戦場カメラマンの苦悩と孤独
① 『ハゲワシと少女』
戦場や過酷事故の場面では、
ジャーナリストとしての使命感と、
今、カメラを捨てて喘いでいる人に手を差しのべれば助けられる状況に遭遇したとき、
使命感と人間としての倫理観をとるべきか。
「あなたならどうするか」と問われ、明快な答えを出せる人はいない。
「使命感」をとれば、ジャーナリストととして生きる以前に人間として生きるべきだ、
という言考え方があり、
「倫理観」をとれば、ジャーナリストとしての「使命感」が失わることになる。
つまり、「使命感」と「倫理観」が拮抗したとき、
二者択一では解決できない人間の生き方の問題が含まれているからでしょう。
『ハゲワシと少女』の写真 撮影:ケビン・カーター
掲載 ニューヨーク・タイムズ(1993年3月26日付け)
翌1994年度のピュリッツァー賞を獲得し、一躍世界の注目を受ける。
その一か月後、衝撃的な結末が訪れる。
カーター氏は故郷ヨハネスブルグ郊外の自宅近くの公園の公園で自殺。
いったいカーター氏に何が起こったのか。
そして、この写真がどのような反響を世論に投げたのか。
私は、発表時のニューヨーク・タイムズの記事を読んでいないので
『ハゲワシと少女』の写真にどのような説明があったのかわかりませんが、
スーダンで撮影された写真は、一般的には、
「ハゲワシが、飢餓で力が弱り動けなくなっている孤独な少女を食らおうとしている。」
と解釈されています。
大地に臥し頭を渇いた大地につけている少女。
命の灯が消えようとしている瞬間を捉え、
その後ろにハゲワシが少女の死を待っているように狙っています。
数分後に訪れるであろう残酷な瞬間を待っているような映像です。
「生」と「死」がハゲワシと少女に平等に訪れようとしている一瞬を
ケビン・カーター氏は切り取りました。
多くの人々が飢餓に苦しみ、特に子供たちが命を失われてしまう現実を
言葉では表現でない一瞬を切り取っています。
ペンの力は思考力と想像力で対象物を理解しようとします。
映像の力は視覚に訴え、感覚的に、より刺激的に人間の感情に訴えます。
写真が撮影された当時のスーダンでは10年以上も内戦が続いて、
多くの難民を生む原因にもなっていた。日照りのために食料は不足し、
多くの人が飢えに苦しみ、子どもたちは栄養失調で亡くなる人が多く多くいた。
しかし、報道は規制され、その状況を世界は知らなかった。
潜入したカーターは、このような現実を見事にとらえ、世界に発信した。
次回、【『ハゲワシと少女』の写真に、読者はどう反応したか】を
記載します。
(つれづれに……心もよう№124) (2020.1.29記)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます