並行するもう一つの車道に回り、
深い渓谷の養老川にかかる朱塗りの渓谷橋を渡る。

 最初横切った車道にかかる、宝衛橋が左下に見下ろせる。


 すぐ先、垂直に立つ岩をうがって、延命地蔵堂があった。


 十数戸の集落を下り、宝衛橋の延長上の車道に出る。緑
あふれる沼が、小雨にしっとりとした風情を見せる。


 その先を流れる養老川の支流の地図上、1km足らずの中
に、流れのトンネルが3つも記されているので確かめることに
した。



 最初のトンネルは、坂を上がる別の車道の下にある(上の地
図の1の位置)ので、その道を上がってみたが、木が茂ってい
て分からない。

 もとの車道を先に少し進むと、そばまで行けないが断層の下
がくり貫かれている様子が見えた。この下を流れているらしい。


 次のトンネル(地図の2の位置)を見ようとさらに進む途中、
「七色滝」の案内板があったので、流れまで下りてみた。

 対岸の垂直の岩から、細い流れが落ちていたが、小雨模様
で薄暗く、色の変化は分からない。太陽にでも当たると七色
に見えるのだろうか…。 


 次の川のトンネルは、車道が川の上を横切り、水道施設の
立つところにあった。

 上流側に、流れまで下れるハシゴが置いてあったので下っ
てみたら、確かにぽっかりトンネルが空いていた。

 江戸時代にでも掘ったのだろうか。手堀りである。この辺
りの地形図を見ると、ほかにも幾つも流れのトンネルがある。

 なぜこのようなトンネルを掘ったのか。興味深い謎だ。

 流れのトンネルが確認出来たので、もとの道を途中まで
戻り、十数戸の集落を抜ける細道を進む。

 雨に濡れたルドベキアが、緑の中に鮮やかな彩り。


 宝衛橋近くまで戻り、ヘヤピン状に折れて坂を上がり、さらに
2回ヘヤピン状に下って、養老渓谷温泉街の近くにある釣り橋
を渡る。

 近くの日枝神社で昼食にした。

 小さいが、なかなか趣のある社殿。境内も狭いが、太い杉が
何本か並んでいた。

 近くの民家の作業場で、小鳥の巣箱のようなものを作ってい
る人がいた。FKさん(72歳)で、8月に新盆の家があり、その
家で新盆法要に使う、ローソクを点すものだという。 

 「岩風呂」と記された建物など、数戸の温泉施設が並ぶ付近
から、飛び石を渡って養老渓谷の中瀬遊歩道に入る。


 この付近の養老川は1枚岩が続き、左岸の遊歩道沿いには、
モミジが多い。休憩所のポスターを見ると、11月下旬から12
月上旬にかけて、養老渓谷は深紅の紅葉に彩られるようだ。


 遊歩道を900mほど進むと、養老川にもう一つの支流が
合流しており、「弘文洞跡」の説明板が立つていた。

 正面が支流で、ここは約140年前にトンネルをうがったが、
昭和54年(1979)5月に崩壊して、このような景観になっ
たのだという。

 遊歩道をもとに戻り、温泉街を抜ける車道を上がり、峠を
下って小湊鉄道の踏切を越える。

 駅周辺の朝生原集落に入り、カーブ点の三差路を少し進ん
だところにある、窯焼きパンの店「酪」で休憩し、15時ちょう
ど、養老渓谷駅に戻った。

 15時9分発五井行きで帰途につく。

(天気 小雨後曇り、距離 9km、標高差累積 700m、
 地図(1/2.5万) 大多喜、歩行地 市原市、大多喜町)

