熊本地震
薄れていくニュース価値
頻発に起きていた熊本地震も、沈静化に向けて鳴りを潜めている。
地震に対する不安も少しづつ解消されていくのだろう。
あれほど紙面を飾った地震関係の記事も日増しに少なくなっていき、
今朝(6/1)の朝日新聞は、熊本関連の記事は皆無である。
もはや大きな動きがなければ、ニュース価値がないということなのか。
まだまだ現地では不自由な避難生活を送らざるを得ない人たちが大勢いる。
熊本から遠く離れた関東の地では、ずーと昔の出来事のように
人びとの意識から遠のき、忘れ去られているような気がする。
起こった現実だけを伝えるのが報道ではない。
ニュースの掘り起し、甚大な被害を被り今なお立ち直れない人たちの姿を、
倒壊した家屋をかたずけ、前に進もうとする人たちの姿を報道して欲しい。
川内原発については、5/18付ブログ「大丈夫か川内原発」で少し触れましたが、
「川内原発停止要望」は、少数意見として世論を喚起するには至らなかった。
そして、地震が収束に向かい始めると、
「原発はやっぱり止めなくても大丈夫だった」
という既成事実だけが独り歩きしてしまう。
「安全神話」はこうして徐々につくられ、
いつの間にか原発の危険性に注意しなくなってしまう。
原子力ムラが作り出した安全神話という器に、
「既成事実」というオブラートと、
「既得権」と言う甘味をまぶしてしまえば
人間の感覚は麻痺してしまう。
川内原発よ!!
驕(おご)るなかれ!!
どんなに科学の粋を集めた原発でも、
自然の脅威やヒューマンエラーには、
想定外の危険がいつもついてまわるのだ。
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