幸せと不幸せ (1) つれずれに……(こころもよう №21)
「幸せになりたい」。
誰もが抱く願いである。
しかし、これほどとらえどころのない概念はない。
「幸せとは何だ」と自分に問いかけてみても、具体的な答えは返ってこない。
「あなたは自分を幸せと思うか、それとも不幸せと思うか」というようなアンケートがあっても、
答えることができない。
また、自分の歩んできた道を振り返って、「不幸せ」だったと答える人も少ない。
「幸せ」ばかりのおめでたい人生はないし、
「不幸」ばかりの辛い人生もない。
幸、不幸はその人の「生き方」や「考え方」によって大きく違ってくる。
ある人にとって「幸せ」と思えるような出来事であっても、
ある人にとっては取るに足らない出来事と思える様なことがある。
友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買ひきて 妻としたしむ ………… 石川啄木
明治43年、東京朝日新聞社の校正係として働いていた啄木24歳の時の歌です。仲間たちが日の当たる道を歩んでいるのに、自分はこんな処でくすぶっている。やりきれない思いが歌になりました。苦楽を共にする妻が待つ家に帰り、買ってきた花をちゃぶ台に飾る。小さい花瓶に生けられた花だけれど、妻と二人の夕餉の前のひとときを啄木は心癒される思いで花を見つめたのでしょう。
決して高価な花ではないけれど、啄木は花に明日の自分を重ね、
日の当たる文学への道を夢見、同じ思いを妻と分かち合ったのかもしれない。
「心を許せる妻がいる」という何気ない日常の中に啄木は、ささやかな安堵と幸せを感じたのでしょう。
(2016.01.07記) (つづく)
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