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梅雨の晴れ間に

2007-07-05 22:28:25 | 所沢だより
 梅雨の晴れ間で、首都圏は日が差して暑くなりました。

 年4回発行されるOB会の会報の、配布ボランティアで、
所沢市内西南部を受け持っていますが、7月号が届いた
ので、昨日と今日とで24戸の配達に回りました。



 前回の配布をして最後の1戸という直前で、軽自動車に
後方から接触された交通事故にあったことは、翌日などに
このブログで報告しました。

 一時的に意識を失って救急車で病院に運ばれ、1日だけ
でしたが入院したのが、4月7日(土)のことでした。

 お陰様でその後は異常なく、後遺症の発症があるかも
しれないといわれた3か月になりましたが、頭痛なども
無く、どうやら大丈夫のようです。

 今日も、交通事故にあった日と同じ、起伏のある丘陵
地の住宅地を、西武園ゴルフ場の北側や、多摩湖、狭山
湖の近くまで回りました。

 西武園ゴルフ場近くの住宅地には、りっぱなユリが咲い
ていました。


 隣の家には、カシワバアジサイが花を開いています。


 多摩湖に近い、展望の開けた台地の畑に咲くヒマワリ。


 近くの畑には、ルドベキアに似た花がたくさん咲き、
チョウも来ていました。

 この花は、別の場所にもあちこちで咲いていました。

 狭山湖の堰堤(えんてい)下部、上山口の住宅地に挟まれ
たところには、数枚の水田があります。

 水に恵まれぬ所沢市は、昔から田んぼは少なかったよう
ですが、いまはここだけではないかと思います。


 いつもお参りする、狭山丘陵の林に囲まれた堀口天神に
今日も参拝し、背後の丘陵を林に沿って上がって行くと、
トラノオが咲いていました。




 その先、所沢市西部浄水場の横を下る途中には、アガ
パンサスでしょうか、畑の隅に咲いています。


 近くの畑には、リアトリスが青空に向かって花を開いて
いました。


 小さい起伏の続くこのコース、今日は18戸に配布した
のですが、歩行距離約13km、高低差約470mでした。

 

 

 

 
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四国遍路道からの海(8)

2007-07-04 22:57:17 | 四国遍路あれこれ


 四国遍路道から見る海シリーズも、今年2月からの後半に
入りました。後半でも、海岸に近いところはかなり歩くのです
が、海の見える場所は意外に少なかったのです。

 後半5日目の2月22日(木)、松山市の北部、JR予讃線
堀江駅の先で、県道347号は海沿いに出ました。

 この日は風もなく、波静かな海が広がります。


 間もなく、愛媛の銘菓「一六タルト」と、活魚料理「海鮮北斗」
の大きな看板が立っています。

 この歩道の突き当たりに見える、大きな瓦屋根の建物が、
海鮮北斗の店です。

 歩き遍路をされた方は、この看板はよく覚えておられること
でしょう。 

 松山市北条(旧北条市)の中心街を抜け、番外霊場鎌大師
を過ぎ、浅海(あさなみ)の家並みを抜けて岬をまわります。

 岬を抜けるトンネルは、JR予讃線です。

 さらに海沿いに進み、菊間瓦の瓦製造所の並ぶ今治市菊間
(旧菊間町)や、番外霊場遍照院を過ぎました。

 JR予讃線伊予亀岡駅の先、国道196号からの前方の眺め
です。


 この日の宿は今治市大西町(旧大西町)。大西町の産業は
タオルと造船。港のドックに大型船舶が見えてきました。


 2月23日(金)は、大西駅前の宿を出て、54番延命寺から
59番国分寺まで回り、今治市の東端に近い温泉地、湯ノ浦
にある公共の宿・今治湯ノ浦ハイツまで歩きました。

 翌朝、湯ノ浦ハイツの部屋から見る瀬戸内海です。


 その後10日ほどは、瀬戸内海に沿って東に向かいますが、
ほとんど海を見ることなく進みました。

 遍路も終わりに近づいた3月6日(火)、高松市街地の東、屋島
山上の84番屋島寺にお参りし、東側の展望台に出ました。

 眼下に、源平の合戦地・壇ノ浦が見下ろせます。左側が瀬戸内
海に伸びているのですが、住宅の密集地しているところも当時は
海だったようです。

 対岸にそびえるピークは八栗山、この中腹が85番八栗寺です。

 八栗寺に参拝して南に下り、志度湾沿いに東へ、86番志度寺
に向かいます。

 志度の町並みに入る手前、琴平電鉄原駅近くからの瀬戸内海。

 向こうに見えるのは、岡山県の山並みです。

 翌3月7日(水)、女体山を越えて無事88番大窪寺に結願し、
大窪寺そばの民宿八十窪に泊まりました。

 3月8日(木)、1番霊山寺へ向かい、愛媛・徳島県境の大坂峠
を目指します。

 午後、愛媛県北東端の東かがわ市(旧引田町(ひけたちょう))
まで進み、大坂峠へのへんろ道にかかりました。

 少し上がって振り返ると、引田の町並みが見えてきます。


 大坂峠(380m)近くまで上がり、樹間から見下ろす瀬戸内海。


 この日は、3番金泉寺に近い徳島県板野町の板野駅前泊、
翌日午前、1番霊山寺に戻りました。  (この項 完)
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四国遍路道からの海(7)

