愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題347 金槐和歌集  雑3首-1 鎌倉右大臣 源実朝 

2023-07-13 15:23:02 | 漢詩を読む

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鎌倉は海に近い故であろう、実朝は海に関する歌をよく詠まれている。この歌は、雑部のトップに挙げられている歌で、東国・陸奥の春は、塩釜の浦から始まると詠っています。

 

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  [詠題] 海辺立春  

塩がまの うらの松風 霞むなり  

  八十島かけて 春や立つらむ  (『金槐集』 雑・536)  

 (大意) 塩釜の浦の、松の木の間を暖かな風が吹き抜けていく。海に浮かぶ島々

  は春の春霞にすっかりつつまれて、春が訪れたのだよ。  

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<漢詩> 

 海辺立春   海辺立春   [上平声一東韻]

蕩蕩塩釜浦, 蕩蕩(トウトウ)たり塩釜(シオガマ)の浦,

溜溜過松風。 溜溜(リュウリュウ)として松風 過(ワタ)る。

朧朧霞靉靆, 朧朧(ロウロウ)として霞(カスミ)靉靆(アイタイ)たりて,

島島春氣中。 島島(シマシマ) 春氣(シュンキ)の中(ウチ)。

 註] 〇蕩蕩:はてしなく広いさま; 〇浦:水辺; 〇溜溜:松風の擬音語;

  〇朧朧:おぼろげなるさま; 〇靉靆:雲が太陽をおおって薄暗いさま; 

  〇島島:多くの島々、八十島。    

<現代語訳> 

  海辺の春 

ひろびろと広がる塩釜の浦、 

サアサアと松風が吹きすぎていく。

おぼろげな春霞が立ち込めて、

海に浮かぶ島々はすっかり春の気に覆われてきた。

<簡体字およびピンイン> 

  海辺立春   Hǎi biān lì chūn 

荡荡盐釜浦, Dàng dàng yán fǔ pǔ,

溜溜过松风。 liū liū guò sōng fēng.

胧胧霞叆叇, Lóng lóng xiá àidài, 

岛岛春气中。 dǎo dǎo chūn qì zhōng

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古代、東国経営の府として多賀城が置かれ、都から海路で多賀城に至るのに塩釜の浦はその入り口であったという。仙台湾の支湾である松島湾では、塩釜から連なって点在する島々が絶景をなし、今日なお人々を引きつける、観光の名所である。

 

古の時代にあっても都人にとっては詩情をそそる憧憬の地であり、多くの歌が詠まれ、塩釜の浦は、いわゆる、歌枕として定着していった。下記の歌はその一つで、実朝の掲歌は、この歌を本歌としたものとされている。

 

塩釜の 浦吹く風に 霧はれて 

  八十島かけて すめる月かげ  (藤原清輔朝臣 『千載集』巻四・285)

 (大意) 塩釜の浦では、吹く風ですっかり霧が晴れて、島々は、澄み渡った月

  光にすっかり包まれている。  

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

浮寝鳥(ウキネドリ)の鴨が湖で水に浮いた状態で休んでいるさまを詠った歌です。“浮き寝”は“憂き寝”を想像させることから、孤独感を訴える用語として、古くからよく歌の題材にされてきたようである。 

 

ooooooooo   

 [詞書] 水鳥  

水鳥の 鴨のうきねの うきながら 

  玉藻の床に 幾夜へぬらむ  (『金槐集』 雑・570)

 (大意) 水鳥である鴨は 浮き寝をして 浮いたまま藻の床で幾夜を過ごした

  ことであろう。  

  註] 〇鴨のうきね:鴨が水上に浮いたまま寝ること、“浮き寝”に“憂き寝”を

   掛詞; 〇うきながら:浮いたままで、“憂きながら”を掛詞。  

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<漢詩>  

 浮中想          浮中の想い    [下平声八庚‐九青韻]   

水禽野鴨做群生, 水禽(ミズトリ)の野鴨(ノガモ) 群生を做(ナ)す, 

湖面搖搖浮睡寧。 湖面 搖搖(ヨウヨウ)として浮睡(ウキネ)寧(ヤス)らかに。 

玉藻田田為床鋪, 玉藻(タマモ)田田(デンデン)たり床鋪(ネドコ)と為(ナ)し, 

不知浮寢幾夜経。 浮寢(ウキネ) 幾夜を経(ヘ)たるか知らず。 

 註] 〇搖搖:揺れ動くさま、憂いで気持ちが落ち着かないさま; 〇浮睡:

