追悼・船村徹(9) 「別れの一本杉」歌碑
工芸の丘の「絆の碑」顕彰碑の隣に設置されている「別れの一本杉」歌碑
歌碑右側「別れの一本杉」の歌碑。作詞者高野公男の自筆である。
左側は作曲者・船村徹自筆の譜面。
この碑の裏面には船村徹の高野へのメッセージが刻まれている。
高野よ
君と俺との人間の記録をこの山深い
城跡の石に托して刻みこんでおこう
君はここ故郷の土に還った
俺もいずれは舟生の里の土に還るだ
ろう
それからも また山や河には同じような
花が咲き同じような小鳥が唄うだろう
そして なァ 高野
君と俺との友情は永遠に消える
ことなく
人間の魂の歌を奏でつづけるだろう
心静かに眠れよ 高野
一九六四年 初秋
船村 徹
※ 「舟生の里」とは、栃木県舟生村、現塩谷町で、船村の生まれたところ。
「俺もいずれは舟生の里の土に還るだろう」と石に刻んで高野に呼びかけた
船村も平成28年2月16日、舟生の土に還り、高野の元へと旅立ち不帰の人となった。
工芸の丘・歌碑の立つ高台から望遠する高野の故郷は、
画面奥の山間の村「大郷戸」である。
(2017.03.13記) (つづく)
次回は高野公男の故郷に「別れの一本杉」の歌碑と、高野が眠る大郷戸の墓所を訪ねます。
(つれづれに……心もよう№54)
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