カントリーウオーカー・やまさん企画の関東百駅巡礼歩行、
第36回は、今日7月7日(土)、房総半島の中ほど、小湊
鉄道の養老渓谷駅周辺を歩いた。
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/15/22.209,140/9/51.955&scale=70000)
JR内房線五井駅から2両の小湊鉄道に乗り約1時間、
10時23分に養老渓谷駅に着く。
今日のメンバーは、やまさんのほか、藤沢市のIさんとMさ
ん、それに私(カメラマン)、いずれも常連である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4c/40243c7e55a69413a30049f79f7280dc.jpg)
駅の東側踏切を越えて南側に回り、まず近くの宝林寺へ。
入口に、十二支の干支を侍らせた地蔵さんが並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/0c/33e063f8273cb3d76c359c3f340a0e0c.jpg)
戦国時代の館山城主や久留里城主だった里見義堯公の長
女、里見種姫が、大多喜城主・正木大太郎に嫁したが、第2
次国府台合戦にて25歳で戦死したため、種姫は22歳で尼
僧となり、永禄7年(1564)8月、宝林寺を開基し、生涯を送
ったという。
墓地には、代々の住職の墓と並んで里見種姫の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/75/2d58f668a519589e814f964f8b88199d.jpg)
大きな本堂は、寛政2年(1790)の再建とか。緑あふれる
境内は、約2000坪あるという。
西側の車道に下り、さらに並行するもう一つの車道に回り、
深い渓谷の養老川にかかる朱塗りの渓谷橋を渡る。
最初横切った車道にかかる、宝衛橋が左下に見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/3e/7fb7471634f89813c55345cad1381e7f.jpg)
すぐ先、垂直に立つ岩をうがって、延命地蔵堂があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/93/0a1b68be8cadc119e7144d5dda3bda49.jpg)
十数戸の集落を下り、宝衛橋の延長上の車道に出る。緑
あふれる沼が、小雨にしっとりとした風情を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c9/9a6d6706841e6fab2d6759efa9e345f3.jpg)
その先を流れる養老川の支流の地図上、1km足らずの中
に、流れのトンネルが3つも記されているので確かめることに
した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/96/3c1fb5c6a844ac8cb9a9ac34248ba870.jpg)
最初のトンネルは、坂を上がる別の車道の下にある(上の地
図の1の位置)ので、その道を上がってみたが、木が茂ってい
て分からない。
もとの車道を先に少し進むと、そばまで行けないが断層の下
がくり貫かれている様子が見えた。この下を流れているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c7/cca22e6a22a8c12dc467f6bd52992bcf.jpg)
次のトンネル(地図の2の位置)を見ようとさらに進む途中、
「七色滝」の案内板があったので、流れまで下りてみた。
対岸の垂直の岩から、細い流れが落ちていたが、小雨模様
で薄暗く、色の変化は分からない。太陽にでも当たると七色
に見えるのだろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/4f/618cfeedc4a3545fd669bb728013d68f.jpg)
次の川のトンネルは、車道が川の上を横切り、水道施設の
立つところにあった。
上流側に、流れまで下れるハシゴが置いてあったので下っ
てみたら、確かにぽっかりトンネルが空いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1e/3cef598efde44ee3b92e1debdd9afcf0.jpg)
江戸時代にでも掘ったのだろうか。手堀りである。この辺
りの地形図を見ると、ほかにも幾つも流れのトンネルがある。
なぜこのようなトンネルを掘ったのか。興味深い謎だ。
流れのトンネルが確認出来たので、もとの道を途中まで
戻り、十数戸の集落を抜ける細道を進む。
雨に濡れたルドベキアが、緑の中に鮮やかな彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d7/b921a52a7a07ddeeb725647a5d28d32c.jpg)
宝衛橋近くまで戻り、ヘヤピン状に折れて坂を上がり、さらに
2回ヘヤピン状に下って、養老渓谷温泉街の近くにある釣り橋
を渡る。
近くの日枝神社で昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4a/24ba7f1cd302b239d49d15546fe2253b.jpg)
小さいが、なかなか趣のある社殿。境内も狭いが、太い杉が
何本か並んでいた。
近くの民家の作業場で、小鳥の巣箱のようなものを作ってい
る人がいた。FKさん(72歳)で、8月に新盆の家があり、その
家で新盆法要に使う、ローソクを点すものだという。
「岩風呂」と記された建物など、数戸の温泉施設が並ぶ付近
から、飛び石を渡って養老渓谷の中瀬遊歩道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/77/1fc8a2b82b89e1af1cf792f3b0312305.jpg)
この付近の養老川は1枚岩が続き、左岸の遊歩道沿いには、
モミジが多い。休憩所のポスターを見ると、11月下旬から12
月上旬にかけて、養老渓谷は深紅の紅葉に彩られるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/18/72d8b874035799dd9e48c6282e8a9518.jpg)
遊歩道を900mほど進むと、養老川にもう一つの支流が
合流しており、「弘文洞跡」の説明板が立つていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/b5/3a090f4b9ec9889ad9610787db7fcf0b.jpg)
正面が支流で、ここは約140年前にトンネルをうがったが、
昭和54年(1979)5月に崩壊して、このような景観になっ
たのだという。
遊歩道をもとに戻り、温泉街を抜ける車道を上がり、峠を
下って小湊鉄道の踏切を越える。
駅周辺の朝生原集落に入り、カーブ点の三差路を少し進ん
だところにある、窯焼きパンの店「酪」で休憩し、15時ちょう
ど、養老渓谷駅に戻った。
15時9分発五井行きで帰途につく。
