雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

能登半島地震 (8) 輪島朝市大火①

2024-03-03 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (8) 輪島朝市大火①
輪島の火災なぜ拡大 消火栓が使えれば
        元消防団員「初期消火で消せたはず」
(朝日新聞2024年1月25日 社会面)
           能登半島地震に伴う大規模火災で、地元の海産物や野菜が並ぶ観光名所「輪島朝市」
           (石川県輪島市)は壊滅状態となった。なぜ炎は燃え広がったのか。
(リード文抜粋)

がれきでぺしゃんこ 
(朝日新聞2024年1月25日 社会面)

 1月1日午後4時10分 (初期消火ができなかった)
  輪島市を震度6強の揺れが襲った。
  元消防団員のKさんは、近くのお寺に備えられてる消火栓を使おうとホースを延ばした。
  だが、消火栓は瓦礫でぺしゃんこになっていた。
  最初家屋から白い煙が立ち上り、きな臭いにおいが風に乗って流れてきた。
  炎が上がり始め、やがて蒼白い炎が舞うようになり、「バーン」という音が響いた。
  ガスボンベの爆発だ。
       「最初は火が小さかった。消火栓が使えれば初期消火で消せたはず」(元消防団員のKさん)

放水で使う川の水枯渇 (朝日新聞2024年1月25日 社会面)
 1日午後6時前
  避難先の高台に次々とやってくる住民を誘導していた輪島市消防団分団長Hさんの目に映った光景。
 約1.5㌔の朝市通り周辺の家屋から赤い炎が上がっているのが見えた。
 出動要請にもとづきあちこち崩れた道路を走り、現場に辿りついたとき、
 火災は道路両脇の
家屋数棟に比が広がっていた。
  大津波警報が出ていたため、消火の水源は海岸を避け、川沿いに消防車を付けた。
 想定外のことが起きた。
 川から水を吸い上げたが、ホースから出る水はまもなく泥になり、ついには砂になった。
 「津波の引き潮かと思ったが、今考えると地面が隆起して水が流れてこなかったのでは」
(分団長Hさん)

倒壊した家屋が行く手を遮る 道路の寸断、隆起、陥没 延焼する火災  
1日午後7時ごろ
 別の消防車は火元付近から500㍍にある河井
 積んでいたホースを出し、プールから水をくみ取って放水を始めた
 この時点で時間は火災発生からおよそ3時間が経過していた。
 火災は延焼し、消防車は少ない。同時に何か所もの放水を可能にするのに、ホースを分岐した。
 その結果水圧が弱くなる。近くの消火栓をひねるが、
給水管が破断しているためか水は出ない。
 熱気が強くなり、熱気を避けるように顔を背ける。
 消火活動の限界に後退
を迫られる団員達。
                    当初、火災現場に到着できた消防車は6台だった。
                    記事によると、輪島市内には一つの消防署と二つの消防分署、
                    16の消防団で計23台の消防車がある。
                     ほかの自治体や県にも応援を頼んだが、道路の分断は多岐に
                    わたり、駆け付けることが困難だった。

2日午前2時ごろ 少しだけ先が見えてきた
 この頃大津波警報は津波警報に切り替わっていた。火災の状況は深刻だった。
輪島朝市の最も北側に位置する、海に面した家屋にも火が迫っていたと記事は伝える。
津波警報に替わり、消防隊は海水のくみ上げ指示を出した。
海水の放水が始まり、水の勢いが強まった。(朝日新聞2024年1月25日 社会面)

2日午前7時半ごろ 火の勢いが弱くなったが……
 海水による放水が始まって放出される水が放水口から勢いよく出るようになり、少しずつだが、火の勢いが弱くなってきた。だが、新聞は輪島火災の容易ならざる状況を次のように表現した。
鎮火に至るまでにさらに100時間以上の時間を要した。
 
 日本三大朝市である輪島朝市が灰燼に帰した。日本最古の朝市で、奈良時代後期か平安時代の初めごろと言われている。物々交換の時代に、神社の祭日に行っていた市が交換の物が多くなり1000年の時を経て現在のような形になったといわれている。
 また、明治初期むのむ発祥という輪島塗も伝統工芸となり、輪島を代表する産業に成長したが、地震のために工房や住まいが倒壊し、職人の高齢化のなか、存在が危惧されている。
「輪島塗の職人たちが築いてきたものとか、大事な思い出も全部燃えてしまった気がします。悔しいですね」
                                                (40年漆塗りに従事した職人)
                    

【今日のことば】『また行こう、能登へ』
 一月に金沢へ旅をしたMさんの話。能登半島地震の被災で、深刻な状況にある被災地「能登」へ訪れるのも申し訳ない気がしたが、「今だからこそ行こう」とうご主人に背中を押されての再訪である。
終末の東京から金沢に向かう北陸新幹線は割合混んでいたが、終点の金沢駅では降りる人はわずかだった。
 過去の能登方面の旅を振り返るMさん。
  珠洲の塩づくり体験、輪島の朝市ではあめがふり寒い中、おばさんに魚を選んでもらったことなど。
 親切で温かみのある人ばかりと過去の旅の思い出を述べる。
  「地震のため、もう造られないかもしれない能登の貴重なお酒を大事に大事に味わった。
   一日も早く元の生活に戻れますように。また行こう。ぜひ行こう」
                                                                                                            (朝日新聞2024.02.28ひととき欄)
   何度行っても、能登訪問は日常生活からの一時の脱出に、心癒される旅になります。
  訪れるたびに「能登は優しや土までも」という言葉を思い出します。
  特に能登言葉というのでしょうか、語尾を息を抜いて、
  「○○してぇーぇー」「○○だからぁーぁー」というイントネーションの響きに、
  能登人の優しさを感じます。

      (ことばのちから№8)                    (2024.03.02記)
           


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