ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

論語と鍼灸 (50) 達した人の大きな共通点

2011-06-24 09:06:59 | 論語と鍼灸
【位(くらい)なきを患(うれ)えず、立(た)つ所以(ゆえん)を患(うれ)い、己(おのれ)の知(し)らるるなきを患(うれ)えず、知(し)らるべきを為(な)さんことを求(もと)むるなり】
(地位を得られないことを悩むよりも、それだけの実力がないことを悩み、名声を得られないことを悩むよりも、評判になるほどりっぱなことができるように頑張るようにします)


世の中は上手くいかないのが常のようです。
社会が悪い、会社が悪い、家族が悪いと言えばきりがありません。
望みが叶わないことを他人のせいにする人は多いものです。
夢を達成した人たちは、人にせいにはしません。

「どうしてこうなったのだろう」
「どうすれば上手くいくだろう」
「自分のどこがいけなかったのだろう」
と原因を考え、反省し、計画を立て、次の実行に移します。

達成する人というのは、最初に「これを為すにはどうしたらいいのだろう」と考えます。
わからないところがあれば聞きます。
わからないところがあれば学びます。
納得できないことがあれば試します。

人のせいにする時間などありません。
鍼灸の達人も、他の技術を批判しません。
他を批判する人は、道が遠い人なのです。

これが達した人の大きな共通点のようです。


自分の日々の反省を込めながら、50回を目標に≪論語と鍼灸≫を書いてみました。


楽しかったです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


今週から、7月の≪鍼灸実技講習≫、同じく7月の≪七星論での整体講習≫、8月からスタートするエステ鍼灸のための3回シリーズ≪虹彩&スクレオロジー講習≫等々の準備に入るつもりです。

虹彩&スクレオロジー講習の目的は、客観的診断と再現性ある治療のできる人を養成するためです。

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論語と鍼灸 (49) レベルに達してレベルがわかると言います

2011-06-23 08:35:28 | 論語と鍼灸
【唯(た)だ仁者(じんじゃ)のみ能(よ)く人を好(この)み、能(よ)く人を悪(にく)む】
(ただ仁の人だけが、人の良し悪しを判別できます)


自分がいい人でなければ、他人がいい人か悪い人かを判断できないと言っています。
経営力のある人は人間力があるようです。
人を見抜く力が備わっているから経営力があるわけです。

鍼灸の治療技術も同じです。
自分がそのレベルに達しないと、その技術を正しく評価することができないものです。
そのレベルに達すると、応用の利く治療ができるようになります。
ある程度、人を観ることができるレベルです。

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論語と鍼灸 (48) 食事療法と指導のしかた

2011-06-22 10:52:42 | 論語と鍼灸
【成(な)せし事(こと)は説(と)かず、遂(と)げし事(こと)は諫(いさ)めず、既(すで)に往(ゆ)きたるは咎(とが)めず】
(終わったことにはつべこべ言わず、済んだことはあれこれ責めず、昔のことはとやかく非難しません)


誰が見ても明らかに間違いだと思うときは、何も言う必要はありません。
誰よりも本人が強く反省しているからです。
間違いを間違いと気づいてないときには注意します。
同じ間違いを起さないようにです。

福田晃市先生の本には、中国史のエピソードとして、このように書かれています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【唐代、唐国の李世民(りせいみん)は、秦国を攻めるのですが大敗し、逆に攻め込まれます。兵士たちは、恐れおののきました。
しかし、李世民は、失敗に落ち込むことなく、
「敵は、わが軍に大勝したので、楽に勝てると思い、長期戦の準備をしていない。そこで陣地にたてこもり、持久戦に持ち込めば勝てる」
と言って、ピンチの中にチャンスを見つけます。
結果、唐軍は勝利します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

失敗を悔やむより、将来を見通す気力を持つわけです。
失敗を責めるより、未来を見つめて「どうすればいいのか」を考えるというわけです。

私は古典を否定するときもありますが、そのときには根拠を示します。
根拠なくしての否定というのは、ただの批判論者になるからです。
常に「どうすればいいのか」という悩みがそこにあるのです。

