四十五帖 橋姫(はしひめ) 要旨 (薫:20~22歳)
その頃世間から存在を無視されていた古い親王(八の宮)がおられた。光源氏の弟に当たるが、冷泉院が春宮であった時代に、政変に巻き込まれて失墜する。夫人も昔の大臣の娘であったが、第2の姫君誕生後に病で亡くなる。
京の邸も焼失し、八の宮は、宇治の別荘で、二人の姫君・大君と中の君を育てながら、聖僧・阿闍梨に師事しつつ、俗聖(ゾクヒジリ)の生活を送っている。阿闍梨は冷泉院へも出入りしていて、薫は、阿闍梨が語る八の宮の噂を耳にして、八の宮に対し尊敬の念を感じ、しばしば宇治を訪れる。
宇治に通い始めて三年目の秋、薫は有明の月の上がり出した頃、少数の従者で山荘の八の宮を訪ねる。山荘近くに来ると、琴の音に十三弦の艶な音が混じって聞こえてきた。暫く聞き入っていたが、そのうちに演奏は止み、御簾を下ろして、縁側に出ていた人たちも中へ入ってしまった。
薫は隙見していた場所を静かに離れ、無遠慮に御簾の前に座った。薫がいろいろ話し掛けても、大君は、話に馴れない風で、返事しにくく、困っていた。老女(弁の君)が来て、応答を行う。
山荘は、山や水の景には恵まれてはいたが、網代漁をする場所に近い川の側で静かな生活には適していないのである。姫君たちの心持を思い遣り、同情の念が頻りに動くのだった。此処を辞し去ることが躊躇される薫であった。硯を借りて、消息を書き、侍に女王の居間へ届けさせた:
橋姫の 心を汲みて 高瀬さす
棹のしずくに 袖ぞ濡れぬる (薫)
大姫君は、身も浮かぶほどの涙です と美しい字で書き添えて歌を返した。薫は、こんなことも皆 整った人であると思い、心が残るのであったが、供の者から「お車が参りました」と帰京を促された。「宮様がお帰りになる頃また必ず参ります」と言い残して帰京した。
薫は都に帰ってからも、宇治の老女の話が気に掛かった。十月五、六日の頃、薫は宇治へ出かけ、先夜の老女に面会を求めた。品よく昔の話をするとともに、老女はお目に掛ける物もあるといって、小さく巻き合わせて、かび臭い手紙の入った袋を薫に渡した。
袋には、女三宮と柏木の手紙が収められてあり、柏木の手紙には、“生きていたなら、我が子の生い先を余所ながら見定められように”との趣旨の歌があった。此処に至って、薫は自分の出生の秘密をはじめて知ったのでした。
本帖の歌と漢詩
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橋姫の 心を汲みて 高瀬さす
棹のしずくに袖ぞ濡れぬる
[註]○橋姫:橋を守ると言う女神、特にこの宇治の橋姫が有名; 〇高 瀬:川の瀬の浅い所、浅瀬。
(大意) 残して行く貴方の事を思うと、川船の棹の雫に濡れるように 涙で袖 が濡れます。
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<漢詩>
離別淚 離別(ワカレ)の淚 [上平声十二文-上平声十一真通韻]
我去留下君, 我 君を留下(ノコ)して去(ユ)く,
心中橋女神。 橋の女神を心中に思いつつ。
似滴撐船棹, 船を撐(ススメ)る棹の滴(シズク)に似て,
濡袖淚甚頻。 袖を濡らす淚 甚(ハナハ)だ頻(シキリ)なる。
[註]○撐船:棹さして舟を進める。
<現代語訳>
別れの涙
私はあなたを此処に残していきます、
胸に橋の女神を思いつつ。
川船の棹から落ちる雫に似て、
私の袖を濡らす涙が頻りに流れる。
<簡体字およびピンイン>
离别泪 Líbié lèi
我去留下君, Wǒ qù liú xià jūn,
心中桥女神。 xīn zhōng qiáo nǚshén.
似滴撑船棹, Sì dī chēng chuán zhào,
濡袖泪甚频。 rú xiù lèi shèn pín.
ooooooooo
薫の歌に対して、大君が返した歌:
さしかへる 宇治の川長(オサ) 朝夕の
雫や袖を くたしはつらん (大君)
[註] 〇くたしはつらん:朽ちてしまうでしょう。
(大意) 棹をさしかえて宇治川をわたる渡し守が朝夕袖を雫に濡らしている
ように 私の袖は涙で濡れ、朽ちてしまうでしょう。
【井中蛙の雑録】
〇NHKドラマ『光の君』、11月3日放送で、まひろ が原稿用紙のトップに“雲 隠”と記したまゝ、内容の記載のない状態で終わりました。先にも触れましたが、恐らくは構想中の続く物語の“表題”だったのでしょう。
光源氏の死を象徴しているとも言われますが、『41帖 幻』~『42帖 匂兵部卿』のほぼ8年の間に、光源氏世代の人々から世代交代が進み、次世代の人々の物語が語られます。
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