パラリンピック 難民選手団 栄光の「スリーアギトス」大会旗
(お台場の海浜公園会場に設置されたシンボルマーク)
このパラリンピックのシンボルマークは何を表しているのでしょう。
「スリーアギトス」と呼ばれています。
「アギト」とは、ラテン語で「私は動く」という意味で、
困難なことがあってもあきらめずに、
限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現しています。
赤・青・緑の三色は、世界の国旗で最も多く使用されている色ということで選ばれました。
(日本パラリンピック委員会ホームページより引用)
アスリートたちが、自分の身体能力を可能な限り引き出し、
自由に飛び跳ねているようなイメージが湧いてきます。
赤は情熱を
青は自己主張と責任を
緑は若葉の輝きをイメージしているようにも思います。
現在のパラリンピックシンボルマークは2019年から使用されています。
難民選手団
聴きなれない名称だが、難民選手団の結成は、オリンピック・パラリンピックを通じて
前回2016年のリオデジャネイロ大会が最初です。
紛争などで母国を離れざるを得なかったアスリートたちに、
スポーツの場を提供することを目的として結成されオリパラ両方に派遣されました。
パラリンピックにはシリアとイランからの選手2人が出場しました。
さて、東京2020パラリンピックでは、 IPC(国際パラリンピック委員会)は内戦が続く
中東・シリア出身の選手など4つの競技の選手6人を派遣 をきめました。
陸上、競泳、カヌー、テコンドーの4つの競技に男子5人、女子1人の合わせて6人の選手です。
開会式 閉会式の入場行進
(開会式) (閉会式)
入場行進は開会式共に、閉会式共に難民選手団が飾りました。
翻った旗は、「スリーアギトス」のロゴが入った、パラリンピック大会旗です。
開会式で栄光の旗手を務めているのは、アバス・カリミ選手。24歳。
身体に「スリーアギトス」の大会旗を体に巻き付けての栄光の入場です。
自国の旗でないのは残念ですが、
政治的困難、社会困難、身体的困難、精神的困難等多くの困難を乗り越えての
「東京2020 パラリンピック」入場です。
アバス・カリミ選手
生まれつき両腕がないアバス選手は、13歳の時、兄が造ったプールで泳いだのが
水泳に関わるきっかけでした。両腕のないアバスにとって水泳は両足を巧みに使って
自由に動き回ることができた最高の遊びになったのでしょう。
「その日から水泳はアバス選手のオアシスとなりました」(NHKの紹介文)。
タリバンなどの武装勢力から逃れて競技に打ち込むため、
16歳のとき、家族を残して1人でトルコに亡命し、
イスタンブールの難民キャンプに滞在しながら水泳を続けました。
その後、練習拠点をアメリカに移し、
2017年にメキシコで開かれた世界選手権では銀メダルを獲得しました。
今大会では、男子50メートル バタフライと男子50メートル 背泳ぎに出場。
競泳男子50メートル背泳ぎ(運動機能障害S5)予選に出場した。
1組7着で、50メートルバタフライに続く決勝進出は逃したが、
初出場のパラで確かな足跡を残した。
どちらの競技も両腕のないアバス選手は、足と背筋を巧みに使って競技に挑みました。
「神様は誤って私の腕を奪いましたが、足に才能を与えてくれたと思っています」
なんと素晴らしい言葉でしょう。(2016年からアメリカ在住)
閉会式の入場の旗手は、アリア・イッサ選手です。
車いすに大会旗の「スリーアギスト」を取り付けてのトップ入場です。
20歳のアリア・イッサ選手は、パラリンピック参加選手の中で最年少です。
2015年に家族とともに難民認定されました。
4歳の時に高熱により脳に障がいが残ったため、身体的、知的障がいがあります。
幼少期はうまく言葉を話すことができず、学校でいじめられることもありました。
2019年に本格的にこん棒投げを始めた「こん棒投げ」で、9選手中8位で入賞。
史上初の難民女子パラリンピアンとして東京2020パラリンピックに名を残した。
◇ こん棒投げ =パラリンピック独自の投てき種目。ボウリングのピンのような形をした木製の棒
(長さ約40センチ、重さ約400グラム)を投げ、飛距離を競う。握力が足りず、やり投げや
円盤投げなどに参加できない選手のために考えられた。今大会で使うこん棒の一部は、
東京都立工芸高校の定時制課程の生徒が製作した。
(つづく)
(昨日の風 今日の風№122) (2021.9.7記)
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