愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題57ドラマの中の漢詩 38『宮廷女官―若曦』-26

2017-12-01 17:12:45 | 漢詩を読む
今回は、第十三皇子の思い人、緑蕪の生涯が主題です。南宋時代の女流詩人で官妓の厳蕊(ゲン ズイ)が、詞「卜算子」に描いた自らの生涯に、緑蕪の生涯が、驚くほどに重なることが注意を引きます。

あっという間の政変劇でした。第四皇子は、帝位に登りました。雍正帝として新しい国家秩序の形成に心血を注ぐ毎日・夜です。平穏に見えて、巷間、疑念はくすぶり、何時“内乱が”起こらないとも限らない状況にあるようです。

第十三皇子は、軟禁を解かれ、怡(イ)親王に昇格しました。新帝は、怡親王を招き、若曦とともに食卓を囲む機会を作った。しかし怡親王は、居住まい正しく、恐縮した振る舞いに終始して、早々に“公務がある”と箸を置いて、帰ります。

新帝は、“帝王への尊敬と畏怖の念は必要だが、他人行儀であって欲しくない。昔の兄弟のようなままであって欲しいのに”と寂しげに語る。若曦は、“10年も軟禁されていて、急な変化に戸惑いを感ずるでしょう。焦らずに….“と慰めます。

怡親王は、王府に帰ると、帳簿を精査する公務に忙しい毎日です。傍には、緑蕪が仕えていて、多忙な中にも幸せ一杯の日常を送っているようです。「二度とお前に肩身の狭い思いはさせない。側福晋として賜るよう帝に計るつもりである」と。

緑蕪は、「私は身分が欲しいのではありません。あなたの傍にいるだけで幸せです」と、胸を合わせる緑蕪の表情は、本当に幸せそうでした。

幾日か経って、帝の執務室に、怡親王が“火急の用だ!”と、慌てて飛び込んで来た。何事かと問えば、「緑蕪が、承歓をおいて、書置きを残して王府を出て行った。都を出ることを許して頂きたい」と、早口に告げる。

新帝は、否応なく許可するとともに、軍で捜索するよう隆科多(ロンコド)に命ずる。若曦は似顔絵の複製を作成して、捜索活動を援ける。怡親王の一団は、馬を飛ばして、街中、山中を問わず、「緑蕪!緑蕪!…」と叫びながら捜索を続けます。

書置きには、「王府の生活に馴染めず、故郷に戻るので、捜してくれるな」と書いてあった由。王府内の‘女の諍い’の犠牲になったようです。

ある日、緑蕪は娘の承歓と、庭で走り回って楽しそうに遊んでいた。そこに嫡福晋と側副晋が通りかかり、嫡福晋が、“旦那のためにお参りに行くので、承歓を連れて行きたい”と誘う。未だ5,6歳の承歓は、「市ではサンザシが食べられる」と喜んだ。

側福晋が、「他の子供たちは茶菓子を好むのに。母親の素性を考えれば仕方ないのね。妓楼で長年生きていれば、染みついた卑しさは消えないもの」と。嫡福晋は、「口が過ぎるわよ!」とたしなめつつ、承歓を連れてその場を離れます。側福晋は、緑蕪の耳元でそっと、「親王だけでなく、承歓まで陰口を言われてもよいの?」と。

緑蕪は、“愛する人のためにも、自分が傍にいてはいけない”と決意して、霧の立ち込める湖に身を投じたのでした。遺体は見つかり、その報告を受けた新帝は、「そのことは周りに漏らしてはならない、特に怡親王には」と念を押します。

怡親王は、捜索を続けるが、緑蕪を探し当てることができず、アヘンと酒浸りの毎日を過ごしています。新帝も心を痛めており、“怡親王を説得できるのは若曦しかいない”と若曦に説得するよう頼みます。

怡親王を訪ねた若曦は、昔同様、隣り合って腰かけて、ともに徳利を傾けます。若曦は、“かつて緑蕪から書状を頂いた。書状には“緑蕪の生まれ故郷は、浙江省烏程(ウテイ)である”と認められていた と告げた。次いで「私の話を聞いて、緑蕪から聞いた話よ」と次のような話をした。

「先帝が即位した時、烏程では国を揺るがす大事件‘明史事件’が起きています。それに関与した者はその家族を含めてすべて罪に問われて、処刑、流刑、牢獄刑などの処罰を受けた。その折、緑蕪の家族も離散したそうです。」

