自己保身の校長
どうしていつも同じことが繰り返されるのか。
またしても痛ましい事故が起きてしまった。
子どもの自殺が起きるたびに、
「いじめによる自殺防止」の対策が、
真剣に検討されていないことに、憤りを覚えます。
今度の小4の自殺でも、過去の類似の事件の教訓が生かされていないと思います。
小さな命が失われるたびに、文科省や教育委員会が原因究明に乗り出す。
いじめ発見のためのアンケート調査は、いつも繰り返される「いじめによる自殺防止」の手段として利用されてきた。しかし、こういったアンケートは「いじめ発見のための」という限定付きでは、踏み込みが足らないのではないか。
「児童生徒の健全で安心した教育環境づくり」という大きな視点が必要と思われます。
教育熱心な先生がいても、心の問題を扱うことに不慣れであったり、無頓着であったりする先生は多い。
アンケートで浮かび上がった心の問題は、職員会議で検討し、方針や対策を立てるべきだと思います。
クラス担任の責任と限定してしまえば、担任はその重圧に押しつぶされ、正常な判断力さえ失いかねません。
過去の事件で、校長は児童と担任の「交換日記」の中に、
「自殺をほのめかす記述があったにもかかわらず、私には何の報告もなかった」と発言しています。
報告の義務を怠った担任にも責任があるでしょう。しかし、この発言は、校長の責任逃れと私は思います。
「私には何の報告もなかった」ということではなく、
「なぜ担任が報告の義務を怠ってしまったか」という視点がなければ、
最高責任者の校長としては失格でしょう。
担任の能力の限界なのか。校長そのものに問題があったのか。
事件の報道は、その時だけでその後のなり行については報道されないので
メディアの責任も多々あるのでしょう。
管理者と教師の職務分掌はきちんと整理し、教師一人一人に明示しなければなりません。
校長はもちろんのこと、教務主任、学年主任、スクールカウンセラー、保健婦、各係(生活指導等)の職務分掌は、
明確にし、文章化し一人ひとりに配布すべきでしょう。
こうしたシステムの導入は、学校の最高責任者である校長の仕事でしょう。
また、各学校に配置された「スクールカウンセラー」の有効な活用を促すのも、
最高責任者の仕事です。
教育と「心の問題」は、専門分野が異なります。
児童心理の分野は素人の教師に任せるのではなく、
教師と「カウンセラー」が児童の安全を図るにはどうしたらよいか、
共通課題として取り組むべきでしょう。
管理者の関心は、「教育委員会」の動向や「PTA」の動向に重点が行き、
クレイマーの持ち込む問題も担任どまりか、学年主任どまりになって、
なかなか管理者まで上がらないケースも珍しくない。
こうしたことに、見て見ぬふりをする管理者も失格です。
次回 沖縄県での小4自殺のの件(朝日新聞1月11日付)を参照して責任者の発言の問題点を考えます。 (つづく) (2016.1.11記)
心が痛みます。僕はアンケートと言う何とでも書けることをして、さも自殺問題に取り組んでいるポーズをする校長に問題があると思います。
職員会議は昔と違い、校長は会議の決定を参考にすればよく学校の意思決定機関ではありません。
実際は校長が任命した取り巻きポチたちによってすべてが決定されていきます。
そこでまず考えるのは、いかにうやむやにするか、それがだめと知るや、いかに自己は正当であったかを示すかに終始します。
面白半分に人殺しをしても日本では見逃してもらえるから、やったが勝ちの世界になると思います。
教育委員会といっても、そういう人間がただ異動で委員会に行ったに過ぎません。
学校であれ委員会であれ、自己保身の塊たちは児童の命より自分の地位が大事なのです。
たいした地位でもないくせ。
校長は学校の意思決定機関ではない。というところに、愕然とする思いがあります。
「からけん」さんのコメントの内容は、ほぼその通りだと思いますが、真摯に教育に取り組む職員がいることも忘れないでください。ただ、残念なことに初志貫徹して「教育」に携わる意欲は、いつの間にか薄れ、付和雷同に陥り、自分の担当するクラスだけに関心を持ち、「井の中の蛙」になってしまう教師が多く見受けられるのも事実です。
自己保身に陥り、教師としての誇りを捨てなければ、生きられない世界なのでしょうか。
教師として生活の糧を得るには仕方のない生き方なのでしょうか。私には納得できません。