雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「雨に泣いている」(1)

2015-05-15 22:10:00 | 読書案内

読書案内「雨に泣いている」(1)

真山 仁著  幻冬舎 2015.1 1

                   

報道とは

 この作者の小説は、「コラプテオ」(原発輸出を巡る汚職がらみの攻防戦を描く)、「そして、星が輝く夜がくる」(被災地で力強く生きる子どもたちを描く)の2作を紹介した。

 今回はタイトルに魅かれて購入した。

 

 未曾有の震災に、現地入りを志願した新聞記者・大嶽は、幼子を抱えた妻の反対を押し切って被災地へ向かう。     

 震災から2日後の沿岸部に足を踏み入れ、

津波にさらわれ壊滅した街を目のあたりにして、息を呑むが、

「あまりの崩壊に、そこに人の営みがあったのを想像するのが難しかったが、具体的な店や風景がここにあったと聞くことで、目の前の荒廃が示す意味の重さを実感できた。地震が奪い去ったのは建物や街の風景だけではない」。

生きる力や、立ち直る気力さえなくした被災者を眺め、

「ここで起きたことを、感情抜きで伝えてください。可哀想とか、頑張れではなく、泥の中から見つかる遺体、暗闇を怖がる子ども、そして大切なものを失って途方に暮れる人々の姿をありのまま伝えてください」と言う被災者。

 悲しみに沈む相手の心を捉え、いかにして記事として成立させるか。

こうした下心を持って取材する記者に、「相手の気持ちに寄り添う」ということが出来るのか。

 

 真実を報道するとは、

目には見えないもの、心に触れる感動や悲しみを読み取り、いかにして文字や写真に写し取るかということだ。

 

人間としての葛藤などもさりげなく記者活動の中で表現されている。

 

 物語は震災地での記者活動を縦糸に、

後半三分の一で美談が、13年前の凶悪事件の疑惑へと発展していく過程を横糸に、進展していく。

津波でさらわれ遺体となって発見された美談の主の過去を暴いてどんな意味があるのか。

新聞社間の特ダネ競争の中ベテラン記者大嶽は苦悩する。果たして疑惑は本当なのか?

                                             (2015.5.15記)          (つづく)

 

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