古事記に関しては以前、梅原猛氏による「古事記」という本を読みました。
今回は、長部日出雄氏による古事記をテーマにした論考です。
長部氏は、本書でいくつもの興味深い仮説を提示していますが、その立論を貫く基軸は古事記編纂の発案者である「天武天皇」です。
たとえば、「日本語の父は天武天皇」との説では、「天武天皇」→「古事記」→「日本語」と流れていきます。
(p51より引用) 日本人の自己同一性は、人種でも住所でもなく、日本語を母語とする事実によって決定されるとすれば、それは『古事記』によって確立されたのである。
漢字という異国の文字を受け入れることからはじまったこの言語の再創造は、他者を包容することによって進化するわが国の文化の二元的な構造を、何よりも具体的に示す根本の軌範といってよいであろう。
長部氏は、この日本語の成立に見られる「二元性」は言語の特性にとどまらず、日本という国家の基本構造でもあると考えています。
その二元性は天武天皇の理想でもあったというのです。
(p261より引用)
和語と漢字。
神と仏。
天津神と国津神。
唐楽・高麗楽と国風歌舞。
と、たがいに異質で相反する要素の和らかな共存を図って、唯一の価値観に偏らず、二つの中心を持ついわば楕円形の国家を建設したい、というのが、天武天皇の願った理想の和の国の姿であった。
(p266より引用) しかし、天武天皇にはまた、軍事的な独裁者の面も確かにあった。その面が、女帝の威光を背負った後宮の影響力によって薄められ、極めて独創的な思想上の最上の部分だけが、後世に伝わって、「日本」という国家の原型を作るもとになった。
この二元論は、明治から昭和期の歴史学者津田左右吉の思想にも繋がるものです。
(p129より引用) 権力と権威を切り離した‐津田左右吉のいうわが国古来の「世界に類のない二重政体組織」、単一の原理を唯一絶対のものとしない独特の二元論には、人類にとっても英知と呼んでいい貴重な価値が秘められていたのである。
その他、本書では、「稗田阿礼は女性」とか「古事記は楽劇」等々の諸説が開陳されていますが、それらの論証において、やはり「古事記伝」に代表される「本居宣長」の業績が参照されています。
著者は、幕末・明治期以降、国粋主義の思想的根拠とされた本居宣長観に対して疑問をいだいています。
たとえば、宣長の詩歌感についての記述です。
(p274より引用) ただ物はかなく女々しげなる此方の歌ぞ、詩歌の本意なるとはいふなり。
物事を、何もかも善悪のいずれかに理屈で(つまり漢意で)割り切るのではなく、「物のあはれ」を解する心こそ、この国の文芸の本意である、という翁の考えと、戦時中、本居宣長を神格化して担ぎ上げ、皇国史観と軍国主義を声高に勇ましく唱えた人びととの間に、どれほど大きな距離があったかが知られるであろう。
宣長の著書「石上私淑言」に記された「物のあはれ」の定義をみると、至極当然の自然な心持ちが感じられます。
(p275より引用) さてその物のあはれを知るといひ、知らぬといふけぢめは、たとへば めでたき花を見、さやかなる月に向ひて、あはれと情の感く、すなはちこれ、物のあはれを知るなり。
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それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。