孔子は言いました。
【力足らざる者は中道にして廃す。今女(いまなんじ)は画(かぎ)れり】
(力の足りない者は、道の途中で脱落していくものだ。今のお前はまだ踏み出しもせずして見限っているのだ)

踏み出すことを考えさせたほうがいいのです。
過ぎたことや済んだことにつべこべ言ったり、昔のことをとやかく非難したりするのは、小人のすることです。

食生活が明らかに間違っていると思われる子どもを連れてくる親がいます。
そのときは、かなり厳しく食事療法のことを話します。
未来で後悔させないためです。

食生活が原因と思われる患者さんが来ても、過去のことを責めることはしません。
これからどうするかを説明します。

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論語と鍼灸 (47) 患者さんに礼をつくす

2011-06-21 09:28:56 | 論語と鍼灸
【君(くん)は臣(しん)を使うに礼を以(も)ってし、臣(しん)は君(くん)に事(つか)えるに忠(ちゅう)を以(も)ってす】
(君主は、臣下を使うにあたっては礼を重んじるようにし、臣下は、君主に仕えるにあたっては忠をつくすようにします)


忠とは、心の中心と書きます。
則ち、真心のことです。

学校のスポーツクラブでは、後輩を呼び捨てにする場合があります。
先輩としての権威を保つためでしょうが、見苦しいものです。
社会人になっても人を呼び捨てにする人がいます。
しかも部下を。

とある市議会の議長を務めていた人に友達がいました。
鍼灸学校の頃です。
渡すお金があったので、「はいこれ」と片手で渡しました。
彼は言いました。
「新城さん、俺は乞食じゃないで、人にお金を渡す時は両手で渡すものなんだ。俺は新城さんのことを、新城なんて呼び捨てしたことはないが、今のお金の渡し方は呼び捨てされているのと同じやで、気ィつけてや」

普段優しかった人だけに、血の気が引く思いをしました。
そんなことがあってから、人を呼び捨てにするようなことをしなくなりましたい。
芸人や俳優さんも呼び捨てにされる場合が多いのですが、あれもどうかと思います。
芸能界は非常に厳しい業界です。
そこで浮き上がってきた人を呼び捨てにするのは感心しません。

スタッフに給料を手渡すときは、必ず両手で渡すようにしています。
すると、スタッフも両手で受け取ります。
些細なことのようですが、こういうのが大切ではないかと考えています。

テレビの恋愛シーンで、相手にプレゼントを渡すときに両手で渡しています。
もし、片手でプレゼントを渡すなら、そのドラマは味気ないものになってしまいます。
患者さんがベッドから降りるとき、スリッパが履きやすいように並べてあげるようにしています。
患者さんに礼をつくすためです。

礼をつくし、忠をつくすとは、こういうことだと思うのです。

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論語と鍼灸 (46) ケタタマシイ声での歓迎と礼

2011-06-20 13:45:51 | 論語と鍼灸
【子貢(しこう)、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去(さ)らんと欲(ほっ)す。子曰(しいわ)く、賜(し)や、汝(なんじ)は其(そ)の羊(ひつじ)を愛(お)しむも、我(われ)は其(そ)の礼(れい)を愛(お)しむ】
(子貢が、毎月1日に行なう祭りで、宗廟に羊を供えるのをやめたいと思いました。孔子は言いました。子貢よ、あなたは羊を惜しみますが、私は礼を惜しみます)


正直言ってこの論語は悩みます。
羊を供えるほうがいいのか、伝統を重んじるほうがいいのか、でです。

供えられた羊のことを考えると、新しいものを取り入れたほうがいいように思います。
しかし、新しいものを取り入れることは、伝統を失ってしまうことにもなるので、もっといい方法はないものかと考えてしまうのです。

中国のチチハルに巨針を習いに行ったときのこと、朝に、病院の食道でお茶をご馳走になっていました。
その時、ケタタマシイ叫び声がしました。
ヴィーツ、ヴィーッッ・・ヴィーッッ
すぐに動物が絞め殺されたとわかりました。

