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読書案内「夜明け前」 ① 第一部(上) 島崎藤村著

2018-03-12 10:17:28 | 読書案内

読書案内「夜明け前」第一部(上) 島崎藤村著
           新潮文庫2006年刊 第86刷

「木曾路はすべて山中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」

  多くの人が知っている島崎藤村の「夜明け前」の冒頭である。
冒頭で有名なものには、「雪国」、「平家物語」などたくさんある。
個人的には、
「龍哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持ちと同じようなものがあった。」という
「太陽の季節」 の冒頭が好きだ。
 「若い世代の圧倒的共感と大人の猛烈な反感の間に爆発的に誕生した、
 真に新しい戦後文学の記念碑的傑作」と、当時のキャッチコピーは詠っている。

 冒頭の有名な作品は、語り継がれるだけあって名作と評価されている作品が多い。
しかし、私の場合多くの冒頭部分は高校受験の国語の試験対策として覚え、
作品を読んだものは皆無に等しかった。
気持ちの中には、「なんて馬鹿々々しい問題を出すのか」という思いが強くあった。
時を経て、私はその一つひとつを読んでいった。
「平家物語」「方丈記」「源氏物語」「枕草子」「奥の細道」等々。
現代語訳で読んだものもあるが、一つだけ未読のものがあった。
 それが、「夜明け前」だった。
一度は手に取り、途中で挫折した本である。
 冒頭で示した描写が数ページ続き、前回はこの部分で挫折してしまった。
しかし、読み進んでいくうちに木曽路の宿場町の一つである「馬籠宿」の生活の様子が淡々と描かれ、
歴史の中に埋もれていってしまう「宿場」の生活が生き生きと描写されていることに気付かされる。

 幕末から明治にかけて、
中山道・木曽路の「馬籠宿」の本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵の目を通して描かれるこの大作である。
武士が築いてきた封建制度が崩壊し、
新しい時代の波が押し寄せ確実に来るのだ。
新しい時代か来るのだ。
半蔵は希望に燃え、時代の夜が明けるのだと期待に胸を膨らませる。
 だが、半蔵の期待と裏腹に時代は意外な顔を見せ始める。
 
この歴史小説に登場する人物は、
市井に生きる人々たちで、歴史に名を残す人物や英雄は一人も登場しない。
 島崎藤村自身の父をモデルにした、
幕末から明治の時代の変わり目に生きた半蔵の一生を描いた歴史小説である。

 ストーリーの進展も遅く、大きな事件も描かれない。
かなりの根気と、幕末の歴史に興味がないと読破するのは困難なのかもしれない。
しかし、このことと小説の偉大さはまったく別のものである。
歴史的人物や英雄を描いた歴史小説は多いが、
名もない庶民(青山半蔵)の目を通して描かれたところに
この小説の特徴がある。
 
 幕府の威信が揺らぐような事件が次々に起こる。
 ペリー来航→日米和親条約→日米修好条約→安政の大獄→桜田門外の変→和宮降嫁等大きな政変が起きるたびに
木曽路は騒然となる。
京を目指して井伊家の家臣たちが半蔵の本陣に泊まる。
皇女和宮の婚礼の行列が木曽路を通る。
その度にそれらに携わる荷役人夫や荷馬の用意など少ない賃金で手当をしなければならない。
献金の割り当て食料の用意など多額の拠出が強いられる。
名字帯刀を許されるのさえ、多額の金を用意しなければならない。
 そうした、細々したことが微に入り細にわたって小説は展開していく。
 全四冊の内の一冊目は、騒然とした宿場の暮らしを描いて幕を閉じる。
     (2018.03.12記)                              (読書案内№121)




 

 

   


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