「蘇軾「題西林璧」に次韻する詩 富士山」を書いてみました。“廬山”に替えて、“富士山”を話題の対象として、次韻しました。
蘇軾(1037~1101)は、「題西林璧」で 山中に入ったら 山のホントの姿を識ることはできませんよ と述べております。次韻する詩では、山中に入ったら、(その山の真の姿を識ることができないばかりか、) 却って好ましくない事象に遭遇しますよ と。
xxxxxxxxxxxxxx
次韻 蘇軾「題西林璧」 富士山 [上平声二冬・一東通韻]
誰上霊山求秀峰, 誰が秀峰を求めて霊山に登るであろうか,
宿心所看相不同。 宿心 所看(ミシトコロ) 相(アイ)同じからず。
豈肯行行石磊磊, 豈(アニ)肯(ガエ)んぜん 行行(ユキユキ)て 石の磊磊(ライライ)たるを,
須知厳酷在山中。 須(スベカラ)く知るべし 山中には厳酷在るを。
註] 宿心:日ごろ抱いていた思い、ここでは“常々見たいと思い描いている秀峰”;
所看:目にした所の物; 行行:行き続ける、道行くうちに; 磊磊:多くの
石がゴロゴロと積み重なっているさま。
<現代語訳>
蘇軾「題西林璧」に次韻する 富士山
誰が霊岳富士の秀峰を見たいと 富士山に登るであろうか、
かねて見たいと思い描いていたことと、登って実際目にすることは同じではないのだ。
行けども行けども 石ころゴロゴロ、岩だらけに どうして肯んじ得ようか、
山中には外から見えない厳しい状況があることを忘れてはならない。
<簡体字およびピンイン>
次韻 蘇軾「題西林璧」 富士山
Cìyùn Sūshì `tí Xīlín bì' Fùshìshān
谁上灵山求秀峰, Shéi shàng língshān qiú xiù fēng,
宿心所看相不同。 sù xīn suǒ kàn xiāng bù tóng.
岂肯行行石磊磊, Qǐ kěn xíng xíng shí lěi lěi,
须知严酷在山中。 xū zhī yánkù zài shān zhōng.
xxxxxxxxxxxxxxx
<蘇軾の詩>
題西林壁 西林の壁に題す
橫看成嶺側成峰, 橫に看れば嶺と成り 側(カタワラ)では峰と成る,
緣近高低各不同。 緣近 高低 各(オノ)おの同じからず。
不識廬山真面目, 識(シ)らず 廬山の真面目(シンメンボク),
只緣身在此山中。 只(タダ) 身 此の山中に在るに緣(ヨ)る。
註] 西林:仏教の聖地・廬山(江西省)の西林寺; 嶺:幾重にも連なった山なみ;
峰:突出した山頂; 真面目:真実の姿。
<現代語訳>
西林の壁に題す
横から見れば延々とたたなわる嶺、側面から見ると切り立つ険しい峰、
見る位置の遠近高低によって 山の姿がそれぞれ違って見えるのだ。
廬山のまことの姿を知りえないのは、
自分がこの山の中にいるからなのだ。
[白 雪梅 『詩境悠游』に拠る]
<簡体字およびピンイン>
题西林壁 Tí xīlín bì
横看成岭侧成峰, Héng kàn chéng lǐng cè chéng fēng,
缘近高低各不同。 yuán jìn gāo dī gè bù tóng.
不识庐山真面目, Bù shí lúshān zhēnmiànmù,
只缘身在此山中。 zhǐ yuán shēn zài cǐ shān zhōng.
