あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行・松陰神社前駅

2007-09-08 23:58:41 | 関東百駅巡礼歩行
 台風9号が去り、東京都内も残暑で33℃を越えました。

 今日は、「やまさん」の「関東百駅巡礼歩行」の第37番
目で、東京都世田谷区の東急世田谷線松陰神社前駅
周辺を歩きました。

========================

 2007年9月8日(土) =関東百駅巡礼歩行 No.37= 



 東急世田谷線は、京王線下高井戸駅と世田谷区の中心、
三軒茶屋を結ぶ、全長5kmの路線である。

 線路の幅が、JRや西武鉄道より広いと感じたので調べ
てみたら、やはり1372㎜だった。ちなみに、JRや西武は
1067㎜、新幹線は1435mである。

 私は、京王線下高井戸から乗り、松陰神社前駅に10時
前に着いた。

 今日の参加者は東京、神奈川、埼玉からの8人、写真は
私以外のメンバー。10時3分に駅を出た。


 駅東側の通りを北へ、まず松陰神社をめざす。

 途中で、地図に記されていた図書館に寄り道すること
にして、細い路地を入ったら、住宅の庭に珍しいピンク
のノウゼンカズラが咲いていた。


 世田谷図書館を確認して北側の松陰神社通に出て、
緑の豊富な松陰神社に入る。

 長州藩の志士、吉田松陰は、幕府の弾圧により江戸伝馬
町獄で処刑後、千住小塚原に罪人として埋められたが、
文久3年(1863)門下生の高杉晋作などにより、長州藩
の所有地だった、ここ世田谷若林に丁重に改葬され、明治
15年(1882)に松陰神社が建立されたという。

 神社西側の墓地に、吉田寅次郎(松陰)の墓があった。 


 社殿の東側には、吉田松陰の教育道場だった松下村塾
を模した建物がある。ほんものは、山口県萩市にある松陰
神社境内にあることは、萩を訪ねた方はご存知のとおり。

 神社の境内は、桜、モミジ、カシなどの豊富な緑に覆わ
れていた。

 神社の南側の松陰神社通を西へ、世田谷区役所前
交差点を通過し、中央図書館の西にある勝国寺に寄る。

 山門、この本堂、そして薬師堂とも最近の改築のようで、
いずれも新しい。

 さらに西へ進み、烏山川を暗渠(あんきょ)にして、その
上を緑道にした烏山川緑道に入り、南へ進む。

 緑道には、大正初期の世田谷城址付近の地図や江戸
名所図会・豪徳寺の絵など、この付近の昔をしのばせる
白磁のプレートが埋め込まれていた。

 もとの城下橋のところから緑道を離れ、西北に進んで、
豪徳寺に入る。

 豪徳寺の創建は文明12年(1480)だが、天文10年
(1633)に世田谷領主井伊直孝が井伊家の菩提寺と
して伽藍を創建し整備したという。  
 
 広い境内は緑が豊富だが、その中でも新しい三重塔が、
ひときわ目についた。


 豪徳寺は、招き猫発祥の地ともいわれ、境内の一角
に招猫観音が祭られていて、奉納された招き猫がたく
さん並んでいた。


 墓地の奥には井伊直弼(いいなおすけ)の墓がある。

 井伊直弼は、第16代近江彦根藩主で、幕府の最高
権力者になったが、直弼が行った安政の大獄に反対する
水戸浪士に桜田門外で、安政7年(1860)3月に暗殺
された。

 このあたり、世田谷郷は彦根藩井伊家領地であった。
墓は、右にちょっとだけ傾いていた。

 こちらは、豪徳寺境内に立つ大イチョウ。


 豪徳寺の正門がある西に出て、烏山緑道まで南下し、
緑道を少し東に回って世田谷城址公園に入った。

 ここも豊富な緑に覆われている。正午も近いので、木陰
のベンチで昼食をする。

 世田谷城は、14世紀後半に吉良治家が居住したのが
始まりとされ、のち北条氏と結んだが、天正18年(1590)
豊臣秀吉の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。

 昼食後、南に延びる城山通りを進み、東急世田谷線と
世田谷通りの南に回って、ボロ市通を東に向かう。

 ここがボロ市通り、12月15日の世田谷ボロ市には、
この通りは出店(でみせ)で埋めつくされるという。


 少し進んで、世田谷代官屋敷に入った。

 江戸時代の初め、この家の主、大場氏は彦根藩井伊家
世田谷領(2300石)の代官職を務め、明治維新まで世襲
したとのこと。

 この母屋は、江戸中期の元文2年(1737)と宝暦3年
(1753)の2度における工事で完成したという。
 
 約70坪(231.4㎡)あり、関東地方における代官屋敷
としての規模をよく保存していることから、母屋と表門が
国の重要文化財に指定されている。

 中に入ると、高い天井に曲がった太い梁や屋根組みが
丸見えで、当時の高い建築技術が垣間見られる。

 屋敷内には、樹齢200年といわれるタブノキをはじめ、
やはり緑が豊富で、セミの鳴き声が賑やか。屋根掛けを
したつるべ井戸も残っていた。

 地続きにある世田谷区郷土資料館に入り、出土品や
代官屋敷の模型、玉川上水の木桶などの展示を見て、
13時半前に、解散となる。

 私はこの後、東急世田谷線の西側沿いに北へ向かい、
吉良氏歴代の墓のある桜一丁目の勝光院や、源義家が
奥州の内乱を取り鎮めた記念に建てたと伝えられ、来週
15日が秋の大祭となる世田谷八幡宮、その北の常徳院
などを回り、14時20分に小田急線豪徳寺駅に着いた。

(天気 晴、距離 4.3k(郷土資料館まで)、7k(豪徳寺
 まで)、地図(1/1万) 世田谷、歩行地 世田谷区)
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四国霊場を巡る遍路道(2)

2007-09-07 23:35:45 | 四国遍路あれこれ
 台風9号は今暁、埼玉県を縦断しましたが、わが所沢
市は予想したほどの雨風は強くならずに通過し、ホッと
しました。

 四国霊場の遍路道、その2は、第2の遍路転がしと
呼ばれる20番鶴林寺から21番太龍寺への道筋から
続けます。

=======================



 徳島県勝浦町、標高500mの山上にある20番鶴林
寺から、那賀川へ向かっての下り道。


 広い那賀川を渡り、その支流の若杉谷川沿いを南へ、
21番太龍寺へ向かう道筋にある若杉山遺跡付近。

 古い東屋は、「四国のみち」の休憩所として作られた
もの。

 若杉谷川を離れ、登坂口から標高520mの21番太龍
寺へ向かっての上り坂には、丸木の段がついていた。


 21番太龍寺に参拝、東に下って阿瀬比までは県道28
号を進み、阿瀬比から気持ちよい遍路道が22番平等寺
へ向かっている。


 22番平等寺への遍路道の途中で、標高200mのこの
大根峠を越える。


 大根峠を下り、このあたりに来ると右手に畑が見えて
くる。少し先で草つきの道は終わり、車道に出ると22番
平等寺は近い。


 22番平等寺から23番薬王寺への道は、国道55号を
進むルートと、海沿いの由岐、木岐を回る道筋がある。

 海沿いの道、木岐港の先の山座峠を越える遍路道。

 暖かい海流に相対しているからか、豊富な広葉樹林
に覆われていた。

 23番薬王寺の先は、国道55号を進む。薬王寺から
3kmほどの日和佐トンネルは全長690mあるが、ご覧
のように手すりの付いた歩道があり、車を気にせずに歩
くことが出来る。

 遍路道にあるトンネルは、早く皆、このようにして欲しい
と思う。

 次の町並み、牟岐町の外れから、国道の八坂トンネル
を抜けずに、南側を迂回する大坂峠遍路道がある。ここ
は大坂峠付近。


 大坂峠を越えて、国道の八坂トンネルの先に下る途中
から見下ろす、行く手の国道55号。

 湾の向こうに、白い建物の背後に、次に通過する内妻
トンネル入口が見える。

 その、国道55号内妻トンネル入口。次の24番最御崎
寺の少し先になるが、室戸市の中心までは63kmある。


 同じく国道55号の17kmほど先、徳島、高知県境に
ある水床トンネルの、徳島県側入口。

 全長638mあるが、ここも手すりの付いた歩道がある
ので、通過する車への恐怖感は少なくて済んだ。 (続く)
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四国霊場を巡る遍路道(1)

2007-09-06 21:23:06 | 四国遍路あれこれ
 台風9号が今夜半、東海か関東地方に上陸しそうで、
1日中降ったり止んだりの不安定な天気でした。この
あと、大きな被害の出ないことを祈ります。

 さて、「四国遍路あれこれ」シリーズの次は、千葉県の
Sさんからのリクエストに応え、四国の遍路道とします。

 Sさんは、今春、2月中旬から3月上旬、私の2,3日
後を追って四国遍路の後半をされました。

=======================



 歩き始めの初日、3番金泉寺から4番大日寺へ向かう
途中、徳島自動車道下を過ぎ、番外霊場愛染院への
遍路道です。


 番外霊場愛染院を過ぎ、4番大日寺への遍路道。

 この先で、もう一度徳島自動車道下を抜けてから車道
に出て、山すそにある大日寺に進みます。

 10番切幡寺から11藤井寺への道は、途中で吉野川
の2つの流れにかかる冠水橋で渡ります。

 左岸堤防上から、最初の流れの橋の方向を見下ろし
たところ。

 この先、広い中州を経て次の冠水橋、川島橋を渡り
ました。

 11番藤井寺の背後から、最初の遍路転がしと呼ぶ
山道にかかります。その入口には、四国八十八箇所の
石仏が並んでいます。

 
 12番へ向かう稜線上の遍路道。番外霊場柳水庵から
一本杉庵への杉木立下の遍路道。


 一本杉庵を通過し、標高400m付近にある山上集落、
左右内(そうち)へ下って行く遍路道です。


 標高700mにある12番焼山寺への参拝を終え、東の
鍋岩に下り、2つある遍路道のうち北側、、鮎喰川に向か
ってもう一度峠越えをします。

 それがここ玉ヶ峠(455m)です。


 玉ヶ峠を下り、本名の旅館に泊まった翌朝、本名を出て、
対岸の福原集落を抜け、鮎喰川にかかる人だけの冠水
橋を渡ります。

 橋を渡って鮎喰川左岸沿いの県道20号に上がり、下流
に向かいました。

 しばらく左岸沿いに進んで徳島市内に入り、13番大日寺
が近づいたところで、鮎喰川の冠水橋、梁田橋を渡ります。

 対岸は県道21号、交通量は右岸の方が多くなってい
ました。

 18番恩山寺の先、竹林の中の遍路道は、弦張坂と
呼ばれています。

 義経の軍勢が、敵を警戒して弓の弦を張って上がっ
たので、名付けられたものです。

 19番立江寺を過ぎ、番外霊場星の岩屋に参拝、勝浦
川沿いの横瀬の旅館に泊まりました。

 翌朝、そばの勝浦川の橋を渡り、右岸の棚野集落から
真南にある20番鶴林寺へ向かって上がります。集落を
出たあたりの遍路道です。


 その先は、丸木造りの段の上り道がしばらく、鶴林寺へ
向かって続いています。

 第2の遍路転がしと呼ばれる道筋で、鶴林寺は標高
500mの山上にあります。        (続く)


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四国遍路道の巨樹・大木(3)

