ドラマの主な舞台は塞外、蒙古の地へ移ります。今回の塞外行きの皇帝の狙いの一つは、蠢く皇子たちの動静を探ることにあるようである。陛下の思惑とは裏腹に、皇子たちの影での戦いは益々激しくなっています。
塞外へ出掛けるに当たって、まず次のような陛下の意向が告げられた:皇太子および第八皇子は同道する、第四皇子はじめ、第十三・十四皇子たちは都に残り、第四皇子は、国政に遺漏なきよう計る と。
都では、第四皇子を中心に、第八皇子の息の掛かった大臣たちの配転あるいは左遷の動きがある。察知した第十四皇子は、対策を相談するため蒙古の地に第八皇子を訪ねます。勿論、勅命違反であり、知られたら打ち首である。
夜分、蒙古衣装に身を包み、大将髭に顎髭を蓄え、蒙古人に変装した第十四皇子は、若曦のテントを訪ねます。訳を問う若曦に第十四皇子は、「関りを持つな、“八兄”に逢いたい」と告げます。
若曦が、暗黙裏に二人の会合の時と所を整えます。夜分、第八皇子は、周りに注意しながら、密かにテントを後にします。しかし、第八皇子は気づかなかったが、物陰の暗がりで、幾人か人影の動くのが見えた。
皇太子のテントで、部下の一人が「第八皇子が蒙古人、いや恐らく第十四皇子と密かに接触している」との注進があった。聞いた皇太子は、「渡りに船だ!勅命に背いた十四弟が、八弟と密かに逢っているとは。願ってもない、復讐の時だ!」
「曲者が幕営に侵入したとなれば、陛下に無断で始末しても問題はなかろう。総動員を掛けろ!」と弓矢をとり、夜陰の林に駆けつけます。それらしき人影に向かって矢を放つと手ごたえを感じた。しかし現場に駆けつけてみると、地に突き刺さった矢があるのみである。
第十四皇子は、若曦のテントに駆け込むことができた。窮した若曦は、心苦しさを感じながらも、蒙古王の娘、敏敏(ミンミン)に、“恋人が訪ねてきた”と紹介して、敏敏のテント内に匿ってもらう。
林で第八・十四皇子を見失った皇太子らは、幕営に戻り、蒙古の大将や兵隊をも動員して、隈なく “曲者”を捜索します。皇太子は、「敏敏のテントがまだ調べてない」とそこに向かうが、蒙古の大将は、「そこへの立入りは禁止されている」として、捜索を断ります。
皇太子は、蒙古の大将の制止を振り切って、敏敏のテントに押し入るが、這う這うの体でテントから逃げ出してきます。“可愛いながら、さすが蒙古の娘、武術の心得がある”と、皇太子は、舌を巻いていた。
陛下と蒙古王の幕舎内で、皇太子は、陛下から幕営内を大騒動に巻き込んだ責を問われます。しかし蒙古王や周りのとりなしで、陛下の怒りは一応収まります。
一方、第八皇子は、幸いに無事に自分の幕舎内に戻っていました。皇太子の放った矢は、急所は外れていたが、第八皇子の左胸に命中していて、第十四皇子が機敏に抜き取ったのであった。受けた矢傷は隠しようがありません。そんな折、皇太子の来訪が告げられます。
第八皇子はとっさに一計を案じ、付け人に熱湯を用意させます。来訪した皇太子の面前で、お茶を注文し、付け人が“誤って”第八皇子の左上腕に熱湯をこぼし、火傷を負わせます。“医者だ!薬だ!”と大騒ぎする中で、矢傷の件を隠しおおすことに成功します。
第十四皇子は、ほとぼりの冷めるのを待って幕営地を後にすることにして、敏敏のテントに留まっています。若曦を“姉”と慕う敏敏は、“姉の恋人”、第十四皇子に対して、「出会いは?」、「都での生活はどんな?」等々、興味津々として二人の関係を根掘り葉掘り尋ねます。
遂には、敏敏の前で、歌を歌わざるを得ない羽目になって、オペラよろしく、朗々と一曲披露します:♪♪あの山水が恋しい、七弦の琴を弾いた日々、鴻の帰りを眺めるのみ♪♪ と。中々聴きごたえのある美声である。
この“歌”は、(北)宋時代の文人、賀鋳(ガ チュウ;1052~1126)の代表作の詞「六州歌頭」の一部です。この詞は39句からなる長編ですが、その後半部を末尾に挙げました。第十四皇子の歌は、この詞の最後の3句に相当しています。
賀鋳は、(北)宋末の人であり、いわゆる、“靖康の変”(1127)の1年前に没しています。先に触れた蘇軾(東坡;1037~1101)(参照:閑話休題45;17-07-25投稿)よりややおくれて誕生しており、両者の活躍の時代はいくらか重なっています。
“靖康の変”とは、北方異民族の女真族(金)が、(北)宋の首都・卞京(ベンケイ、現開封市)を占領し、上皇(前皇帝)徽宗および皇帝欽宗などを捕らえ、拉致した出来事です。その期をもって(北)宋は滅亡し、以後、中国の南半分は南宋として栄えていきます。
すなわち、賀鋳が活躍した時代は、度重なる金の侵攻に逢い、国の前途に不安と緊張が高まっている時代でした。詞では、この不安と緊張の状況を、安禄山が反乱を起こし、唐の首都・長安に攻めてきた状況に置き換えて詠っているようです。
前回に挙げた丘処機の「無俗念」とは、違った意味で、難解な詞です。その解釈は、主に碇豊長の解説を参考にしています(後記参考)。
さて、ドラマに返って、この詞、中でも最後の3句を引用したドラマ作者の意図、あるいはドラマの進行と詞の内容にいかなる関連があるのか。少々難解ですが、考えてみます。
先ず、安禄山の侵攻に逢った唐の首都・長安および金の侵攻に晒された(北)宋の首都・卞京の状況は、皇太子一派および第四皇子一派の攻めの対象にされている第八皇子一派の状況に重なるように思われます。
遂には、長安、卞京ともに占領されて、その主(皇帝)は、余儀なく都落ちしました。(但し、長安は、代を代えて復帰していますが。)第八皇子は陥落…?… とその前途を暗示しているのでしょうか。
また第八皇子は、皇子という恵まれた環境にあり、且つ“八賢王”と称されるほどに才能に恵まれながら、どこか世の流れと噛み合わないもどかしさを胸に、一羽の鴻(皇帝?)が遠く飛んでいくのをただ眺めるだけである と。
(第11および12話から)
xxxxxxx
六州歌頭 賀鋳
<原文および読み下し文>
………(前半 略)
似黄梁夢, 辭丹鳳,明月共,漾孤篷。
…黄梁(コウリョウ)の夢に似る,丹鳳を辭し,
……明月 共にし,孤篷(コホウ) 漾(タダヨ)う。
官冗從,懷倥偬;落塵籠,簿書叢。
…官は 冗(ジョウ)に從ひ,倥偬(コウソウ)を 懷(オモ)う;
……塵籠(ジンロウ)に 落つ,簿書(ボショ)の叢。
鶡弁如雲衆,供粗用,忽奇功。
…鶡(ヤマドリ)の弁 雲衆の如く,粗用(ソヨウ)に供されて,
……奇功 忽(オロソ)かにす。
笳鼓動,漁陽弄,思悲翁,不請長纓,繋取天驕種,劍吼西風。
…笳(アシブエ)は 鼓動(コドウ)し,漁陽 弄ぶ,思悲の翁なれば,
……長纓(チョウエイ)を請はず,天驕(テンキョウ)の種を繋ぎ取らんと,劍は西風に吼ゆ。
恨登山臨水,手寄七絃桐,目送孤鴻。
…登山 臨水を 恨みて,七絃の桐を手に寄せ,孤鴻を目送す。
註]
黄梁の夢:廬生(ロセイ)という青年が、邯鄲で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年の夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄梁(大粟 オオアワ)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった という故事による。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。一炊の夢、邯鄲の夢。