2007-07-03 22:10:31 | 四国遍路あれこれ


 2006年12月1日(金)朝、土佐清水市の西端から大月町
に入り、小才角の小さい湾を回り、次の月灘の湾沿いに国道
321号を進みます。


 湾の西側にあるへんろ小屋14号大月で小休止の後、番外
霊場月山神社に向かってへんろ道を上がります。

 上がり始めた坂の途中からは、通過してきた月灘の港が見
下ろせます。

 番外霊場月山神社に参拝し、最近復元された大月へんろ道
を上がります。

 途中、切り開かれた展望台からの、紺碧の海の眺めも、なか
なかのものです。


 その先を下った赤泊の浜辺はゴロゴロした石が並んでいます。

 ちょっと歩きにくい石の上を300mほど進んで、そばの車道
へ上がりました。 

 この日は、近くのNさん宅に伺い、江戸時代の遍路札を拝見、
大月町の中心街を抜け、北側の宿毛(すくも)市に入って間も
ない小筑紫(こづくし)の、海に面した大島屋旅館泊まりでした。  

 旅館の部屋から見た、日没直後の小築紫港。

 師走初日、16時33分でこんな感じです。

 12月2日(土)、小筑紫から3kmほど、宿毛湾に面した国道
321号沿いに、道の駅すくもがあります。

 上と下の写真は、道の駅からの宿毛湾の眺めです。


 宿毛市街に入り、岡本旅館に荷を預け、39番延光寺に参拝
し、打ち戻っての岡本旅館泊まりでした。

 12月3日(日)朝、宿毛市街を西に抜け、県境の松尾峠を目
指します。

 最後の集落・小深浦を通過し、ミカン畑にある番外霊場子安
地蔵を過ぎると、峠への上りとなります。

 展望が開け、ベンチのあるところからの南側の眺め。


 峠が近づき、さらに展望が広がりました。


 高知・愛媛県境の松尾峠には、9時40分に到着。長かった
けれども、きれいな海をたくさん見た、高知県ともお別れです。


 初回の遍路で、大変よい思い出を作ってもらった愛媛県
愛南町(旧御荘町)の民宿磯屋に泊まり、思い出話をおかみ
さんと交わし、12月4日(月)朝、磯屋を後にしました。

 国道56号で愛南町の町並みを西に抜けると、緩やかな上
り坂へ。坂の途中から見下ろす御荘(みしょう)湾です。


 いったん海から離れ、内海(うちうみ)に向かって下ります。
再び現れた海には、真珠養殖のいかだが浮かんでいました。

 このあたりは、三重県の英虞湾などとともに、真珠養殖の盛ん
なところのようです。

 愛南町内海の中心街から川沿いを入り、柏坂へんろ道に向か
います。

 標高470mの柏坂に上がり、少し進んだ「つわな奥」と呼ぶ
好展望地からは、入り組んだ岬が見下ろせます。 

 初回の遍路では、「トレッキング・ザ空海」という催しに参加し、
この地で昼食後、三味線奏者・月岡祐紀子さんの遍路小唄
などの演奏を聴いて感激したものでした。       (続く)
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四国遍路道からの海(6)