お昼に豚肉が出てきました。
彼等は嬉しそうに言いました。
「新鮮ですよ。食べて、食べて」

先ほどのケタタマシイ声がまだ耳に残っていましたので、そんなに食べられませんでした。
後で聞いた話ですが、めったにしない振る舞いだったそうで、それが遠方から来た友を、精一杯歓迎する礼だそうです。

この論語を読むと、その時の光景が浮かんでくるのです。

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論語と鍼灸 (45) もう一つの鍼灸上達方法

2011-06-19 10:36:54 | 論語と鍼灸
【子(し)、大廟(たいびょう)に入(い)りて、事(こと)ごとに問(と)う】
(先生は、宗廟に入ったとき、そこでの作法について、いちいち質問をしていました)


10何年か前、アメリカの友達が我が家にやって来ました。
彼は執拗にパソコンを習うように話していました。
彼はパソコンの技術者でもあったのですが、彼が言うには、
「パソコンは産業革命と一緒です。とにかく早く習ったほうがいい」でした。

必要な時には、必要な人や、必要な物がやって来る。

最初にパソコンを買ったとき、スタッフにパソコンの上手い人がいました。
パソコンを習うときは、いつでも教えてくれる人が傍にいると上達が早いそうで、私もその恩恵にあずかることになりました。
おかげで、わからないことがあればキーを叩くだけで答えが出てきます。
ほとんどの答えが出てきます。
外国の情報も入ってきます。

今また、スタッフにパソコンの上手い人が二人います。
難しいことは彼等に聞きます。

何年か前の臨床実践塾で、パソコンが使えない人が多いことに驚いたことがあります。
知識を増やすのにパソコンは力になります。
情報を発信するのに、パソコンは有利に働いてくれます。
【宗廟に入りて事ごとに問う】
パソコンがそれに答えてくれます。
これが鍼灸の技術を伸ばすコツです。

講習では、遠慮して質問をしない人もいます。
何を聞いていいのかわからずに質問をしない人もいます。
わかっていても確認の意味で質問する人がいます。
質問をする人は伸びていくようです。

しかし、メールで質問してきて、解答を送ってもお礼のメールを送ってこない人がいます。
「ありがとうございました」の一言も言えないのは「礼」に反しています。
礼に反する人は「仁」の心がありません。
それでは、鍼灸も上手くなりません。

患者さんにも、「ありがとうございました」という「礼の心」があるべきです。
それがなければ上達しないのです。

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論語と鍼灸 (44) 上手く鍼を刺す方法と治療の巧拙

2011-06-18 09:13:53 | 論語と鍼灸
【礼(れい)は其(そ)の奢(しゃ)ならん与(よ)りも寧(むし)ろ倹(けん)なれ。喪(も)は其(そ)の易(えき)ならん与(よ)りも寧(むし)ろ戚(せき)なれ】
(礼は立派に見せるよりも、つつましくあったほうがよいです。葬儀は、きちんとこなすよりも、いたましくあったほうがよいです)


陰と陽、表と裏、虚と実、しぐさと思い、これ全て一体です。
どちらか片方だけしか見えないときは、偏った見方をしてしまいます。
形から入るのも順ですが、むしろ「思い」から入るほうがいいということです。

孔子は口先人間を嫌います。
見掛け倒しを嫌います。
冉有が「あなたの学説を嫌うのではありませんが、私には力不足です」と言ったのに対し、孔子は「実行が先だよ」ということを示すために、こう答えました。

【力足らざる者は中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今女(いまなんじ)は画(かぎ)れり】
(力が足りない者は、道の途中で脱落していくものだ。今のお前はまだ踏み出しもせずして見限っているのだ)

こんな情景を何度も見てきました。
「鍼はこう持つのですか?」
鍼の持ち方ではなく、いかに痛みなく刺すかです。
ポーズを重視する人は、真意を見失うことがあります。

「先生の理論は鍼灸の本にないのですが?」
(私の持論なので私の本には書いてある)
従来の鍼灸の本にあるから正しいと考えるのは間違いです。
問題は、「いかに治すか」なのです。
本に支えられたポーズよりも、自分で実験してみて、それを糧にするのです。

