幸せと不幸せ (2) つれずれに…… 心もよう №22
小林一茶の場合
めでたさも中ぐらいなりおらが春 小林一茶
一茶、57歳の時の雪深い信濃の正月に詠んだ句です。
生母は3歳で死別。一茶の不遇はここから始まる。
一茶8歳の時に継母が来たが、継母と合わず15歳の時江戸に奉公に出される。
俳人となった一茶は、39歳で故郷に帰ってくるが、まもなく実父が帰らぬと人となり、一茶は再び旅に出る。
51歳で信濃に帰郷し、継母との遺産相続係争に決着をつけ、親子ほどの歳の差がある妻をめとる。
人生の遅い春がやっと巡ってきたかに見える正月だった。
だが、一茶の不遇は生涯続く。三男一女は次々に夭逝、その妻も病死してしまう。
生涯三人の妻を看取るが、いずれも「幸せ」とはいえなかった。
後年芭蕉と蕪村と並び三大俳人と称された一茶は、
俳壇での名声を得ていたと思われるが、俳句からは、人生における成功や幸せの気配はうかがえない。
生涯、家族に恵まれなかった一茶だつた。
そんな一茶が、57歳の春に詠んだ句。
「おめでたい正月ではあるが、私にとってはなんとなく、もやもやとして先の見通せない春(正月)だなぁ」。
不安定な心境を一茶はこう詠んだ。
現代では、「私の正月は、何事もなく、まあまあの正月かなぁ」という意味に取られているようです。
ともかくもあなた任せの年の暮れ
同じく一茶の句だが、句集の最初の句が、「めでたさも…」であり、最後の句が「ともかくも…」です。
「あなた」とは阿弥陀如来様のことだと解釈されています。
生涯家庭的には不遇であった一茶。
「なにがあっても、あなた(阿弥陀様)のお導きの通りにと過ごしてきたとしのくれだなぁ」という意味なのでしょうか。
少し横道にそれてしまいましたが、
幸せの反対は不幸ではない。
人生には、右か左か、勝か負けか、幸か不幸かというような二者択一の選択を迫られる場面は少ない。
幸せではないが不幸ではない。このグレーゾーンが大切だと思う。
「中ぐらいなり」の状態を大切にしたいですね。
「欲」にとらわれてしまうと、きりがありません。
「金欲」「物欲」「独占欲」「我欲」に惑わされれば、人生そのものの歯車が狂ってしまいます。
欲に惑わされてしまえば、「幸せ」は遠ざかっていきます。
「無病息災」と言ってしまえば、味も素っ気もありませんが、
「無病息災」のありがたみを知ることが幸せに繋がっていくのではないだろうか。
(2016.01.10記)
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