ooooooooooooo
蘇軾の詩は、用語・表現が非常に簡明で解りやすい。字面を追うだけで言わんとすることが解る。「题西林壁」の詩もその例に漏れない。ただしその深奥に寓意を秘めていて、それが何とも味わい深く、自然・人生・物事の本質に迫る“哲理”を含んでいるのである。
解説は蛇足ですが、敢えて一寓意を記すなら、掲詩での話題は、表面的には“廬山”についての記述である。立つ位置で目にする山容は異なる と。つまり物事は、見る人の置かれた立場や時により、すなわちTPO(時・所・機会)により異なります と。
また山中に入ってしまっては、山容を識ることはできない。例えば、難題に遭遇した際、その渦中に身をおいては、本質を見失うことになりかねません。一歩下がって、冷静に対処しなさいよ と。筆者の理解である。
蘇軾は、北宋時代の文学者、書画家、美食家……、万能の士である。地方行政に携わっていた折、政府に批判的な内容の詩があったことから、1079年、朝政誹謗罪で逮捕され、御史台の獄に入獄される。死刑を覚悟していたようである。
数ケ月の後、黄州(現湖北省黄岡県)へ流刑となる。黄州ではかなり厳しい生活を強いられていたようであるが、楽天的な性格で、例えば、安価な食材で美味な食事を との工夫がなされて“東坡肉(トンポーロウ)”が創生されたのは、この時期である。
1984年、汝州(現河南省臨汝県)への転勤が命じられます。この転勤は実質的な名誉回復であった。汝州へ赴く途中、友人の参寥と九江に寄り、廬山・西林寺を訪ねている。そこで筆を採り、壁に書き付けた詩が「题西林壁」である と。
この「题西林壁」に次韻を試みました。蘇軾の名詩と並べて記すのは恐れ多いのであるが。中国には:[初生牛犊不怕虎 Chūshēng niú dú bù pà hǔ、生まれたばかりの仔牛は虎を恐れない] という諺があります。恐るべき相手の前を 目を瞑って進む心境ではある。
富士山を話題としました。詩中、敢えて山中に分け入ってみました。実を言うと、筆者は、富士山については、新幹線の窓越しにチラリと見た程度、況や登山の経験もありません。富士の山肌については、曽て催された、自衛隊の選手たちによる富士の登り/下り・駅伝競走のTV放映での印象・記憶に拠った。
富士登山がそれなりの別の目的でなされるであろうことはさておき、山中では、かの思い描いた秀麗な姿を眼にすることはできません。そればかりか、その山中では、足元は石ころ、周りは大小の岩、岩 と我慢ならないほどに身に応える事象が待ち受けていますよ と。
筆者は、親の恩愛を胸の内に想いながら、次韻の詩を書きました。すなわち、親の懐に抱かれている間は、親の恩愛に気付くことがない。やれ「勉強せよ!」、やれ「ゲーム遊びばかりして!」等々、堪えがたい小言ばかりを聞かされる。
だが、一度、親元を離れてみると、小言は、恩愛の深さによると気づく。同様のことは、「故郷は、遠きにありて思うもの」(室生犀星)、や「国を離れて始めて、国の良さが解る」等々。やはり「しばし一度離れて、振り返ること」が、人間成長の第一歩のように思える。“秀麗を求めて山に登る事のないように!!”
蘇軾(1037~1101)は、「題西林璧」で 山中に入ったら 山のホントの姿を識ることはできませんよ と述べております。次韻する詩では、山中に入ったら、(その山の真の姿を識ることができないばかりか、) 却って好ましくない事象に遭遇しますよ と。
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次韻 蘇軾「題西林璧」 富士山 [上平声二冬・一東通韻]
誰上霊山求秀峰, 誰が秀峰を求めて霊山に登るであろうか,
宿心所看相不同。 宿心 所看(ミシトコロ) 相(アイ)同じからず。
豈肯行行石磊磊, 豈(アニ)肯(ガエ)んぜん 行行(ユキユキ)て 石の磊磊(ライライ)たるを,
須知厳酷在山中。 須(スベカラ)く知るべし 山中には厳酷在るを。
註] 宿心:日ごろ抱いていた思い、ここでは“常々見たいと思い描いている秀峰”;
所看:目にした所の物; 行行:行き続ける、道行くうちに; 磊磊:多くの
石がゴロゴロと積み重なっているさま。
<現代語訳>
蘇軾「題西林璧」に次韻する 富士山
誰が霊岳富士の秀峰を見たいと 富士山に登るであろうか、
かねて見たいと思い描いていたことと、登って実際目にすることは同じではないのだ。
行けども行けども 石ころゴロゴロ、岩だらけに どうして肯んじ得ようか、
山中には外から見えない厳しい状況があることを忘れてはならない。
<簡体字およびピンイン>
次韻 蘇軾「題西林璧」 富士山
Cìyùn Sūshì `tí Xīlín bì' Fùshìshān
谁上灵山求秀峰, Shéi shàng língshān qiú xiù fēng,
宿心所看相不同。 sù xīn suǒ kàn xiāng bù tóng.
岂肯行行石磊磊, Qǐ kěn xíng xíng shí lěi lěi,
须知严酷在山中。 xū zhī yánkù zài shān zhōng.