丹鳳:唐の長安にあった丹鳳門のこと。転じて、帝都。
篷:スゲやカヤなどを粗く編んだむしろ、とま。舟や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。孤篷 漾う:流転漂泊を意味する。
冗:余計な、ここでは、専門の職のない臨時の職、官位の低い職。
倥偬:せわしい、貧困である、苦しむさま。
塵籠:塵でけがれた、俗世間の生活。
簿書:役所の書類。
鶡の弁:ここでは武官。鶡は、死ぬまで闘う勇猛な鳥と伝えられ、武官の被るものの飾りとなっている。弁は、帽子。
粗用:粗っぽく、手軽に用いられること。
漁陽:現天津市薊県のあたり、唐の時代、安禄山が反乱を起こした地。
纓:(顎の下で結ぶ)冠のひも。“長纓を請う”は軍隊に志願すること。
天驕:漢代の人が、北方少数民族の君主(匈奴単于)に対して用いた名称。のち、歴史上の北方の一部少数民族の君主を指す。
七絃の桐:胴の部分が桐の板でできた七弦の琴。
鴻:ヒシクイ;大型のガン、おおとり。ここでは、想像上の鳥“鳳凰”か。
<現代語訳>
……
黄梁の夢の如く栄華の時期は過ぎた、帝都を辞して、明月とともに、独りさすらうことになった。
官職は低く、忙しくしく苦しい;塵に穢れて、書類の山に埋もれている。
武官は雲の如くに多く、粗末に扱われて、珍しく功績を挙げても、なおざりにされる。
笛は兵を鼓舞し、出陣を促すが、自分は歳ゆえに、従軍することなくとも、北方異民族を降さんものと、剣は西風に吼える。
山や川が恋しく、七弦の琴を引き寄せて弾じつゝ、一羽の鴻が飛んでいくのを見送っている。
参考
碇豊長:http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p14zhx6z.htm
塞外へ出掛けるに当たって、まず次のような陛下の意向が告げられた:皇太子および第八皇子は同道する、第四皇子はじめ、第十三・十四皇子たちは都に残り、第四皇子は、国政に遺漏なきよう計る と。
都では、第四皇子を中心に、第八皇子の息の掛かった大臣たちの配転あるいは左遷の動きがある。察知した第十四皇子は、対策を相談するため蒙古の地に第八皇子を訪ねます。勿論、勅命違反であり、知られたら打ち首である。
夜分、蒙古衣装に身を包み、大将髭に顎髭を蓄え、蒙古人に変装した第十四皇子は、若曦のテントを訪ねます。訳を問う若曦に第十四皇子は、「関りを持つな、“八兄”に逢いたい」と告げます。
若曦が、暗黙裏に二人の会合の時と所を整えます。夜分、第八皇子は、周りに注意しながら、密かにテントを後にします。しかし、第八皇子は気づかなかったが、物陰の暗がりで、幾人か人影の動くのが見えた。
皇太子のテントで、部下の一人が「第八皇子が蒙古人、いや恐らく第十四皇子と密かに接触している」との注進があった。聞いた皇太子は、「渡りに船だ!勅命に背いた十四弟が、八弟と密かに逢っているとは。願ってもない、復讐の時だ!」
「曲者が幕営に侵入したとなれば、陛下に無断で始末しても問題はなかろう。総動員を掛けろ!」と弓矢をとり、夜陰の林に駆けつけます。それらしき人影に向かって矢を放つと手ごたえを感じた。しかし現場に駆けつけてみると、地に突き刺さった矢があるのみである。
第十四皇子は、若曦のテントに駆け込むことができた。窮した若曦は、心苦しさを感じながらも、蒙古王の娘、敏敏(ミンミン)に、“恋人が訪ねてきた”と紹介して、敏敏のテント内に匿ってもらう。
