児童文学 「ビルマの竪琴」に見る
水島上等兵の気持ち(1)
8月。
お盆。
死者の御霊が帰ってくる時期だ。
同時に終戦71年目を迎える時期でもある。
8月には例年、太平洋戦争関係の本を読むことにしている。
「黒い雨」「野火」「火垂るの墓・アメリカひじき」「白旗の少女」などを取り上げてきたが、今年は、
「ビルマの竪琴」を取り上げた。
ビルマ戦線とは
この物語は、
インパール作戦で命を失った兵士たちの「魂の救済」というのがひとつのテーマになっています。 インパール作戦は、
インドとビルマ、今のミャンマーとの国境地帯で展開された作戦です。
1944年、終戦の1年前に行われた作戦です。
日本軍はすでに劣勢になっていた戦局を挽回するために、
国境のアラカン山脈を越えてイギリス軍などの連合国側の拠点インパールの制圧を試みます。
中国の背後の支援ルートを断ち中国軍の弱体化を計り、
一気に戦局を逆転しようとする意図があったようです。
9万の兵を投入し、
作戦完了までに費やす時間を、
大本営は3週間足らずと踏んでいたから、
兵士一人に支給された食料は20日分、240発の弾薬、6発の手榴弾だけだった。
それでも背負う背嚢は40㌔にもなった。
食料も武器の補給もなく、
蒸し風呂のようなジャングルや泥水の中を、
そして、2000㍍級のアラカン山脈を越えるのは、
まさに死の行軍だった。
補給のない山の中で、豪雨や風土病に見舞われる過酷な戦場を行軍した。
だが、作戦は失敗しました。
傷つき疲れ果てた敗軍は、
飢えと病に苦しみながらの退却でした。
倒れるものは見捨てられ、
川を渡れぬものは置き去りにされ、
闘いにかりだされた多くの兵士が、
敵との戦いで命を落とすのではなく、
飢餓と疫病で倒れていきました。
9万の兵士のうち、実に8万の兵士が亡くなったと戦記は伝えます。
倒れた兵士の骸は、累々と続き、白骨の連なりと化します。
その退却路は、
「白骨街道」とか「靖国街道」などと言われました。
戦争は、
人々の胸に、深い傷と悲しい思い出を残します。
戦争はいつも、過酷で、悲惨な現実を私たちに提供します。
(2016.08.04記) つづく