  浮き寝; 〇玉藻:水草の藻、玉は美称; 〇田田:秩序正しく密生して 

  いるさま; 〇床鋪:寝床。  

  ※ 題名は、「“浮”字は“浮き”と“憂き”の掛詞」であることを暗示した。漢詩で

  は、歌題にその意を含めた。 

<現代語訳> 

 浮きながら憂き世を想う 

水鳥の鴨は群れをなしており、

湖面にゆらゆら揺れながらの浮き寝は心安らか。

敷き詰めた玉藻を寝床として、

浮き寝を幾夜過ごしたことであろうか。 

<簡体字およびピンイン> 

  浮中想忧愁       Fú zhōng xiǎng yōuchóu

水禽野鸭做群生, Shuǐqín yěyā zuò qún shēng  

湖面摇摇浮睡宁。  hú miàn yáo yáo fú shuì níng.  

玉藻田田为床铺, Yùzǎo tián tián wèi chuángpù, 

不知浮寝几夜经。 Bù zhī fú qǐn jǐ yè jīng.  

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冬になると、毎年、北の国から越冬のため日本に渡ってきて、川や湖沼で一冬を過ごす水鳥の群れを見ることが出来ます。鴨、雁、鳰(ニオ、カイツブリ)、鴛鴦、白鳥 等々、水面に浮かんで寝ることから浮寝鳥と称され、大体、羽に頭を突っ込んで寝ているようである。

 

実朝の掲歌は、下記の歌を本歌とした“本歌取り”の歌とされている。

 

水鳥の 鴨のうきねの うきながら 

  浪の枕に 幾夜へぬらむ  (河内 『新古今集』 巻六・653)

 (大意) 水鳥の鴨は、水上に浮き寝して波にゆれているが、浪枕で幾夜過ごし

  ているのであろうか。 

 

zzzzzzzzzzzzz -3 

 

「先々行くであろう処・虚空は、炎で満ちた炎熱地獄なのだ、そこ以外に行く所はないのだ、何と果敢ないことか」と。青年・実朝の純真・無邪気な心から発する罪業感が詠ませた歌であるように思える。 

 

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  [詞書] 罪業を思う歌 

ほのほのみ 虚空にみてる 阿鼻地獄 

  行くへもなしと いふもはかなし (『金槐集』 雑・615) 

 (大意) 炎だけが空一杯に満ちている阿鼻地獄 どうあがいてもその中にしか

    行きどころがないというのは なんともはかないことだ。  

  註] ○虚空:空; 〇阿鼻地獄:無限地獄; 〇行くへもなし:地獄へ落ち

    るよりほか行く方もない。

 ※ 行くあの世は、炎熱の地獄として詠まれている。

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<漢詩> 

   思罪孽    罪孽(ザイゴウ)を思う    [下平声一先韻]

阿鼻地獄呀, 阿鼻(アビ)地獄 呀(ヤ),

火焰滿天辺。 火焰(カエン) 天辺に滿つ。

除此無所去, 此(ココ)の除(ホカ) 去(ユ)く所無し,

余人何可憐。 餘(ワレ)人は 何と可憐(カレン)なるか。

 註] 〇罪孽:罪業; 〇阿鼻地獄:無限地獄、大悪を犯した者が落ちる所;

    〇可憐:憐れむべし、可哀そうである。  

<現代語訳> 

  罪業を思う

無限地獄 とや、

炎が虚空に満ちているところ。

此処以外に行く所がないという、

私はなんと憐れむべき人間か。

<簡体字およびピンイン> 

   思罪孽       Sī zuìniè

阿鼻地狱呀, Ābí dìyù ya,

火焰满天边。 huǒyàn mǎn tiān biān

除此无所去, Chú cǐ wú suǒ qù,

余人何可怜。 yú rén hé kělián.    

ooooooooo

 

当時、実朝の置かれた周囲の歴史的状況および結末から推して、「さもありなん」との思いが無いわけではない。つまり自ら身の上の不安、不平・不満等、現実的な精神的葛藤を詠っているのであろう と。

 

さらに、“はかないことだ” とし、無常感の表現と読めなくもないが、斯様な暗さは感じられない。旨く説明できないが、“実朝の歌なのだ”と納得させられる、自然体の歌と思える。

 

実朝は、幼少時、12歳のころから、法華経や般若心経などの宗教的教育を受けていたことは先に触れた[ 閑話休題323:歌人・実朝の誕生 (16) ]。すなわち、

庶民への眼差し、弱者への慈悲心を表す歌が少なからず作られている事実は、この若少時からの教育により培われた宗教心に根差したものと解釈した。

 

同様に、掲歌についても、純粋な宗教心から発した思いに動かされて、率直に詠まれた歌であるように思える。

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