(天気 小雨後曇り、距離 9km、標高差累積 700m、
地図(1/2.5万) 大多喜、歩行地 市原市、大多喜町)
第36回は、今日7月7日(土)、房総半島の中ほど、小湊
鉄道の養老渓谷駅周辺を歩いた。
JR内房線五井駅から2両の小湊鉄道に乗り約1時間、
10時23分に養老渓谷駅に着く。
今日のメンバーは、やまさんのほか、藤沢市のIさんとMさ
ん、それに私(カメラマン)、いずれも常連である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4c/40243c7e55a69413a30049f79f7280dc.jpg)
駅の東側踏切を越えて南側に回り、まず近くの宝林寺へ。
入口に、十二支の干支を侍らせた地蔵さんが並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/0c/33e063f8273cb3d76c359c3f340a0e0c.jpg)
戦国時代の館山城主や久留里城主だった里見義堯公の長
女、里見種姫が、大多喜城主・正木大太郎に嫁したが、第2
次国府台合戦にて25歳で戦死したため、種姫は22歳で尼
僧となり、永禄7年(1564)8月、宝林寺を開基し、生涯を送
ったという。
墓地には、代々の住職の墓と並んで里見種姫の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/75/2d58f668a519589e814f964f8b88199d.jpg)
大きな本堂は、寛政2年(1790)の再建とか。緑あふれる
境内は、約2000坪あるという。
西側の車道に下り、さらに並行するもう一つの車道に回り、
深い渓谷の養老川にかかる朱塗りの渓谷橋を渡る。
最初横切った車道にかかる、宝衛橋が左下に見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/3e/7fb7471634f89813c55345cad1381e7f.jpg)
すぐ先、垂直に立つ岩をうがって、延命地蔵堂があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/93/0a1b68be8cadc119e7144d5dda3bda49.jpg)
十数戸の集落を下り、宝衛橋の延長上の車道に出る。緑
あふれる沼が、小雨にしっとりとした風情を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c9/9a6d6706841e6fab2d6759efa9e345f3.jpg)
その先を流れる養老川の支流の地図上、1km足らずの中
に、流れのトンネルが3つも記されているので確かめることに
した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/96/3c1fb5c6a844ac8cb9a9ac34248ba870.jpg)
最初のトンネルは、坂を上がる別の車道の下にある(上の地
図の1の位置)ので、その道を上がってみたが、木が茂ってい
て分からない。
もとの車道を先に少し進むと、そばまで行けないが断層の下
がくり貫かれている様子が見えた。この下を流れているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c7/cca22e6a22a8c12dc467f6bd52992bcf.jpg)
次のトンネル(地図の2の位置)を見ようとさらに進む途中、
「七色滝」の案内板があったので、流れまで下りてみた。
対岸の垂直の岩から、細い流れが落ちていたが、小雨模様
で薄暗く、色の変化は分からない。太陽にでも当たると七色
に見えるのだろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/4f/618cfeedc4a3545fd669bb728013d68f.jpg)
次の川のトンネルは、車道が川の上を横切り、水道施設の
立つところにあった。
上流側に、流れまで下れるハシゴが置いてあったので下っ
てみたら、確かにぽっかりトンネルが空いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1e/3cef598efde44ee3b92e1debdd9afcf0.jpg)
江戸時代にでも掘ったのだろうか。手堀りである。この辺
りの地形図を見ると、ほかにも幾つも流れのトンネルがある。
なぜこのようなトンネルを掘ったのか。興味深い謎だ。
流れのトンネルが確認出来たので、もとの道を途中まで
戻り、十数戸の集落を抜ける細道を進む。
雨に濡れたルドベキアが、緑の中に鮮やかな彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d7/b921a52a7a07ddeeb725647a5d28d32c.jpg)
宝衛橋近くまで戻り、ヘヤピン状に折れて坂を上がり、さらに
2回ヘヤピン状に下って、養老渓谷温泉街の近くにある釣り橋
を渡る。
近くの日枝神社で昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4a/24ba7f1cd302b239d49d15546fe2253b.jpg)
小さいが、なかなか趣のある社殿。境内も狭いが、太い杉が
何本か並んでいた。
近くの民家の作業場で、小鳥の巣箱のようなものを作ってい
る人がいた。FKさん(72歳)で、8月に新盆の家があり、その
家で新盆法要に使う、ローソクを点すものだという。
「岩風呂」と記された建物など、数戸の温泉施設が並ぶ付近
から、飛び石を渡って養老渓谷の中瀬遊歩道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/77/1fc8a2b82b89e1af1cf792f3b0312305.jpg)
この付近の養老川は1枚岩が続き、左岸の遊歩道沿いには、
モミジが多い。休憩所のポスターを見ると、11月下旬から12
月上旬にかけて、養老渓谷は深紅の紅葉に彩られるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/18/72d8b874035799dd9e48c6282e8a9518.jpg)
遊歩道を900mほど進むと、養老川にもう一つの支流が
合流しており、「弘文洞跡」の説明板が立つていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/b5/3a090f4b9ec9889ad9610787db7fcf0b.jpg)
正面が支流で、ここは約140年前にトンネルをうがったが、
昭和54年(1979)5月に崩壊して、このような景観になっ
たのだという。
遊歩道をもとに戻り、温泉街を抜ける車道を上がり、峠を
下って小湊鉄道の踏切を越える。
駅周辺の朝生原集落に入り、カーブ点の三差路を少し進ん
だところにある、窯焼きパンの店「酪」で休憩し、15時ちょう
ど、養老渓谷駅に戻った。
15時9分発五井行きで帰途につく。
(天気 小雨後曇り、距離 9km、標高差累積 700m、
地図(1/2.5万) 大多喜、歩行地 市原市、大多喜町)