櫻 桜 さくら サクラ(2) (つれづれに…心もよう№32)
忘れないために
人は忘れないために記念樹を植える。昔は女の子が生まれると「桐の木」を植えた。
桐は成長が早く、その子が結婚適齢期になる頃には、大きく育ち、その木で箪笥を
作り、嫁入り道具にしたと、生前母はよくこの話をした。これは生まれた女の子の
成長を願い、嫁に出すことで親の責任を果たすという記念樹なのだろう。
私は、家を建てたとき、「紅葉の木」を植えた。春の新緑のころの瑞々しさと、秋の
紅葉の美しさが好きだったからだ。苗木で植えたこの紅葉の木は、屋根を超える背たけ
に成長している。
「浪分桜」(釜石市)
東日本大震災の津波到達点を 後世に伝えようと、2年前に京都から移植された。
千年に一度の今回の津波。だから、千年語り継いでいきたい。
東北電力OGの松田正子さんの想いは、京都の著名な「桜守(さくらもり)」第16代佐野藤右衛門
さんの心を動かし実現した。「浪分桜(なみわけさくら)」と命名された桜は、宮城県の沿岸15市
町すべてに植える計画だ。
「津波がここまで来たんだよ」と浪分桜を眺めながら、100年後 1000年後に語り伝えられたら
立派に役割を果たすことになる。
「なとり復興桜」(宮城県名取市)
津波に耐えた日和山の桜を接ぎ木し、貞山運河沿いに3000本で並木を作る計画だそうです。
名取市観光物産協会のHPには次のような案内がアップされていました。
2011年3月11日、一瞬にして多くの人が亡くなった処で、
一緒に津波を被ったけれど花を咲かせた桜の子供たち。
「なとり復興桜」と命名しました。
名取が復興する頃、桜並木に集いたい!
「復興するまで待てない」と、どんどん人が出て行ってしまう。
せめて、満開の桜を観るために 昔懐かしい人たちに集まって欲しい。
あの日亡くなった人たちが悲しまないように。
誰もいないと嘆かないように。
10年後桜の木の下で乾杯するために。
長生きしましょう!
「失われようとしている故郷」、「錆びれていく故郷」それでも、故郷は大切な場所。
10年後、桜の木の下で「生きていてよかった」と乾杯できるような、美しく、
思い出のこもった故郷再生への願いが込められたメッセージです。
「大漁桜」(宮城県女川町)
(女川桜守りの会HPよりUP)
10万本の桜計画(女川 桜守りの会ホームページより抜粋)
東日本大震災の千年に一度といわれる津波によって、町の人口の10パーセント、
建物の70%を失い彩り豊かな町は色を失い茶色一色の街に変わってしまいました。
私たちはこの街に彩を取り戻し、桜の街としようと決意し、そのために今後1000
年に渡り、10万本の桜を植え続けてゆこうという計画を立てました。
桜は、「大漁桜」を選びました。
花色が鯛の色に似ていることから「大漁桜」と命名された作出品種で、早咲きの桜
他に先駆けて咲く花は震災の犠牲に思いを致すよすがとなると同時に明日への希望を
感じさせてくれるでしょう。
以上挙げた「桜記念樹」への想いは、失われた故郷への思いと、犠牲になった人々への
鎮魂の思いを桜記念樹に込め、或いは負の歴史的事件を風化させないための「記念樹」
として、未来に向かって残していこうという取り組みである。
(2016.4.15記)
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