故郷を離れて旅にあり、時経て再び故郷に足を運んだとすると、一体、誰に昔語りの種を求めたものか。花は年年歳歳、変わらずに咲いているとしても、昔語りの相手役を果たしてくれることはなかろう と。
すなわち、“浦島太郎”を思わせる現代版の話題と言える。この話題に通底する歌は、古くからあり、実朝が恐らくは参考にしたであろうとされる歌が挙げられている。後に触れます。
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故郷花
尋ねても 誰にか問わむ 故郷の
花も昔の あるじにならねば (金槐集 春・62)
(大意) 故郷に訪ねていったとしても 誰に声をかけたらよいものか
今咲いている花も昔の主にはなれないのだ。
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<漢詩>
故鄉花 故鄉の花 [下平声十一尤韻]
欲訪故鄉遊, 故鄉を訪ね 遊ばんと欲すも,
如今問無由。 如今(ジヨコン) 問うに由(ヨシ)無し。
比方花旺盛, 比方(タトイ) 花 旺盛(オウセイ)なりとても,
不能為老頭。 老頭に為(ナ)る能(アタ)わず。
註] 〇如今:当今、いまごろ; 〇比方:たとえ; 〇老頭:年寄り、
昔の主。
<現代語訳>
故郷の花
故郷を尋ね、ゆっくりしたいと思うのだが、
近頃 誰を尋ねたものか 当てもない。
たとえ花は満開に咲いていたとしても、
昔色々と教わった主のお年寄りにはなれないのだ。
<簡体字およびピンイン>
故郷花 Gùxiāng huā
欲访故乡游,Yù fǎng gùxiāng yóu,
如今问无由。rújīn wèn wú yóu.
比方花旺盛,Bǐfāng huā wàngshèng,
不能为老头。bù néng wéi lǎotóu.
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故郷を思い出す縁として、美しく咲き誇る花、花、……なのであるが、花は昔語りのできる相手ではないのだ と。前回紹介した定家の「見渡せば 花も紅葉もなかりけり ……」の歌を思い出させる歌である。
この歌を詠むに当たって、実朝が参考にしたのではないかとして、次の二首が挙げられている(『山家集・金槐和歌集』(日本古典文学大系))。いずれも『百人一首』に撰されている。それらの歌の背景などの概要および漢詩については、拙著『こころの詩(うた) 漢詩で詠む百人一首』をご参照頂きたい。
誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに
(藤原興風 古今集 雑上 909; 百人一首 34番)
(大意) 年老いた今、誰と友情を結んだらよいであろうか、古い親友たちは
すでに亡くなった。高砂の松は、寿命が永く、未だに青青としているとは
言え、昔から心が通じ合う友ではなかったのだ。
人はいざ こころも知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける
(紀貫之 古今集 春上・42 ;百人一首 35番)
(大意) あなたの心の内など知る由もないが、それはさておき、ここは私の
心の故郷、梅花は庭いっぱい仄かな香りを漂わせて、私を喜んで迎えて
くれている。この梅同様、私に心変わりはありませんよ。
(注) 久しぶりに訪ねた宿屋の(女?)主人から、「心変わりしたのでは」と
責められて、それに対する返歌である。
歌人・実朝の誕生 (19)
実朝から「歌はどのように詠んだらいいものか」と問われて、定家が実朝に贈った『近代秀歌』、その概要を見てみます。但し、以下は、門外漢の域を出ない筆者の感想文とご理解頂き、その詳細は、藤平春男 校注・訳 『歌論集』(日本古典文学全集、小学館 刊)をご参照頂きたい。
『近代秀歌』の構成は、[歌論]、[秀歌例(八大集撰抄)] 83首および[秀歌例(近代六歌仙)] 26首を例示している。”近代六歌仙”として挙げられた歌人は、大納言(源)経信、源俊頼朝臣、左京太夫(藤原)顕輔、藤原清輔朝臣、皇太后大夫(藤原)俊成および藤原基俊で、いずれも百人一首歌人である。
[歌論]の部は、(一)前文、 (二)和歌史批判、(三)自分の立場、(四)作歌の原理と方法、および(五)付言から成る。それらの中で、本稿に最も関係が深く、且つ実朝の歌を理解する上で重要と思える「作歌の原理と方法」の一部分について、藤平春男著から抜き書きさせてもらいます。
『歌に用いる詞は古典的歌語を尊重し、表現内容は未だ詠まれていない世界をとらえようとし、卓越した理想的表現を求めて、宇多朝以前の歌風を学ぼうとするならば、自然と秀歌が生まれると言うこともないわけではありません。
古典語を理想とするということから、古歌の歌詞をそのままに新しい歌の中に詠みこんで定着せしめる表現方法を、即ち「本歌とする」と申します。その本歌について考えてみますと、………』。以下、古典語を詠みこむ際の注意すべき点があげられています。
実朝の天賦の歌才に加わるに、「鬼に金棒」とも言える、源光行による『蒙求和歌』・『百詠和歌』等を参考にした「句題和歌」等の技法、さらに定家の『近代秀歌』にみる「本歌取り」の技法が伝授され、歌人・実朝の歌風確立が多いに促されたものと推察されます。
本稿でも、実朝の「本歌取り」技法の応用例は、今回の上記例を含め、参考とされたであろう先人の歌が、度々「本歌」として挙げられてきました。斯様に、「本歌取り」の作歌法は、実朝の歌の重要な特徴とされております。
実朝は、当初、素朴な感動を詠う「万葉調」歌人と評価されていたが、近年「新古今集」の影響も大きいことが指摘されてきている。学習初期の源光行および完成期の藤原定家の薫陶が如何に大であったか、頷けるようである。
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