2007-07-02 22:32:31 | 四国遍路あれこれ


 2006年11月30日(木)、国道321号で土佐清水市街を
抜け、あしずり湾を回って、落窪海岸へと進みます。

 このあたりは、化石連痕(かせきれんこん)と呼ばれる、細い
ひだのある岩がたくさん露出していました。


 昭和21年(1946)の南海地震により隆起したものです。 


 国道はいったん暖帯林の山間に回り、三崎で海岸に戻りました。
 
 すぐ先の竜串(たつくし)は、足摺宇和海国定公園の景勝地の
ひとつです。


 竜串海岸近くには、この景勝地に来る観光客のための旅館や
民宿が数軒見られました。


 竜串の西南端にある爪白キャンプ場付近から振り返ると変わっ
た構造物の足摺海洋館が見えていました。

 この建物の下部に設けられた展望用ガラスから、海中で泳ぐ
魚などが見られるようになっているようです。

 化石連痕ではありませんが、この周辺も岩礁がたくさん見られ
ました。


 国道は、右側の岬を貫く下川口トンネルで抜け、下川口の小さ
い漁港を回ります。


 下川口から1kmくらい進んで振り返る、先ほどの岬。

 逆光で陰になったひとつ前の写真は、この岬の向こう側
から撮ったものです。

 さらに4kmほど進み、小さい港町、大津に近づいたあた
りです。

 この日は、大津の民宿叶崎(かなえさき)に泊まりました。

 師走に入った12月1日(土)、民宿叶崎を7時に出発します。

 近くの大津大橋に出たら、ちょうど太陽が上がって間もない
ところでした。


 国道321号から振り返る岬と岩礁。


 土佐清水市の西南端にある岬、叶崎には灯台が立っています。

 灯台のそばにある展望台からの、紺碧の海と岩礁の展望は
なかなかのもの。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑も立っていま
した。


 少し進むと見下ろす展望も変わり、この先も楽しみです。


 この先2km足らずで、番外霊場月山神社のある大月町に
入ります。                       (続く)
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四国遍路道からの海(5)

2007-07-01 22:36:20 | 四国遍路あれこれ


 2006年11月28日(火)、高知県黒潮町の民宿日の出を出発
し、四万十市(しまんとし)(旧中村市)に入ります。

 清流四万十川の四万十大橋を渡り、全長1620mの新伊豆田
トンネルを抜けると、土佐清水市です。

 下ノ加江川の川口近くの橋を渡って海沿いに出て、少しずつ上
がって行くと、海蝕景観と呼ぶ岩礁などが見下ろせます。


 高みから見下ろす、波の寄せる岩礁。

 この先少しで、この日の民宿久百々(くもも)です。

 おかみさんの温かいもてなしと、たくさんのお接待をいただき、
翌11月29日は、いよいよ足摺岬を目指します。

 久百々から3kmほどで、大岐の浜と呼ぶ砂浜が見えてきま
した。1km余り続くこの砂浜が昔からの遍路道なのです。


 砂浜は、靴が砂にめり込むので、歩きよいとはいえませんが、
乾ききっていない波打ち際の方が、砂が閉まっていて、歩きや
すいですね。

 ただ、あまり水辺だと、寄せ波を被ることになりかねません。

 間もなく終わりというあたりで振り返る大岐の浜。


 少し先、以布利港のある以布利から、次の集落窪津の間に
県道27号を短縮する以布利(いふり)遍路道があります。

 その遍路道から見下ろす、通過してきた西側の展望です。


 県道27号は次第に高みに上がり、暖帯林で海も見えなく
なりましたが、足摺岬まで1kmほどに近づいたあたりで、
ちょっとだけ見下ろせるところがありました。


 正午過ぎ、足摺岬の先端近くにある38番金剛福寺に着きま
した。参拝を終え、展望台から見る足摺岬灯台。台風接近時
などに、TVでもよく放映されるところです。 

 この時間だと逆光になり、見栄えが余りよくなくて申し訳あり
ません。

 旅館や民宿の並ぶ足摺の町並みを抜けると、高みの樹間から
行く手の複雑な海岸線が見えてきます。


 金剛福寺から5kmほど進んだ、鵜ノ岬にある展望台から、
来た方を振り返る眺め。

 四国遍路道で見た海の展望の中でも、私の最も気に入った
ところです。

 すぐ近くの、民宿青岬がこの日の宿でした。

 民宿青岬の屋上からの同じ方向の眺め。下の家並みは、いま
通過してきた松尾です。 


 海の幸がたっぷりの夕食と朝食をいただき、11月30日(木)
朝、民宿青岬を出て、ジョン万次郎こと中浜万次郎の生誕地、
中浜に向かいました。

 民宿の近くから、林間の遍路道を進み、足摺岬の西海岸へ
回って来た県道27号に下ります。

 県道に下ったあたりから見る、中浜の手前にある大浜の港。


 中浜の先から、気持ちよい遍路道を抜けて土佐清水市街
に入り、中心街を抜けて、1日余計になりますが、今回初め
ての月山神社経由のルートに向かいます。

 あしずり湾を回り、「道の駅」ならぬ「海の駅あしずり」の
近くから、土佐清水市街方面を振り返ったところ。


 海の駅からさらに1km余り、松崎海岸と呼ばれるあたりです。

 この日も好天で、気持ちよい海の眺望が楽しみでした。(続く) 
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