啄木哀し(2) 闘い続けた人生
揺れる青春
今年は啄木生誕130年にあたる。
多感な少年時代の13~15歳、啄木の歌集「一握の砂」を読み、
彼の歌う心象風景にあこがれ、繰り返し読んだ。
青春時代の懐かしくも少しもの哀しい思い出だった。
時を経て現在、改めて啄木の歌を読むと、昔とは異なる啄木のイメージが湧いてきた。
まだ幼さの残る顔。
文学と貧乏との闘いは啄木が27歳で早逝するまで続き、
生活費も病気の薬さえ工面できぬほどの貧乏だった。
早世した啄木は遺された歌と共に、永遠の青年歌人というイメージが残るが、
「借金名人」「放蕩」といった生活困窮者の姿が浮かんでくる。
そうした自分への不甲斐なさが歌になり、世間への嫉妬にもなった。
青年時代を啄木と共に送った歌人の吉井勇は啄木を表して次のように言っている。
「27歳でこの世を去った啄木は、
その芸術の愛好者にとっても、また若き日の友でもあった私にとっても実に永遠の青年である」と。
新しき明日の来るを信ずという
自分の言葉に嘘はなけれど
何かも行く末の事見ゆるごとき
このかなしみは拭(ぬぐ)いあへずも
新しき明日とは、時代の流れと自分の文学への道のことか。
夢と不安が胸中を駆け巡る。
後の句は、自分の行く末が見えてしまったような青春の不安を「かなしみ」と表現したのか。
浅草の夜のにぎはいにまぎれ入り
まぎれ出でし来しさびしき心
北海道に残して来た親や妻子を思い、街をさまよう。
浅草の夜のにぎわいと対照的なさびしさは、
思うようにならない志(こころざ)しへのいらだちと、人恋しさの念だったのか。
心が折れそうになる。
啄木は苦悩する。
どうにもならない自分の不甲斐なさに、虚無の影が啄木をとらえます。
死ね死ねと己を怒り
もだしたる心の底の暗きむなしさ
(もだしたる=黙っている。沈黙している)
(2016.2.18記) (つづく)