君主論→マキアヴェリ→マキアヴェリズム→「目的のためには手段を選ばない」→「権謀術数」と連想ゲームは進みます。
が、実際「君主論」のどこを読んでも、マキアヴェリは「目的のためには手段を選ばない」などとは言っていません。
むしろ、以下のように、極めて穏当な姿勢を薦めています。
(p176より引用) 「支配者たる者は・・・さまざまな不都合の特質を知り、より少ない悪を良いものとして選ぶことを知るのが、賢明というものである」
それぞれの案をよく吟味し、よりよい選択肢を見極めるべきとの主張です。そして、その選択にあたっての判断軸のひとつが「民衆」です。
当然のことながら、「君主論」には、君主の地位を獲得するための、またその地位を維持するための能力・方策として何が必要かの論述が多くありますが、その根底には常に「民衆」を意識した目線があります。
(p92より引用) 「君主は民衆を味方にすることが必要であり、さもなければ逆境にあって施す術がない」
(p170より引用) 「最善の砦とは民衆に憎まれないことである」
君主の支配に係るステークホルダとしては、貴族・教会・軍隊等を挙げていますが、それらの中で何より重要なのは「民衆」だという意識は明瞭に開陳されています。
決して君主の視座からの「権謀術数」の論ではないのです。
(p170より引用) 「君主は・・・市民達が安んじて商業、農業、その他諸々の職業にいそしむように励まし、彼らが自らの財産が召し上げられるのを恐れて自らの所有物を目立たせないようにしたり、課税を恐れて商業取引を控えたりしないようにしなければならない」
まさに「王道」の「君主論」です。