先日の夜中に、ある女性の方からメールを頂きました。
内容は、「本に書かれたお灸の理論や実技は実際と違う」というものでした。
「本にはこのように書かれているのに、センサーや注射器を使って実験してみたら、まるで逆の結果が出てきた」と興奮ぎみのメールでした。

まだ交渉してないのですが、次回の実技講習で発表してもらおうかと考えています。
彼女は真実を追究しているのです。
それでこそ鍼灸師としての値打ちがあると思います。

本に書かれたことだけをしゃべるのは、誰にでもできます。
単なるポーズにすぎないからです。
その「真」を知った人のしゃべるのは「心」が入ります。
つつましいのです。

【礼は其の奢ならん与りも寧ろ倹なれ】
これは鍼の刺し方、治療の仕方に現れます。

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論語と鍼灸 (43) いい患者さんを増やす方法

2011-06-17 08:52:23 | 論語と鍼灸
【其(そ)の鬼(き)に非(ひ)ずして之(これ)を祭(まつ)るのは、諂(へつら)うなり。義(ぎ)を見(み)て為(せ)ざるは、勇(ゆう)なきなり】
(他人の祖先まで祭るのは、他人にへつらっているのです。なにが正しいことかをわかっていながら、それができないのは勇気がないのです)


福田晃市先生は、この論語を以下のように解釈しています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勇気を持って正しいことをしよう

社会人であるからには、好き嫌いで仕事を選ぶわけにはいきません。
それが仕事なら、したくなくても、きちんとやりましょう。
でも、良し悪しという点では仕事を選ばなければいけません。
正しくないことなら、いくら仕事でも、やめましょう。
たとえそれで不利益をこうむろうとも、それを恐れてはいけません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


善と悪には拮抗作用があるように思います。
則ち、善が入ってくれば悪が出ていくというわけです。
血液の中のナトリウムとカリウムの拮抗作用と似ています。
カリウムが入りすぎるとナトリウムが出ていって、腎臓が腫れて、腰痛やアレルギーなどを起こしやすくなります。

正しくないと思っても、保身のために黙っている人が増えてきました。
これが外国に領有権を奪われそうになっても黙っている日本人と言われる所以です。
正しいことは正しいと、勇気を持って言えるような政治家が減ってきたように思います。

東北大震災の問題で国民の生命と生活が関わっているときです。
自民や民主と言っているときではないと思います。
主題もわからないようでは、先の見通しは暗いものです。
こんな場合には、「コンプライアンスの云々」ではないはずです。

鍼灸院経営においても同じです。
正しいことを正しいと言っておれば、いいスタッフが集まるようになります。
自然に「いいお客さん」が増えてきます。
たとえお客さん(患者さん)であろうとも、正しくないことがあれば正すべきです。
それでお客さんが減ってもいいじゃないですか。
そのうち拮抗作用で「いいお客さん」が増えてくるはずですから…。

勇気を持って「義」(正義)を守るべきだと思います。
利で喩って生き方を曲げるよりは、義で喩るほうが礼に叶うきれいな生き方です。

【君子義(ぎ)に喩(さと)り、小人利(り)に喩(さと)る】ということです。

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論語と鍼灸 (42) 鍼灸師の記憶力を上げるPDCA

2011-06-16 12:38:42 | 論語と鍼灸
【学(まな)びて思(おも)わざれば、則(すなわ)ち罔(くら)し。思(おも)いて学(まな)ばざれば、則(すなわ)ち殆(あや)うし】
(学ぶだけで、自分で考えなければ、よくわかりません。考えるだけで、学ばなければ危なくなります)


