ニュースの声(22) 性暴力 他
① 性暴力 示談協議進まず
陸自元隊員らを提訴 (朝日新聞2023.01.31)
国と加害者元隊員5人を提訴。元自衛官のIさん実名で被害を告発。
性暴力の被害は多くの場合、泣き寝入りで終わってしまうケースが多いが、
消して泣き寝入りはしないという決意に敬意を表します。
損害賠償訴訟についてのIさんの会見でのコメント。
「できることなら戦う選択をしたくなかったが、(元隊員等は)反省していないと感じた。
ハラスメントの根絶は不可能なんじゃないかと思った」
「震災で自衛隊の方々に助けてもらったので、自衛隊への感謝は忘れないし、今でも好き。
好きな自衛隊を辞めざるを得ず、たくさんのものを失っているので、
その責任をしっかりと取っていただきたい」
希望に燃えて入隊した自衛隊で彼女が経験した辛いセクハラは、
何事にも代えがたいたくさんのものを奪ってしまった。
社会人としてスタートした憧れの職場で、「人々の役に立ちたい」という彼女の夢だけでなく、
生きる力さえも奪いかねない卑劣な行為だったことを、加害者の5人の元隊員は自覚し、
Iさんに謝罪すべきだ。
「一人一人が大切にされて、正しい正義感を持っ隊員や組織になってほしい。
オープンにして真実を明らかにしたい」
② 戦争の記憶 今も夜が怖い (朝日新聞2023.01.30) シリーズ ー人生の贈り物ー
建築家 原 広司氏 少年時代の戦争
1944(昭和17)年ごろには上級生は集団疎開でいなくなった川崎。
この時、原氏小学2年生。
食糧の配給事情は逼迫し、大豆の油を搾り取ったカスとか、最後はクマザサの葉と茎とか。
ちょうちん行列が行われ、出征する人を見送る。
みんな「立派に死んできます」とか言ってね。
兵隊になりたいなんて全く思わなかった。
夜は空襲で、ほとんど防空壕。
戦争に行きたくないし、死にたくもない。
だから夜が怖いんです。
現在87歳になっても、夜が怖いという原氏の記憶に焼き付けられた戦時下の
様々な出来事がトラウマとなってよみがえってくるのでしょう。
お腹をすかした育ち盛りの少年にとって、食べるものへの希求はきっと今でも
よみがえってくるのでしょう。
私の母などもよく戦時下の食糧難の時代を振り返り、
ひもじい思いを後年になって語ってくれました。
あの時代の少年たちの夢は、「立派な兵隊さんになる」ことだったようですが、
「兵隊になりたいなんて全く思わなかった」と、
当時の少年には珍しい「精神の自立」を持った少年だったのでしょう。
少年の目を通して見た戦時の、
当時としてはちょっと危ない(危険な)考えを持っていた少年だったのでしょう。
原少年はちょうちん行列の群れの中で、ただ一人裸の王様を見つめられた少年だった。
原 広司について
1936年生まれ。建築家。
札幌ドーム、大阪梅田のスカイビル、JR京都駅ビルの設計。
日本建築学会賞、野村藤吾賞など受賞。
(ニュースの声№22) (2023.01.02記)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます