ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

論語と鍼灸 (40) あの鍼灸院はなんで流行っているのだろう

2011-06-14 09:25:06 | 論語と鍼灸
【故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知る、以(も)って師(し)を為(な)すべし】
(むかしのことを学び、それを参考にして、これからなすべきことを理解するなら、師になれます)


最近出版される『論語』では、「温めて」(あたためて)と読ましており、鍋の中でグツグツと煮たぎるイメージをさせているようですが、「たずねて」のほうに慣れている人が多いと思いましたので、「たずねて」にさせて頂きました。

人物の観察法は何度か書きましたが、佐藤 一斎先生は(1772年11月14日- 1859年10月19日、美濃国岩村藩出身の著名な儒学者)、「人と初めてあったときに得た印象によって、その人を判断するのが最も間違いない正確な人物観察法なり」という人物観察をしていたようです。
最初に会ったときにその人をよく観れば、多くは誤らないというわけです。
2~3度会ってから観察すると、いろんな情報が入ってきたり考え過ぎたりして誤りがでやすいわけですね。

最初に会ったときは、理屈や情が混ざらないので、純粋にその人を観ることができるわけです。
例えばその人が外面や言葉を飾り立てていても、本性が観えることがあります。
たいていは眼に現れるのですが、特に初めての人の眼は観るべきです。
やましい心で近づいてきた人は、笑顔を見せていても、眼に曇りがあるものです。

その場合、その人が安心するのは何か、何に満足して暮らしているかなどを観れば、たいていはわかるものです。
その人が隠そうとしても、心が正しくなければ、必ず表情や言葉も正しくないものになるからです。

しかし、それでもわからないときがあります。
そんなときは(経営に関係する人なら)、その人を調べる必要があります。
『六韜』(りくとう)という中国兵法書に「相手が有能かどうかを見抜く8つの方法」があります。

① 質問してみて、どれだけ詳しく知っているかをみる。
② 糾問してみて、どう切り抜けるかをみる。
③ スパイを使って裏切るようにそそのかしてみて、どれだけ誠実かであるかをみる。
④ 目立たないところで、何をしているかを調査してみる。
⑤ お金を管理させてみて、どれだけ清廉であるかをみる。
⑥ 美女に誘惑させてみて、どれだけしっかりしているかをみる。
⑦ 困難なことを言いつけてみて、どれだけ勇敢であるかをみる。
⑧ 美酒を飲ましてみて、酔ったときの態度をみる。

これらを現代に当てはめて考えてみるわけです。


知人や友人の成功や失敗、には興味があると思います。
鍼灸師なら「流行っている鍼灸院」や「つぶれた鍼灸院」には興味があると思います。
そのストーリーを聞きたいはずです。

古典と現代の違いは、200年前の話なのか、2年前の話なかの違いで、人間の心は同じなのです。
ですから、歴史に出てくる難問解決法を学ぶことは、自分が難問にぶつかったときの参考になるわけです。

開業、運営、或いはスタッフの問題。
或いは、成功した秘訣。
問題や疑問のないところはありません。
それらをスムーズに解決するために「故きを温ねる」のです。

7月31日の臨床実践塾では、一穴鍼法の実技と、成功の秘訣「五美」や「枠組み」について話をするつもりです。
お楽しみください。

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論語と鍼灸 (39) 患者さんを観察していると得をします

2011-06-13 10:41:32 | 論語と鍼灸
【其(そ)の以(な)す所(ところ)を視、其(そ)の由(よ)る所(ところ)を観、其(そ)の安(やす)んずる所(ところ)を察(さっ)すれば、人(ひと)いずくんぞ廋(かく)さんや】
(何をしているのか、どうしてそうしているのか、どうするのを楽しんでいるのか、それらを観察すれば、相手のことがよくわかります)


史略に出てくる、「魏の文侯が幕賓の李克に宰相を決める相談をする場面」では、「人物査定」というイメージでしたが、ここでは普段の生活の中で相手のことを知る方法です。

どちらかと言うと、女性のほうが人物観察は上手いものです。
例えば、中学時代の恋愛関係などで、「彼は彼女が好きだ」というのをすぐにも見抜きます。
しかも、瞬間的に見抜くのですから偉いものです。
怖いものです。

相手を観察して得るものは何かということを、福田晃市先生は 『人生に生かす論語』 で、「中国史のエピソード」として以下のように書かれています。
福田先生は大学院で兵法を教えていますので、プロ中のプロで相当レベルの高い専門家ですが、わかり易い書き方で解説してくれます。
そのように「噛み砕いて話せる」人こそがプロ中のプロだと思っています。