自分で考えたものは長期記憶されますが、人の話を聞いただけでは記憶が薄れてしまいます。
主体性をもって物事を考え、行動に移す人は、判断力も高くなります。

ビジネスにおける「PDCA」というのがあります。

PLAN(仮説)→DO(実行)→CHECK(検証)→ACTION(改善)→PLAN(仮説)というサイクルのことです。
新しいことではなく、日本語で書くと、計画→実行→反省→修正→計画です。
ビジネス書を読んでいるとカタカナ文字が多いので、慣れないと読みにくいのですが、日本語に直すと理解しやすいし記憶に残しやすくなります。

PDCAを繰り返すことによって記憶に残るのが多くなります。
ですからPDCAサイクルを、治療を学ぶときに取り入れるようにします。
普段の治療にも取り入れるようにします。

PDCAサイクルを使うことで、以下の利点があります。
(1)現実を単純化したモデルで分析して結論を得ます。
   ①単純化することによって構造が見えてきます。
   ※ただし、重要な要因を見落とさないようにします。

(2)仮説の妥当性を、データを用いて検証することができます。
   ①問題点が明確化されて、仮設を改善することができます。
   ②人を説得するツールに使えます。
   ※ただし、データの取り方に気をつけます。

(3)検証が済んだら仮設を改善していきます。
   そして再びPDCAサイクルを行います。

もうおわかりになった人もいると思いますが、この方法で組み立てたのが、拙著『人体惑星試論奥義書』なのです。

臨床実践塾でも、PDCA方式を取り入れて講習を進めるようにしています。
講習を受けて帰宅したあとで、CHECK(検証)→ACTION(改善)をする人は伸びます。
それが記憶力を上手く伸ばす方法だからです。

5月に整体講習を開催したとき、初日の講習が終わり、翌日の講習ですごく上手くなっていた人がいました。
その人を見て、7月の整体講習に参加申し込みをした人がいました。

【学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆うし】
習っただけで、自分で考えなければわからない。
考えるだけで学ばなければ、PDCAもなされないので危ないわけです。
学校の教科書や古典が正しいと思い、自分で考えない人は【則ち罔し】と考えます。
思っていても検証しなければ【則ち殆うし】と考えたので、検証を繰り返してきたのです。

自分が「正義」(人の道にかなっていて正しいこと)と思うことは、曲げたくなかったからです。
争いを避けたいと考える人は多いのですが、自分が「正義」と思ったことなら争っても構わないと思っています。

それが文化の発展になるからです。

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論語と鍼灸 (41) 知らないことは知らないと言う

2011-06-15 19:03:29 | 論語と鍼灸
【之(これ)を知(し)ると為(な)し、知(し)らざるは知(し)らざると為(な)す、是(こ)れ知(し)るなり】
(知っていることは知っているとし、知らないことを知らないとするのが、ほんとうに知っているということです)

知らないのに知っているように振舞うより、知らないのは知らないと言ったほうが利口というものです。
「知らない」と言うことで、教えてもらえるからです。
鍼灸院は、患者さんに可愛がってもらって仕事ができるので、如何に可愛がってもらうかを常に考えておかなければなりません。
そのためにも見栄を張らないことがいいのです。

ある患者さんが自分の病気のことを聞いてきました。
私は知っている範囲内で説明しようとしたのですが、相槌の打ち方で「この人はよく知っているな」と思ったので、「これ以上はまだ勉強していません」と言いました。
すると、自分の病気のことを「立板に水の如く」、スラスラスラーっと説明するのです。

汗出てきました。
患者さんの中には、自分の病気のことを医師よりも知っている人がいるのです。
見栄を張って「知ったかぶり」をしなくて良かった事例です。

また、知っていても「知らない」とか、できることでも「できない」という人がいますが、あれは人を見下げているように見えます。
謙虚のつもりで「知らない」と言っているつもりかも知れませんが、実はかなり詳しいことまで知っているときがあります。

そんなときに人はどう感じるだろうか。
「この人に話してもわからないだろうから、知らないと言っておこう」
と思ったのだな、と受け取られてしまいます。
陰険なイジメとして受け取られてしまいます。

謙虚さは大切ですが、嘘はいけない。

知らないので、「知らない」と言う勇気は自分のために、
知っていたら、「知っている」と言う言葉が相手に対しての親切です。

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