能登半島地震 (9) 輪島朝市大火②
輪島朝市の大火は地震の直後に起き、テレビ画面に映された映像は、
小さな火災ですぐに消えるだろうと私は思っていた。
それよりも、テレビの緊急速報は「津波の恐れがあります。すぐに避難してください」
と繰り返しアナウンスし、NHKの定点カメラは人気の途絶えた街並みを映すことと、
避難勧告を繰り返すばかりだった。
次の火災の放映では4~5軒の火災に広がっている場面だった。
放映する側も視聴者もこのような大火になる事を予想できなかったように思う。
東日本大震災の火災
東日本大震災の火災は、津波で流された家屋の瓦礫が集まった場所からの出火で、
能登の大火のように火元が一か所からの延焼ではなく、火災発生個所が何か所もあり、
しかも津波で流された家屋などの瓦礫が漂って広範囲にわたって集積しているような火災現場で、
消防車が近づけるような状況ではなかった。
さて、輪島朝市の火災だが、地震の直後に起きた火災は、一晩中延焼を続けた。
大津波警報が発令され、住民らは避難するさなかだった。
消火栓や防火水槽は倒壊家屋や断水などで使用できず、
消防車は寸断された道路に阻まれなかなか現場に到着できなかった。 (ここまで前回の概要)
輪島の地震火災、電気配線原因か
溶けた痕跡、焼損240棟(共同通信2024.2.15)
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ほぼ全域が焼失した石川県輪島市の「輪島朝市」周辺=1月
総務省消防庁は15日発表。屋内の電気配線が地震で傷つきショートするなど、電気に起因した可能性があるとの見方を示した。
火災に被災した家は240棟で、東京ドームより広い地域が焼失した。急速に燃え広がった原因は、
防火性能が低い古い木造の建物が密集していたためと分析している。
電気火災について
電気配線がが傷つき、ショウトして発火し、火災を引き起こす現象。
阪神・淡路大震災(1995.1.17)や東日本大震災(2011.3.11)でも、
火災原因の6~7割占めたと言はれている。
過去に発生した災害を研究・分析し教訓とすることは、災害予防の鉄則だ。
南海トラフと巨大地震ゃ首都圏直下型地震が起きれば、倒壊した家屋の下敷きになり、
救助を待ってる間に火焔に襲われ焼死する恐れも予測できる。
多数の罹災者の命をどのように守ったらいいのか。
「感電ブレーカー」
政府は、揺れを感知して電気を遮断する「感電ブレーカー」の普及などの対策を進めるという。
「感電ブレーカ」の設置にどのくらいの費用が掛かるのか、どの程度の地震で作動させるのか。
地域全体が実施の方向で取り組まなければ大災害時の電気火災を防ぐことはできない。
輪島 朝市通り火災は1か所から拡大した 重なった想定外と誤算
(NHK NEWS WEB2024.2.1)
1か所から出た火の手は瞬く間に広がり、多くの住民が犠牲になった。
なぜ火災は拡大し、住民たちの命を救うことはできなかったのか。
火災について取材を進めると、消火活動を阻むいくつもの想定外と誤算が重なっていたことがわかった。
(金沢放送局 記者 竹村雅志)
倒壊した家屋に閉じ込められた両親
迫る炎「悪いけども逃げるよ」
午後4時すぎ、輪島市で震度4と震度7の地震が相次いで発生。
1回目の揺れのあと、清水さんは「津波がくるかもしれない」と思い、
駐車場に止めてある車のもとへ向かった。
そのとき、2回目の大きな揺れが発生し、実家の1階部分が完全につぶれて倒壊した。
両親の姿が見えない。
倒壊した家屋に向かって両親に呼びかけると、母親の声が聞こえた。
「無事だよ」
という声が1階部分の瓦礫の中から聞こえてきた。
「助け出したいが、姿の見えない母親を自力で助け出すことは不可能な状況だった」
近くで発生した火災の炎が迫ってきた。両親を助け出すためにその場に残るか、逃げるか。
葛藤の末、清水さんは母親にこう告げる。
「悪いけども逃げるよ」母親からは「わかったよ」と、返事があったという。
これが母親との最後のやりとりだった。