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五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)、乞伏乾帰(きつふくけんき)は、後涼軍(こうりょうぐん)に攻められたとき、敵にワナをはめるためにスパイをはなち、「乞伏乾帰は敗走している」というデマを流させました。
後涼軍の呂延(ろえん)は、それを信じて追撃を命じたのですが、このとき、その部下の耿雅(こうが)は言いました。
「この情報を持ってきた者は、ようすがおかしかったですから、きっとワナです」
しかし、呂延は、それを聞かず、敗北してしまいます。

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兵法には「謀略」というのがあり、インテリジェンスを強化します。
則ち、知性・知能・理解力を高めるわけですが、一方では情報活動や諜報活動があるわけです。
現代風に言いますと、情報収集をしたりPR活動をしたりするわけです。

我々は意外なところで思い込みをするものですから、相手の知性・知能・理解力をこちらが知ることで、相手を落とし込むことができます。
例えば、日本人というのは数字に執着がありますので、
「兵法の7番目に謀略というのがあります」
と言うと、「7番目」だけが頭に残り、7番目だけを探そうとします。

しかし事実は、兵法の枠組みに当てはめると「何番目」でもいいのです。

好きな人がいれば、直接ではなく、間接的に「好きだ」ということを伝えることが「謀略」になるわけです。
患者さんを誉めるときも、直接その人を誉めるのではなく、その身内や親戚や友人に「噂」を流したほうが効果的なのです。

ただし、太っている人のことを、「細身でスマートですね」なんて言うと逆効果ですので、誉めたい人がいたら、その人を十分観察した上で、事実だけを誉めることです。

十分観察するポイントは、その人を好きになることです。(^o^)

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論語と鍼灸 (38) 鍼灸師の価値観

2011-06-12 16:04:02 | 論語と鍼灸
【子(し)の曰(たまわ)、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし】
(先生が言いました。学ぶだけで考えようとしない人は学んだことを実行できない。勝手に考えるだけで学ぼうとしない人は道を誤りやすい)

我々鍼灸師は、学校でテクニカル的なことを学び、訓練してきました。
そして学校を卒業して、学校で習ったことだけでは治療ができないことに気付く人も多いようです。

論語の教える「学ぶ」とは、さまざまな価値観に出会うことだといいます。
さまざまな価値観との出会いが人間性を高めてくれるわけです。
解剖生理だけではどうにもなりません。
鍼灸古典だけでも問題があります。
人間は自分と同感の人と接触していきます。
自分と同じ考えを持つ人の本を読み、自分の納得したところだけを覚えます。
言い方を変えれば、固執してしまいがちです。

鍼灸が上達するにつれて「演算」が上手くなります。
自分が学んできたことを考えて組合すことができるからです。
初心者は、断片的な知識が脳にコピーされているだけなので「演算」はできません。
演算ができるようになるには、多くの技術を学び、多くの人と出会うことです。
その学んだ中から、自分で考えて、自分で技術を選んでいくわけです。

自分にバックボーンがなければ価値の判断ができません。
自分バックボーンができると、学校で習った解剖生理も生かすことができます。
知識が連鎖的に繋がってくるわけです。
それが技術の高くなる条件になってきます。

『論語』はバックボーンをつくるのにいいお手本になります。
自分勝手に考えるだけでは、ほんとに「危ない」ことです。
楽しくない人生のことです。

楽しい人生、価値ある人生、価値ある鍼灸師として生きたいので、ブログに『論語』を書いて勉強しています。
今は、鍼灸技術を教えるぐらいになったのですが、どれだけ経験があっても学び足りないところがたくさんあるからです。

そこに鍼灸師としての、人としての価値感があると考えているからです。

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論語と鍼灸 (37) 鍼灸師の人柄を判断する方法

2011-06-11 10:33:00 | 論語と鍼灸
【退(しりぞ)きて其(そ)の私(し)を省(かえり)みるに、亦(ま)た以(も)って発(はっ)するに足(た)る】
(退いて私生活を見ると、これはと思わされるところがあります)


それぞれにいろいろな人生があります。
先日、巨針療法のメールを送ってくれた先生は、加古川の 浜屋鍼灸院さん ですが、
昨日、「ホームページができました」とメールを送ってきた先生もいました。
富山の かない鍼灸院・接骨院 さんというところの先生ですが、お二人ともすごく謙虚な方で、優しい先生です。

人は見かけで得する場合と損する場合があるのですが、この先生方は「得する」タイプです。
お二人ともニコニコしていて、子どもに好かれるタイプだからで、実際の生活でも夫婦で子どもを大切にしています。

今はネットの時代ですので、ネットでいろいろ検索していると、本当の姿が見えません。
その人の、その会社の本当の姿を知るには、私生活や会社の活動を観ることが大切です。
次に、その人が友とする者を見ます。

論語にもいろいろな人物判断法が書かれていますが、私が好きな人物判断法は『史記』にある判断法です。
【魏の文侯が幕賓の李克に宰相を決める相談をするのだが、李候は「文侯自らがお決めになることです、と言いました。
しかし、再度下問されたので、宰相を決めるときの基準としての名言を残しました。

