(p30より引用) 最近の発言でありさえすれば、常により正しく、後から書かれたものならば、いかなるものでも前に書かれたものを改善しており、いかなる変更も必ず進歩であると信ずることほど大きな誤りはない。
先人を否定をすることはたやすいことです。特に過去の権威ある著作に対して異を唱えることは、容易に脚光を浴びる近道でもあります。しかしながら、その思索が真に対象(古典)を凌駕しているかがポイントです。
これは別に古典に限らずすべての著作に対して言えることですが、その著作が伝えようとしている趣旨やそこに至る思索の営みをどれだけ真摯な姿勢で理解しようとしているか、批判者には、その受容のための努力が必須です。
対象の真意を掴み切らない以上は、それと対等な的確な同意・反論はできないものだと思います。また、批判する資格は生まれないのだと思います。
古典は、長きにわたる年月を経て多くの人の耳目をくぐって今に至っているのですから、まずは教授を受けるべく謙虚に相対するべきでしょう。