両親の行方はわかっておらず、実家があった場所からは人の骨が見つかり、
警察のDNA鑑定が進められている。
1か所から次々と延焼 大規模火災に
何名かの輪島市消防団の団員が救助活動に向かう途中、火が出ているのを発見している。
地震発生から約1時間後の5時23分頃だった。
この時、火災は隣接する2棟の1か所だけだった。
火はここから延焼を拡大し、大火災へと広がっていった。
初期消火が可能な段階で、消防団に発見されながら、
火災は沈下されることなく大火災に発展してしまった。
何故なのだろう。
第1の原因 消火栓が使用不能
最初に到着した消防署員は、消火栓までホースをつないだが、
水道管が地震で破砕し、断水して使用不能。
第2の原因 川に水がなかった
近くを流れる河原田川に消火水の水源をもとめたが、地震による地盤の隆起が影響したのか、
あるいは津波による引き浪の影響か、川にはほとんど水が流れておらず、
消火に十分な水をくみ上げることはできなかった。
第3の原因 防火水槽に近づけない
初期消火に失敗し、火災は延焼し拡大していった。
延焼を延焼をくい止めるには、火元を複数の所から囲うようにして放水するのが有効だとされている。
駆け付けた消防車はそれぞれ、消火栓や川の水に消火水を求めたがどの車も同じ理由で、
消火活動が思うように活動できなかった。
結局、最初に到着した消防車がかろうじて残っていた河原田川の水を放水できたにとどまつた。
その川の水もすぐになくなり、初期消火に失敗してしまう。
第4の原因 海水による消火もできない
消火栓は断水で使用不能、川の水は渇水、最後の手段は防火数層からの消火だ。
だが、倒壊した家屋の瓦礫や、道路の陥没と隆起で消防車は行く手を阻まれ、
火災現場に到着することに、非情な困難を要した。
消火作業を妨げる様々な要因が、初期消火の原則を逃してしまった。
最後の消火活動は海水放出による消火だ。
だが、火災当時、輪島市では地震発生直後に1㍍20㌢をこえる津波が観測され、
地震発生直後から大津波警報や津波警報が出されていたために、
海に近づくことが出なかった。
第5の原因
朝市通りには、古い木造家屋が多いのも、火災が短時間で広がる一因にもなっていた。
その後現着した消防は、ホースを何十本もつなぎ、
離れた場所にある防火水槽や小学校のプールの水を使用して放水した。
しかし、ホースが長くなった分、水の勢いがなかった。
火はすでに町全体を飲み込むように広がり、消火活動は思うに任せなかった。
海水を使って消火活動が可能になった
地震直後に発生した輪島朝市の火災は、いくつもの誤算や想定外が重なり、
火勢は衰えることなく一日元旦の夜を燃え続け、2日の朝が訪れた。
津波警報が注意報に変わった。
消防は海水をくみ上げ、やっと本来の消火活動ができるようになった。
午前7時半ごろ、輪島朝市通りの火災は鎮圧された。
一帯の建物は焼け落ち、かつてのにぎやかな通りは黒く焼け落ち、
あちこちから聞こえる売り手と買い手の元気な声や町並みは灰燼に帰した。
東京理科大学 小林恭一教授は、今度の輪島火災を次のように話している。
「阪神・淡路大震災では、消火栓が断水で使用できず火災が広がった教訓から、
断水が起きても利用できる防火水槽の整備が進められた。
しかし今回、その防火水槽が使用できなかったことを教訓にしなければならない。
防火水槽の取水口を離れた場所にも複数設けて、
1か所に障害物があっても他の所を使える対策をとるべきだ。
木造家屋密集地が全国各地にあって、地震で火災が起きると、
消防隊が活動できない場合があるので、
木造家屋の不燃率を上げていくことも継続的にやっていかなければならない」
(…略…)
さまざまな想定外が重なり、被害が広がった輪島市の朝市通りでの火災。
想定外を減らし、被害を拡大させないための取り組みを進めなければならない。
(2月1日「NHKウオッチ9」を参照)
(ことばのちから№9) (2024.03.06記)
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