2007-09-05 18:27:32 | 四国遍路あれこれ
 台風9号が関東の南方海上に近づき、時々にわか雨
や雷があり、外出がままならぬ1日でした。

 四国遍路道の巨樹・大木も後半、結願の前後に出会っ
た幾つかです。

=======================



 香川県善通寺市に入り、73番出釈迦寺の奥の院、
標高350mの捨身ヶ嶽禅定への上り道にあった、香川
県保存木、カヤの大木です。


 弘法大師・空海誕生の地、75番善通寺境内には2本の
大クスが立っています。その一つ。

 幹回り11m、枝張り東西24m、南北29m、高さ30m
あります。 

 大ケヤキの根元。お大師さんとともに育ったという歴史
がしのばれます。


 屋島山上の84番屋島寺から、壇ノ浦に下って川を渡
り、遍路の父といわれる信念の墓のある、番外霊場須崎
寺に寄りました。

 本堂前に立つ大イチョウは、県の保存木です。

 五剣山(八栗山)中腹にある、85番八栗寺境内の大
イチョウ。


 86番志度寺に近い、地蔵寺の夫婦柏。「柏竜」とも
「昇竜の柏」とも呼ばれています。

 志度寺の十一面観音を刻んだ残り木を埋めたのが芽
生えたといわれ、樹齢1000年以上、幹回り5.5m、
高さ20mあります。

 87番長尾寺の広い境内にポツンと立つ大クス。

 これも香川県の保存木です。

 無事結願となった88番大窪寺境内、東側に立つ
大イチョウ。やはり香川県保存木です。

 12月に入り枯れ枝になっていますが、もう少し前
なら、黄金色の葉をいっぱいに見せたことでしょう。

 大窪寺から1番霊山寺は向かう道筋、香川・徳島県境
の徳島県側にある「境目の大イチョウ」。

 幹回り7.8m、高さ16m、枝張り東西、南北とも15m、
樹齢600年といわれ、徳島県天然記念物です。

 標高300mありますが、大窪寺よりは低いので、まだ
一部に葉が残っていました。

 白鳥温泉や大内ダムを過ぎ、総奥の院與田寺まで2
kmほどのところある水主神社の「いのり杉」。

 延喜式内社で、空海や最澄にゆかりがあるという古社。
いのり杉は、香川県保存木になっています。

 総奥の院、與田寺の仁王門横に立つムクノキ。

 幹回り6m、高さ40m、樹齢600年という、県の天然
記念物です。

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「大鉄道博覧会」(江戸東京博物館)を見る

2007-09-04 23:29:16 | 鉄道
 ちょっと蒸し暑さが戻った今日、東京のJR総武線両国
駅に近い、江戸東京博物館へ「大鉄道博覧会」を見に行
きました。

 会期は9月9日(日)まで、あと5日間です。

 会場内は、三脚とフラッシュを使用しなければ撮影は
自由でした。

 会場に入って最初に目についたSL(蒸気機関車)の
実機、「下工(くだこう)弁慶号」。100年前の明治40年
(1907)、東京石川島造船所の製造です。

 米国のボールドウィン社の車両を参考に製造し、山口
県徳山の海軍練炭製造所で使用され、のち、昭和9年
(1934)に、下松工業学校に提供されたもの。現在も
走行出来るとのことです。
 
 駅構内などの看板類や行き先表示板など。


 特急つばめ号展望車の実物大一部復元模型です。


 国鉄の蒸気機関車や電気機関車、特急列車、新幹線
、貨車などの模型がたくさん展示されていました。

 これは国鉄信越線碓氷峠越えのED42型電気機関車
模型など。

 ED42型は、碓氷峠の急勾配を上がるため、ラック
レールと呼ばれる、鋸の歯のような特別の線路とかみ
合うものが車体下に付いて、滑り落ちないようになって
いました。

 東京の営団地下鉄300形模型など。

 私も昭和34年(1959)から20年以上、この真っ赤
な丸ノ内線に乗って毎日通勤した、懐かしい車両です。

 通称「サボ」と呼ばれる列車の行き先表示板


 特急「あさかぜ」と「富士」のテールマーク


 もうひとつのSL実機「くろひめ号」。新潟県糸魚川市
の東洋活性土という会社の構内と糸魚川駅の間を走行
したもの。

 線路幅は61cm(2フィート)で、トロッコ並みです。
国産最後の実用蒸気機関車といわれています。

 昭和45年(1970)の東京・営団地下鉄の通勤ラッ
シュ状況のグラフ。

 私もこの頃、丸ノ内線で通勤していましたが、ラッシュ
の混雑を避けるため、この時刻より少し早めに出勤して、
池袋から大手町まで座って行きました。

 通票閉塞器や回転式硬券入れ、乗車券日付機など


 新宿駅大ガード付近の写真。まだ都電が走っていた
時代です。


 鉄道ジオラマコーナー。田舎の駅のジオラマや、昔の
電車のある風景などが幾つもあり、このジオラマでは、
模型の列車が走行しています。


 数々の鉄道車両の絵を描いた、黒岩保美さんの作品
が10枚ほどあり、その中の1枚です。


 ほかにも、鉄ちゃん(鉄道ファン)にはたまらない、
模型や実物、写真などがいっぱいですが、このくらい
にしておき、あとは現地を見てのお楽しみに…。

 このあと、常設展示室にも回り、「生誕150周年記念
後藤新平展」と、企画展「東北大学創立100周年記念
展示 東北大学の至宝」、常設の江戸から明治などの
展示物も観覧したので、2時間半近く経過しました。