【居ては其の親しむ所を視、富ては其の与うる所を視、達しては其の挙ぐる所を視、窮しては其の為さざる所を視、貧にしては其の取らざる所を視る。】

(第一に、官を引いて家に居るときに、どのような人と付き合っているかを観察する。低俗な連中と付き合っていたなら、その人も低俗であると視る。第二に、金を持ったとき、金を何に使ったかを視るのだが、愛人や書画骨董にうつつを抜かすようなら落第です。第三に高位高官になったとき、どんな人物を挙用したかを視る。第四に、人間落魄すると何にでも飛びつきたくなりプライドを捨ててつまらぬことをやることもあるが、やってはならないことを断固としてやらない信念のある人が大事を為すことができる。第五に、人間万事好調の時は分からぬが、貧乏して困窮したときには不正な金でも懐に入れたくなる。貧して貪せざる人物であるかを視る)

中国古典にはさまざまな事物にヒントを与える語録や条文がいっぱいありますが、この人物判断法からしても、上に紹介しました先生方はバッチリだと思います。
この先生方は、愛人や書画骨董にうつつをぬかしたり、競輪や競馬のような博打に大金を使ったり、困窮したからとて、不正な金に手を出すタイプではありません。
そういう先生方ですので、奥さん方もしっかりしています。


論語では、「退いて私生活を見る」と書きましたが、この先生方のHPでは、「退かなくても」それを伺い知ることができます。
この先生方とのお付き合いも長いのですが、この先生方のHPは「本当の姿」が見えるHPです。

お近くの方々は、治療でなくてもいいですから遊びに行ってみてください。
歓迎してくれるはずです。

この先生方以外にもご紹介したい先生方はたくさんおられますが、追って紹介したいと思います。

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論語と鍼灸 (36) 鍼灸師が君子になるとき

2011-06-10 10:20:55 | 論語と鍼灸
【徳の修(おさ)まらざる、学(がく)の講(こう)ぜざる、義(ぎ)を聞いて徙(うつ)る能(あた)わざる、不善(ふぜん)の改(あらた)むる能(かな)わざる、是(こ)れ吾(わ)が憂(うれ)いなり。」
(徳が修められないこと、学問が教えられないこと、正しいことを聞いてもそちらに向かえないこと、よくないことが改められないこと、これが私の心配事です)

この論語の解釈も本によっていろいろで、注釈本によっては、「これが私の反省することです」となっているのもあります。
しかし、孔子の反省は他にもいろいろありますし、「これが私の心配事です」のほうがしっくりいくと思いましたので、この解釈を載せてみました。

徳とは、「人としてすべきことを常々実行すること」と考えています。
理論的には難しいことではありませんが、日々実行することは難しいものです。
学の講ぜざるとは、教えることができないということですが、これは理論的にも難しいかも知れません。
「子どもは親の言うことを聞くのが当たり前」という時代ではありません。
自分の子どもにすら教えることができない時代になってしまいました。

正しいことを聞いてもそちらに向かえないとは、正義を聞いても他人事のように素通りしてしまうことです。
しかし、今回の東日本大震災での正義なる日本人の対応は、世界から賞賛されています。
これが本来の日本人の姿だと思います。
しかし一方では、不正なことを見ても聞いても、「黙っていたほうが身のためだ」と考えている人は多いのではないでしょうか。
保身に生きる人が多過ぎるのではないでしょうか。


先日、大学の先生から嬉しいメールを頂きました。

『日刊ゲンダイ、5月23日』からの転載でした。
そのまま載せると著作権の問題がありますので、概略だけを書かせて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「オレたちが事故を収束させる!」原発決死隊130人の気概と実力
エンジニア、溶接工、大学教授…と精鋭揃い

 原発事故の終わりが見えない中、60歳以上で構成された「原発決死隊」が、「自分たちリタイア組がやるしかない。60歳過ぎなら年齢的にも被曝(ひばく)の影響が少なくて済む」と、原発決死隊「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」を立ち上げた山田恭暉さん(72)は語ったという。
(山田さんは東大工学部を卒業後、住友金属工業に入社。製鋼、環境、プラント建設などに従事し、退社後は超小型水力発電も手がけ、原子力についての知識もある一流のエンジニア)

 4月上旬から、60歳以上で『行動隊』を募りはじめたら、大学教授、大型クレーン運転手、元溶接工、とび職、さらに、福島原発の建屋の建設に携わった人など、さまざまな技術者らが134人集まっている。

 山田さんは4月6~8日にかけ、友人や元同僚などに、「退役者たちが力を振り絞って、次の世代に負の遺産を残さないために働くことができるのではないでしょうか」という内容のメール500通と手紙2000通を送ったという。

