ソクラテスが哲学的探求に際して用いたのは「問答法」と言われる方法です。
これは、誰もが承認しうる前提から出発して、相手の矛盾を指摘しつつ、論理整合した結論に至らしめるものです。
(p62より引用) かれは、かれらが、自分たちの真に理解しているものがいかにわずかであるかを悟って、かれとともに真理の探求に乗り出す準備ができるように、かれらを当惑させることから始める。
この方法は、物事の根源的認識を出発点に論理を積み上げているものでした。そのため、しばしば当時の社会通念や常識を否定することとなりました。
(p64より引用) 若者たちに、人間らしさの完全な自由を獲得するためには、すべての承認された行為の格率を疑問に付し、あらゆる道徳問題を自分の力で判断することを目ざさなければならない、と教えるのは、両親と社会がそれでもってかれらの少年期を、それほどまで熱心に取り囲んできた、道徳的な支柱と控え壁を取りこわすという意味で、かれらを脱-道徳化する〔旧来の道徳を捨てさせる〕ことにほかならないからである。じっさい、ソクラテスは社会的強制という道徳観-人類の歴史全体を通じて、家族から国家にいたるまでのあらゆる規模の人間集団を統合してきた、権威への服従と習慣への適合という道徳観-を、土台から切り崩しつつあった。
こうなると従前からの体制側の人びとはいい気持ちはしません。
ソクラテスが訴追された背景です。
ソクラテスの罪状は、
「ひとつ、ソクラテスは国家が認める神々を認めず、新たな神格(ダイモン)を導入するの罪を犯す。ふたつ、ソクラテスは若者を堕落せしめる罪を犯す。よって死罪を要求すること件のごとし」
と伝えられています。
しかし、ソクラテスは若者を堕落させたわけではありません。偏見や受け売りの意見に惑わされない「洞察力」を教えたのです。
(p67より引用) ソクラテスの発見は、真の自我は身体ではなくて魂である、ということだった。魂によってかれが意味したのは、善を悪から分かち、誤りなく善を選ぶことのできる、洞察能力の座だった。自己知とはこの真の自我の認識を意味する。
真に善を認識すれば、その意志の力で善に反することはしないのです。
(p68より引用) 人びとは、普通、「わたしは、それは悪いと知っていたが、それをしないわけにはいかなかった。」と言う。ソクラテスは、それはほんとうは真理ではない、と答える。・・・いったん、意志が、その対象である善に、純粋で明晰な視点をもって向けられたなら、なんぴとも、自分の真の意志に逆らって悪事をなすものではない。
ソクラテス以前以後 価格:¥ 483(税込) 発売日:1995-12 |