イルミネーションとケーキのクリスマス
寂しい……
2015.12.25の振り返り記事です。
この年の2年前の12月、私は14歳の孫を突然になくしました。
あれから4年の辛い時間が流れましたが、
いまだに悲しみは当時のままで癒えることがありません。
それでも、時は流れ、私は年を取って行く。
孫の逝った世界に一歩づつ近づいていくのだなと、
めっきり弱くなった足の筋肉を撫でながら、老いの坂道をゆるゆると下っていきます。
荒涼とした風景は、あの日の哀しい思いに繋がっていくので好きではないが、
明るく華やかな景色も馴染めません。
グラスに揺らぐシャンパンの気泡を見つめながらの
ちょっと寂しいクリスマスですが、
老妻と二人だけのクリスマス・イブも結構心の安らぐひと時でした。
街はクリスマスを迎え、葉を落とした街路樹に、化粧を施し、
イルミネーションの瞬きで 急速に賑やかさを増してゆく。
若い世代、恋人同士、幼児を連れた家族ずれたちが
イルミネーションのトンネルや飾り立てたモミの木のツリーに集う
人それぞれに、幸せの概念は異なるけれど、
メディアはこの時期、一斉にこうした街の風景を報道する。
クリスマスの賑やかな風景も悪くはないが、
どこかに違和感があって 素直に喜べない自分がいることに気づく
賑やかさの裏に潜んでいるある種の寂しさを
敏感に感じとり、
街路樹だって決して歓迎しているわけではないと思う
夏には日陰をつくり 秋には木々の葉を落とし
眠りに着こうとするこの時期、
木々たちは安眠を妨げられ、
かりそめの華やかさにうんざりしながらも
黙って耐えている
町の喧騒を離れ ひっそりと迎えるクリスマスがあってもいいはずだ
高価なデコレーションケーキではなく
ショートケーキのイチゴを食べながら、
電気を消し、ろうそくの明かりに揺らぐ互いの存在が、
かけがいのない存在だと思えれば
これは極上のクリスマスだ。
その時、
シャンパングラスの中で揺れている灯りが
どんなイルミネーションよりも輝いて見える
(当時の心境はカテゴリー「翔の哀歌」に綴りました。)
(2015.12.25記に加筆しました)
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