 さらに、日本橋三越本店に回り、新館7階ギャラリー
で開催中(9日まで)の、「ベスト・オブ・世界遺産」展も
観覧してきました。

 
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四国遍路道の巨樹・大木(2)

2007-09-03 23:21:48 | 四国遍路あれこれ
 徳島県阿南市、21番太龍寺境内には、りっぱな杉
が林立していますが、「守護の大杉」と呼ばれる最大
の大杉です。

 幹回り6m、高さ48m、樹齢は600年です。

 徳島県最後の霊場、23番薬王寺の先、番外霊場
月夜御水大師の大杉。

 幹回り6.1m、高さ31m、樹齢約1000年といわれ、
阿南市天然記念物です。


 高知市内、27番神峰寺の先、安芸市の波切不動尊
のご神木になっているナギの木。

 全国でもここだけという、国道55号のの中央分離
帯に立っています。


 32番禅師峰寺から種崎フェリーや浦戸大橋に向か
う道筋、聖神社境内の太いクスノキ。

 6人かかえくらいあり、高知市保存樹です。

 愛媛県に入り、松山市内で最初の46番浄瑠璃寺境
内のイブキの大木。松山市天然記念物です。


 今治市街にある55番南光坊に隣接する、別宮大山
祗神社境内の大クス。

 幹回り3.7m、高さ17m、樹齢300年以上で、市の
天然記念物になっています。


 59番國分寺から60番横峰寺への途中、西条市(旧
東予市)の番外霊場日切大師に立つ大クス。


 愛媛県の最後、65番三角寺から県境の境目峠を越
え、徳島県三好市の境宮神社境内にあった大杉。

 この神社は、別格霊場箸蔵寺に回らないと通過しま
せん。

 香川県に入り、67番大興寺のカヤの大木。幹回り
4.1m、高さ20m、樹齢1200年といわれる古木です。

 手前がカヤの木、奥にあるのは大クス(下の写真も
大クス)です。


 観音寺市の68番神恵院と69番観音寺は同じ境内。
その中間にどっしりと立つ大クス。

 しっかりした根回りに圧倒されます。    (続く)

 
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第11回くつの日ウオーク中央大会(東京)

2007-09-02 22:16:13 | 江戸・東京を歩く
 今日は9月2日、宝くじファンは「くじの日」でしょうが、
ウオーカーにとっては「くつの日」です。

 毎年9月2日、「くつの日ウオーク」が全国で開催され
ますが、東京で開催された中央大会に参加しました。



 中央大会は、北区王子の飛鳥山公園をスタートし、
神田明神をゴールとする10kmコースと、神田明神を
スタート・ゴールとする25kmコースがあります。

 昨年は10kmコースだったので、今年は25kmコー
スに参加しました。

 神田明神の朱塗り鮮やかな随神門をくぐり、本殿前
の広場が集合地です。


 開会式が終わり8時20分ころスタートしました。地図
を見ながら自分のペースで歩ける自由歩行です。

 天気予報では1日曇り空でしたが、スタートするころ
には青空が見えてきました。

 聖橋を渡り、JR御茶ノ水駅際を通過、南へ向かい、
靖国通りを西へ、専大前交差点を左折しました。


 皇居内堀の竹橋に出て、内堀通りを南に進みます。


 皇居前広場を通過、二重橋前を経て桜田門を抜け
ました。


 警視庁や最高裁横を過ぎ、半蔵門で内堀に分かれ
て西へ、新宿通に入ります。


 JR四谷駅のある四谷見附で左折し南西へ。学習
院初等科前に太いプラタナスが立っていました。


 赤坂御用地沿いは、りっぱなトチの街路樹が続き
ます。ミンミンゼミが賑やかでした。


 明治記念館のある権田原交差点から、ウオーキン
グ発祥記念碑のある明治記念館前や国立競技場の
南側を過ぎ、日本青年館前を右折して西に進みます。

 このあたり、ミンミンゼミに混じって、「シンシンシン
……」(と私には聞こえる)と鳴く、クマゼミの鳴き声も
聞こえます。関西方面からとうとう関東へも進出して
きたようです。

