雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災す ③ あるじは雪に喰われた

2021-01-27 06:24:46 | 読書案内

北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災す 
             ③ あるじは雪に喰われた
前回は雪の降る日に用事で出かけた主人(あるじ)が、夜になっても帰ってこない。村人が近隣を探すが、
  行方が分からず、遠くまで探しに行った村人たちも帰ってきたが一向に行方が知れない。
  (雪国の中で、助け合いながら生きている村人のようすや、家族の不安などが描かれ、コミュニティーをまとめる
  老人の役割などがうかがえて興味深い)

〇 かくて夜も明ければ、村の者どもはさら也聞きしほどの人々此家に群り来り、此上はとて手に手に
  小鋤を持家内の人々も後にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの
処に至りけり。
 そうこうしているうちに
夜も明けてきた。村の人たちも事態を知り昨日よりも多くの人がこの家に
 手に手に小鋤(すき)を持って集い、この家の人たちも皆のあとにに従い、昨日ある農夫が言った峠の
 雪頽(なだれ)のあとに着いた。           
 (小鋤=人力で田畑の土を掘り起こす農具の一種)

 雪頽の痕跡見てみると、それほど大きな雪頽ではない。二十間(約36㍍)に渡り雪頽は道をふさぎ、
 雪が土手のように盛り上がっていた。
 かりにここで死んだとしても、何処に遺体があるのか見当もつかないので、
 どうしようかと村人たちが思案していると、
 昨夜皆のはやる気持ちを静めて落ちつかせたあの老人が来て「良い方法がある」という。
 老人は若者をつれて近くの村に行き、
 鶏をかき集めてきて雪頽の上に解き放ち餌を与えなすがままに自由にさせると、
 一羽の鶏が羽ばたきながら時ならぬ鳴き声を上げた。
 すると、他の鶏もここに集い来て互いに泣き声を上げた。
 このやり方は水中の死骸を探すときに用いる方法を雪に応用したもので、
 この老人の機転を後々まで村人たちは語り伝えた。

 ここからは、原作の雰囲気を味わうために原文で紹介します。
 「てにおは」や句読点など一部は読みやすいように改めています。
  (堀除積雪之図) 左端に「京水筆」とあり、これは「京水百鶴」という絵描きのことである。『わたしはまだ越地に行ったことがない、越雪の詳しい景色はわからない。だからもし雪図に誤りがあっても私の認識するところではない、その誤りを編者負わせないでほしい』と正直に添え書きしている。

 老人衆にむかひ、あるじはかならずこの下にあるべし(埋もれている)
いざ掘れほらんとて大勢一度に立ちかかりて雪頽を砕きなどして、堀けるほどに、
大なる穴をなして六七尺も堀入れしが、目に見ゆるものさらになし。
(なほ)力を尽くしてほりけるに、
真白(ましろ)なる雪の中に血を染めたる雪を掘り当て、
すはやとて猶堀入れしに片腕ちぎれて首無き死骸を堀いだし、
やがて腕(かいな)はいでたれども首は出でず。
赤く染まった雪の中から、片腕がなく、首のない死骸が掘り出され、
 まもなくちぎれた腕も発見されたが、首が見つからない。
  
   昔は、地域に必ず「古老」と称され、地域のことは何でも知っている、
 特に昔からの習慣や言伝えに詳しく、
 地域のまとめ役となり、尊敬されている老人がいた。
 この
、「雪頽(なだれ)人に災す」の項でもこうした老人が活躍している。

 こはいかにとて広く穴にしたなかをあちこちほりもとめてやうやう首もいでたり、
雪中にありしゆゑ面生(おもてい)けるがごとく也。
さいぜんよりこゝにありつる妻子らこれを見るより、妻は夫が首を抱へ、
子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(な)けり、
人々もこのあはれさを見て袖をぬらさぬはなかりけり。
かくてもあられねば、妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、
世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱ぎて父の死骸に腕を添へて泪ながらにつゝみ背負(せお)はんとする時、
さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり。
妻がもちたる首をもなきからにそえてかたげければ、人々前後につきそひ、
つま子らは哭哭(なくなく)(かへ)りけるとぞ。

 こはいかに=これはどうしたことだ やうやう=ようやく 面生けるがごとく=雪の中に埋まっていたので生きているような顔だった  かくてもあらねれば=こうしてもいられないので とぞ=……ということでした

 なんとも切なくも哀しい雪との闘いに挑む雪国の物語である。特に雪深い山村では、村人間の協力がなければ生活を維持することが難しく、特別な出来事が起きれば、前例に倣いあるいは「村のしきたり」に詳しい「古老」と呼ばれる人たちに采配を仰ぐことになる。雪国のことをよく知らない江戸の庶民にとって「北越雪譜」は、別世界を目の当たりにするようで、当時ベストセラーになったのもよくわかります。

そして、この章の最後は次のように結ばれています。
 此のものがたりは牧之(ぼくし)が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。
これのみならず、なだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其の怖ろしさ、いはんかたなし。
かの死骸の頭と腕の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。

 ※ 次回は最終回 「番外編」として「雪国を江戸で読む」近世出版文化と「北越雪譜」森山 武著
   を紹介しながら、北越雪譜の成り立ちについて記述します。
   


(読書案内№164)         (2012.1.20記)

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