「緑蕪がここで10年も苦しみを共にしたのが愛のためなら、こうして去って行ったのも孝行のためでしょう。緑蕪を思うなら、責めないであげて、どこかの地で静かに過ごさせてあげましょう」と。

懐から封書を出して、そっと怡親王の傍に置きます。若曦は、立ち上がって、“自由の身となれば、往年には戻らじ、山花を髪に飾れるなら、行く先は聞かざるべし”(厳蕊:卜算子)と、口ずさみながら帰っていきます。

若曦は、“怡親王も捜索を諦め、元気になるはずです”と新帝に報告する。新帝は驚き、「どんな手を使ったのか?」と。若曦は、「嘘をついたの、行く途中に閃いて、‘明史事件’について言い聞かせたのです」と。

新帝は、「実は、怡親王から‘緑蕪を側副晋に’との上奏を受けていて、慣例によって身元を調べました。確かに緑蕪はあの事件の罪人の娘でした」と、驚きを隠さない。若曦の作り話は史実であったということです。

さて先に若曦が口ずさんだ“自由の身となれば、…..”(厳蕊 卜算子)について見ていきます。詞は末尾に挙げました。“自由の身となれば、…..”は、この詞の後半四句に相当する部分です。

ドラマ展開との関連を見る前に、作者厳蕊について触れます。厳蕊は、南宋の孝宗淳熙年間(1174 -1189)の人で、彩色兼備の世によく知られた官妓の様です。当時、政官界では官僚の腐敗が著しく、官僚が弾劾を受けていた。

儒学者の朱熹は政治的手腕が買われて、xx茶塩公事に任命されていた。朱熹は、積極的に弾劾を行い、特に、1182年7月から始まる台州(現浙江省臨海市)知事唐仲友への弾劾は、年月が明記されるほどに、激しかったようです。

その弾劾の罪状の一つに、唐仲友と厳蕊との不倫関係が挙げられていた。それは事実無根でしたが、朱熹は、供述を取るために、今にも死ぬほどに、厳蕊に拷問をかけた。しかし厳蕊は、‘例え死すとも屈せず’と否認を貫いた。

後になって、朱熹の非が明らかとなり、逆に朱熹が、“為害風教(風教に害を為した)など”六大罪の廉で追われる結果となった。唐仲友、厳蕊ともに疑いは晴れ、また厳蕊は、身受けされて、妓の勤めから身を引くことができた。

朱熹が、特に、唐仲友を弾劾した理由について、詳細は不明のようであるが、当時、唐仲友の‘永康学派’が‘朱熹理学’を批判したことが挙げられている。つまり、‘学派’間の争いの一端であったようです。

さて、ドラマの展開と詞中の厳蕊とを並べて見ますと、いずれも、“好き好んで風塵(芸妓)”となったわけではないことから始まり、遂には“花いっぱいの自由の身”となって表舞台から姿を消す。見事な符合ではないでしょうか。(第26、27話)

xxxxxxxxxx
・卜算子       卜算子(ボクサンシ)   厳蕊 (ゲン ズイ)
不是愛風塵, 風塵(フウジン)を愛(コノ)むに是(ア)らず,
似被前緣誤。 前緣(ゼンエン)に被(ヨ)り誤るに似たり。
花落花開自有時, 花落ち花開くに自(オノ)ずから時有り,
總賴東君主。 總て東(トウ)の君主に賴る。 
去也終須去, 去るは 終須(ケッキョク)は去り,
住也如何住。 住(トト) まるは 如何(ナンシテ)も住まる。
若得山花插滿頭, 若(モ)し山花を得て頭滿(イッパイ)に插していても,
莫問奴歸處。 奴(ワタシ)の歸處を問う莫(ナカ)れ。
  註] ・卜算子:詞牌の名、詞の内容とは直接関係ない
・・・・・風塵:さすらいの身、ここでは‘芸妓の身’ともとれる
・・・・・東:主人:昔、席に着く時、主人は東側、客は西側に座ったことから。
・・・・・東の君主:ここでは、天の神様みたいな存在か、運命
<現代語訳>
・卜算子
好き好んでさすらいの身になっているわけではありません、
前縁があって、誤ってこのような事態になっています。
花は落ちても、時が至れば自ずからまた開きます、
すべては運命のなすことです。
去ると思えば、遂には去り、
留まると思えば、何としても留まります。
もし山の花を髪一杯に挿しているのを見ても、
私の帰らんとする所を問うのは控えて下さい。
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