林で第八・十四皇子を見失った皇太子らは、幕営に戻り、蒙古の大将や兵隊をも動員して、隈なく “曲者”を捜索します。皇太子は、「敏敏のテントがまだ調べてない」とそこに向かうが、蒙古の大将は、「そこへの立入りは禁止されている」として、捜索を断ります。
皇太子は、蒙古の大将の制止を振り切って、敏敏のテントに押し入るが、這う這うの体でテントから逃げ出してきます。“可愛いながら、さすが蒙古の娘、武術の心得がある”と、皇太子は、舌を巻いていた。
陛下と蒙古王の幕舎内で、皇太子は、陛下から幕営内を大騒動に巻き込んだ責を問われます。しかし蒙古王や周りのとりなしで、陛下の怒りは一応収まります。
一方、第八皇子は、幸いに無事に自分の幕舎内に戻っていました。皇太子の放った矢は、急所は外れていたが、第八皇子の左胸に命中していて、第十四皇子が機敏に抜き取ったのであった。受けた矢傷は隠しようがありません。そんな折、皇太子の来訪が告げられます。
第八皇子はとっさに一計を案じ、付け人に熱湯を用意させます。来訪した皇太子の面前で、お茶を注文し、付け人が“誤って”第八皇子の左上腕に熱湯をこぼし、火傷を負わせます。“医者だ!薬だ!”と大騒ぎする中で、矢傷の件を隠しおおすことに成功します。
第十四皇子は、ほとぼりの冷めるのを待って幕営地を後にすることにして、敏敏のテントに留まっています。若曦を“姉”と慕う敏敏は、“姉の恋人”、第十四皇子に対して、「出会いは?」、「都での生活はどんな?」等々、興味津々として二人の関係を根掘り葉掘り尋ねます。
遂には、敏敏の前で、歌を歌わざるを得ない羽目になって、オペラよろしく、朗々と一曲披露します:♪♪あの山水が恋しい、七弦の琴を弾いた日々、鴻の帰りを眺めるのみ♪♪ と。中々聴きごたえのある美声である。
この“歌”は、(北)宋時代の文人、賀鋳(ガ チュウ;1052~1126)の代表作の詞「六州歌頭」の一部です。この詞は39句からなる長編ですが、その後半部を末尾に挙げました。第十四皇子の歌は、この詞の最後の3句に相当しています。
賀鋳は、(北)宋末の人であり、いわゆる、“靖康の変”(1127)の1年前に没しています。先に触れた蘇軾(東坡;1037~1101)(参照:閑話休題45;17-07-25投稿)よりややおくれて誕生しており、両者の活躍の時代はいくらか重なっています。
“靖康の変”とは、北方異民族の女真族(金)が、(北)宋の首都・卞京(ベンケイ、現開封市)を占領し、上皇(前皇帝)徽宗および皇帝欽宗などを捕らえ、拉致した出来事です。その期をもって(北)宋は滅亡し、以後、中国の南半分は南宋として栄えていきます。
すなわち、賀鋳が活躍した時代は、度重なる金の侵攻に逢い、国の前途に不安と緊張が高まっている時代でした。詞では、この不安と緊張の状況を、安禄山が反乱を起こし、唐の首都・長安に攻めてきた状況に置き換えて詠っているようです。
前回に挙げた丘処機の「無俗念」とは、違った意味で、難解な詞です。その解釈は、主に碇豊長の解説を参考にしています(後記参考)。
さて、ドラマに返って、この詞、中でも最後の3句を引用したドラマ作者の意図、あるいはドラマの進行と詞の内容にいかなる関連があるのか。少々難解ですが、考えてみます。
先ず、安禄山の侵攻に逢った唐の首都・長安および金の侵攻に晒された(北)宋の首都・卞京の状況は、皇太子一派および第四皇子一派の攻めの対象にされている第八皇子一派の状況に重なるように思われます。
遂には、長安、卞京ともに占領されて、その主(皇帝)は、余儀なく都落ちしました。(但し、長安は、代を代えて復帰していますが。)第八皇子は陥落…?… とその前途を暗示しているのでしょうか。