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<蘇軾の詩>
題西林壁 西林の壁に題す
橫看成嶺側成峰, 橫に看れば嶺と成り 側(カタワラ)では峰と成る,
緣近高低各不同。 緣近 高低 各(オノ)おの同じからず。
不識廬山真面目, 識(シ)らず 廬山の真面目(シンメンボク),
只緣身在此山中。 只(タダ) 身 此の山中に在るに緣(ヨ)る。
註] 西林:仏教の聖地・廬山(江西省)の西林寺; 嶺:幾重にも連なった山なみ;
峰:突出した山頂; 真面目:真実の姿。
<現代語訳>
西林の壁に題す
横から見れば延々とたたなわる嶺、側面から見ると切り立つ険しい峰、
見る位置の遠近高低によって 山の姿がそれぞれ違って見えるのだ。
廬山のまことの姿を知りえないのは、
自分がこの山の中にいるからなのだ。
[白 雪梅 『詩境悠游』に拠る]
<簡体字およびピンイン>
题西林壁 Tí xīlín bì
横看成岭侧成峰, Héng kàn chéng lǐng cè chéng fēng,
缘近高低各不同。 yuán jìn gāo dī gè bù tóng.
不识庐山真面目, Bù shí lúshān zhēnmiànmù,
只缘身在此山中。 zhǐ yuán shēn zài cǐ shān zhōng.
ooooooooooooo
蘇軾の詩は、用語・表現が非常に簡明で解りやすい。字面を追うだけで言わんとすることが解る。「题西林壁」の詩もその例に漏れない。ただしその深奥に寓意を秘めていて、それが何とも味わい深く、自然・人生・物事の本質に迫る“哲理”を含んでいるのである。
解説は蛇足ですが、敢えて一寓意を記すなら、掲詩での話題は、表面的には“廬山”についての記述である。立つ位置で目にする山容は異なる と。つまり物事は、見る人の置かれた立場や時により、すなわちTPO(時・所・機会)により異なります と。
また山中に入ってしまっては、山容を識ることはできない。例えば、難題に遭遇した際、その渦中に身をおいては、本質を見失うことになりかねません。一歩下がって、冷静に対処しなさいよ と。筆者の理解である。
蘇軾は、北宋時代の文学者、書画家、美食家……、万能の士である。地方行政に携わっていた折、政府に批判的な内容の詩があったことから、1079年、朝政誹謗罪で逮捕され、御史台の獄に入獄される。死刑を覚悟していたようである。
数ケ月の後、黄州(現湖北省黄岡県)へ流刑となる。黄州ではかなり厳しい生活を強いられていたようであるが、楽天的な性格で、例えば、安価な食材で美味な食事を との工夫がなされて“東坡肉(トンポーロウ)”が創生されたのは、この時期である。
1984年、汝州(現河南省臨汝県)への転勤が命じられます。この転勤は実質的な名誉回復であった。汝州へ赴く途中、友人の参寥と九江に寄り、廬山・西林寺を訪ねている。そこで筆を採り、壁に書き付けた詩が「题西林壁」である と。
この「题西林壁」に次韻を試みました。蘇軾の名詩と並べて記すのは恐れ多いのであるが。中国には:[初生牛犊不怕虎 Chūshēng niú dú bù pà hǔ、生まれたばかりの仔牛は虎を恐れない] という諺があります。恐るべき相手の前を 目を瞑って進む心境ではある。
富士山を話題としました。詩中、敢えて山中に分け入ってみました。実を言うと、筆者は、富士山については、新幹線の窓越しにチラリと見た程度、況や登山の経験もありません。富士の山肌については、曽て催された、自衛隊の選手たちによる富士の登り/下り・駅伝競走のTV放映での印象・記憶に拠った。
富士登山がそれなりの別の目的でなされるであろうことはさておき、山中では、かの思い描いた秀麗な姿を眼にすることはできません。そればかりか、その山中では、足元は石ころ、周りは大小の岩、岩 と我慢ならないほどに身に応える事象が待ち受けていますよ と。
筆者は、親の恩愛を胸の内に想いながら、次韻の詩を書きました。すなわち、親の懐に抱かれている間は、親の恩愛に気付くことがない。やれ「勉強せよ!」、やれ「ゲーム遊びばかりして!」等々、堪えがたい小言ばかりを聞かされる。
だが、一度、親元を離れてみると、小言は、恩愛の深さによると気づく。同様のことは、「故郷は、遠きにありて思うもの」(室生犀星)、や「国を離れて始めて、国の良さが解る」等々。やはり「しばし一度離れて、振り返ること」が、人間成長の第一歩のように思える。“秀麗を求めて山に登る事のないように!!”
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