長野マラソン・去りゆく勇者
21日、雪とみぞれが降る悪コンディションの中、
公務員ランナーの川内優輝(26=埼玉県庁)が2時間14分27秒で優勝した。
大会史上初の日本人男子優勝である。
指導者もコーチもいない若者が、公務の合間を縫って、
自分の信じる道を目標に向かってひたむきに走る姿に深い感動を覚えた。
トップランナーにあたる栄光のスポットライトがまぶしい。
このレースにはもう一つのドラマがあった。
大会に引退レースとして参加した、日本記録保持者の藤田淳史(36=富士通)のラストランだ。
気温0.4度の雪の中、左ふくらはぎ肉離れのため30㌔付近で棄権を余儀なくされ、
有終の美を飾ることはできなかったが、彼の残したマラソンの記録は素晴らしい。
2000年12月の福岡国際マラソンでは、2時間06分51秒を記録し、
マラソン3度目にして初優勝。2位の選手を4分近く引き離す圧倒的勝利だ。
当時の日本男子最高記録で同時に、福岡国際マラソン大会新記録だった(タイムは現在も日本人歴代2位)。
この時彼は色紙に次のような言葉を残している。
「神様は確かに存在する。
そして神様は奇跡を起こしてくれる。
しかし神様は死ぬほど努力したものにしか力を貸してくれない」と。
負けず嫌いで、富士通入社当時は
「1カ月に1000㌔走る練習の虫だった」(福嶋正富士通監督)彼にして言える重い言葉である。
たび重なるケガに泣かされながらもオリンピック出場を目指したが、
夢はかなわなかった。
優勝3回という記録だけが残った。
尚現役引退後は、富士通のコーチに就任の予定。
36歳の新たな出発である。
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