この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

四日間の奇跡。

2005-06-03 23:51:34 | 読書
浅倉卓弥著、『四日間の奇跡』、読了。

初めに断っておきます。
酷評です。
ですからこの作品に過度な思い入れがある方は、この先を読み進めない方がいいでしょう。

まず帯と背表紙から惹句の抜粋。
“感涙のベストセラー”、“出会えたことに感謝したくなる傑作”、“新人離れしたうまさ”、“張り巡らされた伏線”、“ここ十年の新人賞ベスト1”、“最高の筆致”、これでもか、これでもかと褒め称えられています。
読んでいるこっちが気恥ずかしくなるほどです。
そのどれにも賛同できませんでしたが。

自分は、一人称で書かれた小説に対して偏見を持っています。
まったく同様の作品が一人称と三人称で書かれていたとしたら無条件で前者に対して評価を10pマイナスしてしまいます。
一人称って、言い換えれば独り言だといってよいと思いますが、理由もなく文庫本500ページに渡って延々と独白してるんじゃない!っていいたくなるのです。
もうそれだけでついていくのに精一杯。
一人称の文章は、そのことがなぜ主人公の口から語られることになったのか、その経緯がきちんと説明されてなくちゃ駄目だと思います。(偏見ですが。)

惹句によれば“最高の筆致”だそうですが、一人称であることを除いても、不規則に会話文が「」で閉じられず、地の文に混じっていたりしていて、自分には非常に読みにくい文章でした。
それだけなら作者の個性ともいえるかもしれないのですが、この文章表現っておかしくないか、と首をかしげる箇所が多々あって・・・。
例えば『周辺では制服に身を包んだ数人の人物が何やら作業をしているようだった。けれど彼らが僕たちを見咎めることもなかった。』という文章があるんですけど、なぜこの二つの文が『けれど』という逆接の接続詞で繋がれているのかがよくわからない。
普通に考えれば作業をしていた『から』見咎めることもなかった、と思うのですけど。
別に主人公たちは立ち入り禁止区域に足を踏み入れようとしたわけでもなないし、作業の邪魔をしにいったのでもないし、見咎められなければいけない理由がわかりません。
まぁ深読みすれば作業が危険を伴うものだった、だから(本来であれば)作業員から何か注意を受けるはずだった、けれど見咎められることがなかった、と読み取れないこともないですが、それでも不自然です。
このようにおかしいのか、おかしくないのか、よくわからない文章が二、三ページに一つぐらいあって、そのたびにつっかえてしまってリズムよく読めない。
お世辞にも“最高の筆致”とはいえないと思います。

他にも“張り巡らされた伏線”とありますが、いったいこのお話のどこに伏線と呼べるものがあるのかさっぱりわかりませんでした。
メインストリートを寄り道せずに一直線で進んでいくような展開でしたが。
こんなストレートな、何のひねりもないお話もいまどき珍しいぐらいだと思いました。

“ここ十年の新人賞ベスト1”、この惹句を考えた人は、他のどの新人賞と比べてそう思ったのでしょうか。
是非具体的に教えて欲しいものです。

『四日間の奇跡』が東野圭吾の『秘密』のパクリではないか、とよく指摘されていますが、そのことはあまり気になりませんでした。
実は『秘密』は未読なのですが、この手のアイディアは『秘密』以前からあったと思うので。
逆に完全なオリジナルのアイディアなんてそうそうありはしないものでしょうしね。

本来であれば文章自体の出来よりもストーリーや内容に関して言及すべきなんでしょうが、惹句があまりにも仰々しすぎてその気になれませんでした。
お話自体はありふれていて、感涙もしなかったですし、当然出会えてよかった!ともまったく思いませんでした。
ただ一つだけ言わせてもらえば、ヒロインの真理子はかつて農家に嫁ぎ、子供が産めない身体であったため離縁した、という過去を持つのですが、いくら彼女が危篤状態に陥ったからといって、元旦那が家族揃って見舞いに訪れる、というのは非常に不自然な展開だと思います。
しかも新妻と、赤ちゃんまで連れて。
ほとんど鬼のような仕打ちといってよいのではないでしょうか。
(もちろん彼女は好意的に受け入れますが。)

今後『このミステリーがすごい!』大賞関連の小説を読むことはもう二度とないでしょう。
コメント (9)
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