また第八皇子は、皇子という恵まれた環境にあり、且つ“八賢王”と称されるほどに才能に恵まれながら、どこか世の流れと噛み合わないもどかしさを胸に、一羽の鴻(皇帝?)が遠く飛んでいくのをただ眺めるだけである と。
(第11および12話から)
xxxxxxx
六州歌頭 賀鋳
<原文および読み下し文>
………(前半 略)
似黄梁夢, 辭丹鳳,明月共,漾孤篷。
…黄梁(コウリョウ)の夢に似る,丹鳳を辭し,
……明月 共にし,孤篷(コホウ) 漾(タダヨ)う。
官冗從,懷倥偬;落塵籠,簿書叢。
…官は 冗(ジョウ)に從ひ,倥偬(コウソウ)を 懷(オモ)う;
……塵籠(ジンロウ)に 落つ,簿書(ボショ)の叢。
鶡弁如雲衆,供粗用,忽奇功。
…鶡(ヤマドリ)の弁 雲衆の如く,粗用(ソヨウ)に供されて,
……奇功 忽(オロソ)かにす。
笳鼓動,漁陽弄,思悲翁,不請長纓,繋取天驕種,劍吼西風。
…笳(アシブエ)は 鼓動(コドウ)し,漁陽 弄ぶ,思悲の翁なれば,
……長纓(チョウエイ)を請はず,天驕(テンキョウ)の種を繋ぎ取らんと,劍は西風に吼ゆ。
恨登山臨水,手寄七絃桐,目送孤鴻。
…登山 臨水を 恨みて,七絃の桐を手に寄せ,孤鴻を目送す。
註]
黄梁の夢:廬生(ロセイ)という青年が、邯鄲で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年の夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄梁(大粟 オオアワ)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった という故事による。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。一炊の夢、邯鄲の夢。
丹鳳:唐の長安にあった丹鳳門のこと。転じて、帝都。
篷:スゲやカヤなどを粗く編んだむしろ、とま。舟や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。孤篷 漾う:流転漂泊を意味する。
冗:余計な、ここでは、専門の職のない臨時の職、官位の低い職。
倥偬:せわしい、貧困である、苦しむさま。
塵籠:塵でけがれた、俗世間の生活。
簿書:役所の書類。
鶡の弁:ここでは武官。鶡は、死ぬまで闘う勇猛な鳥と伝えられ、武官の被るものの飾りとなっている。弁は、帽子。
粗用:粗っぽく、手軽に用いられること。
漁陽:現天津市薊県のあたり、唐の時代、安禄山が反乱を起こした地。
纓:(顎の下で結ぶ)冠のひも。“長纓を請う”は軍隊に志願すること。
天驕:漢代の人が、北方少数民族の君主(匈奴単于)に対して用いた名称。のち、歴史上の北方の一部少数民族の君主を指す。
七絃の桐:胴の部分が桐の板でできた七弦の琴。
鴻:ヒシクイ;大型のガン、おおとり。ここでは、想像上の鳥“鳳凰”か。
<現代語訳>
……
黄梁の夢の如く栄華の時期は過ぎた、帝都を辞して、明月とともに、独りさすらうことになった。
官職は低く、忙しくしく苦しい;塵に穢れて、書類の山に埋もれている。
武官は雲の如くに多く、粗末に扱われて、珍しく功績を挙げても、なおざりにされる。
笛は兵を鼓舞し、出陣を促すが、自分は歳ゆえに、従軍することなくとも、北方異民族を降さんものと、剣は西風に吼える。
山や川が恋しく、七弦の琴を引き寄せて弾じつゝ、一羽の鴻が飛んでいくのを見送っている。
参考
碇豊長:http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p14zhx6z.htm
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