 JR山手線の線路際に出て、少し進むと原宿駅。竹
下口付近から竹下通りをのぞくと、今日もたくさんの
若人で賑わっていました。


 緑が豊富な代々木公園を西に抜け、代々木交番前
を左折しました。ここが今日の最西端、折り返して
帰路になります。


 NHK放送センターの西から南へ回り、山手線の東
に沿って渋谷駅前に出ました。

 駅前は、来年開通する都営地下鉄13号線の工事で
しょうか。工事車両がたくさん見えています。

 六本木通りに入り、しばらくは東に向かいました。南
青山6丁目あたりからは、行く手に六本木ヒルズタワー
が見えてきました。

 真下からでは、こんな感じで全部撮れません。


 タワー下を通過し、六本木交差点を過ぎたあたりで
正午になったので、アークヒルズの一角にあった小公
園で昼食にしました。

 ウオーカーは誰も寄りませんが、近くの人らしい若人
が食べていました。私のそばのカツラの木には、雀が6
羽も寄ってきました。

 溜池交差点を右折し、外堀通りに入ります。日本最初
の超高層ビル、36階建ての霞ヶ関ビル。私は2度、ここ
にあった職場に勤めました。

 そばの文部省の食堂はよく利用したものですが、文部
科学省に変わり、再開発で高層ビルに生まれ変わろう
としています。

 左隅にちょっとだけ見える、霞ヶ関ビルと同じくらいの
高さのようです。

 新橋から中央通りを北に向かいます。銀座通りは、日
曜の午後で、歩行者天国になっていました。


 全国の道路距離の基準点になる日本橋際には、東京
市道路元標が立っています。

 来月10日に京都・三条大橋をスタートし、私も少しだ
け参加する、中山道ウオークの今年のゴール地点です。

 万世橋を渡り、日本ウオーキングセンター前を過ぎれ
ばゴールの神田明神。13時55分に入りました。

 すでに多くのウオーカーがゴールし、記念式典が始ま
っていました。

 「くつの日アピール」のあと、お楽しみのウオーキング
シューズや、ウオーキンググッズの抽選会。かなりの品
物がメーカーから寄贈されていましたが、残念ながら私
はいつものように?何も当たりません。

 スタート時に会った、中山道ウオークのメンバーのひ
とり、群馬のKKさんもゴールしていましたが、やはり
外れ組でした。

 来年に期待して、東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅から
帰途につきました。

(天気 晴後曇り 距離 25km、歩行地 東京都千代
 田区、港区、渋谷区、中央区)



 
  


 


 

 

 

 

 

 
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西武鉄道 南入曽車両基地の夏祭り(埼玉)

2007-09-01 21:44:54 | 鉄道
 ことしも残り1/3になりました。防災の日の今日は、
各地で防災訓練が行われましたが、私は西武鉄道の
南入曽(みなみいりそ)車両基地で開催された、電車
夏祭りに出かけました。



 場所は埼玉県狭山市、西武新宿線の新所沢駅と入曽
駅との間にあり、西武新宿線最大の車両基地です。

 普段は入れない車両基地内が開放され、運転台に
乗ったり、間近に車両を見たりすることが出来ます。

 最寄りの入曽駅から約1.5kmあり、車の多いうえ
歩道のない県道を通らなければならないので、新所沢
駅からの無料臨時電車が、1時間に1本ずつ運転され
ました。

 私は、自宅から5km足らずなので、もちろん歩いて
行きました。

 開催時刻は10時から15時まで。12時ころ着きまし
たが、子ども連れの家族や若い人など、大変な人出で
した。


 この車両は運転台の見学が出来るのですが、かなり
並ばないと見られません。


 こちらの車両では、電車の前に付けるヘッドマークを
ぬり絵で描いて、電車の前に飾ると写真を撮ってもらえ
るので、子どもさんがたくさん描いていました。


 見学でちょっと疲れた人や、昼食をしたい人などの
ために、休憩車両があり、いつもの電車内とは違った
雰囲気です。


 西側の車両係留線には、何種類もの車両が並んで
いるので、そちらにも回ってみましょう。


 最近は運転している姿を見る機会が少なくなった、
電気機関車も残っています。


 新宿線を走る代表的な車両です。

 上の写真の黄色い車両は3つ扉ですが、下のは4つ扉
の車両です。


 いつもは「小江戸」号として走行する特急電車は、
「小さな旅」の表示になっていました。


 運転手や車掌さんの制服を着て記念撮影出来る
「制服撮影会」も人気のコーナーです。



 どのコーナーも、このように人でいっぱいでした。

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