OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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君主論≠マキアヴェリズム

2005-10-03 00:05:45 | 本と雑誌

 君主論→マキアヴェリ→マキアヴェリズム→「目的のためには手段を選ばない」→「権謀術数」と連想ゲームは進みます。

 が、実際「君主論」のどこを読んでも、マキアヴェリは「目的のためには手段を選ばない」などとは言っていません。
 むしろ、以下のように、極めて穏当な姿勢を薦めています。

(p176より引用) 「支配者たる者は・・・さまざまな不都合の特質を知り、より少ない悪を良いものとして選ぶことを知るのが、賢明というものである」

 それぞれの案をよく吟味し、よりよい選択肢を見極めるべきとの主張です。そして、その選択にあたっての判断軸のひとつが「民衆」です。
 当然のことながら、「君主論」には、君主の地位を獲得するための、またその地位を維持するための能力・方策として何が必要かの論述が多くありますが、その根底には常に「民衆」を意識した目線があります。

(p92より引用) 「君主は民衆を味方にすることが必要であり、さもなければ逆境にあって施す術がない」

(p170より引用) 「最善の砦とは民衆に憎まれないことである」

 君主の支配に係るステークホルダとしては、貴族・教会・軍隊等を挙げていますが、それらの中で何より重要なのは「民衆」だという意識は明瞭に開陳されています。
 決して君主の視座からの「権謀術数」の論ではないのです。

(p170より引用) 「君主は・・・市民達が安んじて商業、農業、その他諸々の職業にいそしむように励まし、彼らが自らの財産が召し上げられるのを恐れて自らの所有物を目立たせないようにしたり、課税を恐れて商業取引を控えたりしないようにしなければならない」

 まさに「王道」の「君主論」です。

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時空の隔て (イソップ寓話集)

2005-10-01 18:37:25 | 本と雑誌

 イソップ(英語名)は、前6世紀のギリシャの寓話作家でギリシャ語名はアイソポスと言います。幼いころ誰でも耳にした寓話のいくつかはイソップにより語られたものでしょう。

 日本へは16世紀末にキリシタン宣教師によってイソップ寓話集のラテン語版がもたらされ、1593年(文禄2)、「イソポのハブラス」(天草本伊曽保物語)として出版されたものが翻訳物としては最初とのことです。その後、江戸初期以来、各種の「伊曾保物語」の出版により広く日本中に普及しました。

 日本に伝わる民話・昔話・逸話等の中には、イソップ寓話と殆ど同じ内容のものがいくつもあります。それらは、実際イソップ寓話が原型のものもあれば、別の伝承が偶然類話となったものもあるようです。

 その中で有名なものは、毛利元就の「三本の矢」の逸話です。

あるとき元就は、長男隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景を呼び、矢を手に持ちながら「この矢は、1本だとすぐ折れてしまう」と言ってぼきっと折った。次に、3本の矢を束ねて持ち、「これだと、なかなか容易には折れぬ。兄弟もこれと同じじゃ。仲良くせいよ」と言った

 この逸話は、イソップ寓話の中の「兄弟喧嘩する農夫の息子」(イソップ寓話集(岩波文庫53))の内容と「矢」が「棒」になっているぐらいで殆ど同じです。

 ただ、日本での最初の翻訳物は前述したように1593年、他方、毛利元就は1571年に死去しています。
 時間と空間を大きく隔てて、普遍的な精神が流れているのかもしれません。

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