さらに山田さんは、「いまの縦割り行政のなかでは難しい点もありますが、国家プロジェクトにするにあたり法律やものの考え方を詰めているところです。単なるボランティアではなく、国がサポートはするが政権から離れ、かつ赤十字よりもっと強固な指揮命令系統があるチームにしたい。もちろん、東電とは連携はあっても独立したチームです。東電のためでなく、事故収束のために動いていますから」という内容のことを話したという。

そして記者は最後にこう締めくくっている。

震災を自分の延命に利用することしか考えていない菅首相は、少しは爪の垢を煎じて飲んだらどうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう気概から学びたいものです。
孔子はこういう情熱のある人を育てたかったようです。
「貴人(あてびと)是れを学び、亦た君子ならずや」と論語調で言いたい気分です。

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論語と鍼灸 (35) 何から学び始めるといいのか

2011-06-09 09:06:52 | 論語と鍼灸
【詩(し)に興(おこ)り、礼に立ち、楽に成(な)る】
(詩を学ぶならば正しい心が自然に起こり、礼を学ぶならばその心が動かされないようになり、楽に学ぶならば純粋至善の地位に到達する)

学ぶには順序があります。
最初は入りやすいところから入って、序々に進んでいくのが望ましいと思います。
例えば、知らない分野を学ぶときは、「まんがで解説されて本」などは入りやすいものです。
そこでもう少し詳しく学びたいと思ったら、もう少し詳しい本を手に取るといいわけです。

私は自省のために論語をブログに書いています。
『論語』は難しいものではなく、子どもから老人まで親しむことができるものです。
今は多くの解説書が出ていますので、書店で手に取って、親しみやすいと思われるものから読んでいくといいと思います。

文学者が書いたものは、威厳の問題でそれなりに難しい表現になっていますが、内容に変りはありませんので、読みやすい本から読むほうがいいと思います。


【子曰(しいわ)く、道は人に遠からず】
(孔子は言われました。正しい道は人から遠いところにあるものではない、普段の生活の中の身近なところにあるのです)

いくら大金持ちになっても、楽しい人生でなければ人間として成功とは言えないと思います。
幸せになるためには、「人間力」を身に着けるほうがいいと言うわけです。
「人間力」とは、「知」(知識・見識・胆識)を身に着けて、人間力を学ぶための資格を持つ人です。
その資格のある人を「仁者」(じんしゃ)と呼びます。
則ち、「信念」のある人、「思いやり」のある人が「知」を身に着ける資格になり、それを実行できるのが人間力となるわけです。


鍼灸の世界でも同じです。
私も長年鍼灸のテクニカル的なことを勉強し、実践してきました。
しかし、ここに来て、鍼灸技術も「人間力」がなければ上達しないということがわかってきたのです。
少し技術が進歩したからといって、自己中心的な世界から抜け出せないような人は、人生を楽しむことはできません。

物心両面で自分自身が感動し、それを追い求め、それが社会にも役立つことであることを孔子も理想としていたようです。
則ち、自分自身の利益や、自分の所属するモノの(鍼灸師会等)利益のために学ぶのを、孔子は「小人」と呼んだわけです。

今は、多くの業界で淘汰が起っています。
鍼灸斯界も同じです。
淘汰の時代が過ぎたときに残っている人間像は見えています。

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論語と鍼灸 (34)  鍼灸の秘伝は誰に教えればいいのか

2011-06-08 10:51:01 | 論語と鍼灸
【憤(ふん)せざれば啓(けい)せず、悱(ひ)せざれば発(はっ)せず、一隅(いちぐう)を以(も)って反(かえ)さざれば、則(すなわ)ち復(ふた)たびせず】
(わかりたいけどわからない、ともどかしく感じてないなら教えてあげられません。言いたいけど言い方がわからない、とむずむずしてないなら言ってあげられません。一つ教えたら、三倍の質問や疑問を返してくるようでなければ二度と教えてあげません)

「憤」は、「鬱憤(うっぷん)が溜まる」と言うときのように、外へ出さないで心の中で押えている状態。「啓」は、申し上げる。「悱」は、言葉でうまく説明できない状態。一隅は、一つの考え方。


「犬に念仏猫に経」という諺があります。
理解できない人に何を言っても意味がない、という意味ですが、教えを請う姿勢のない人や、聞く気のない人に教えてもあげても値打ちがありません。

鍼灸は嫌だ、という人に鍼灸をすべきではありません。
その人にニーズがあるどうかの話です。
お腹が空いてから食事をする、少々不味いものでも美味しくいただけます。
「不味い、不味い」と言う人はお腹が空いてないので、先にお腹を空かせてあげたらいいのです。
教えるというものはそういうもので、本人が欲していなければ、こちらがいくら説明しても相手の身に着きません。


ミクロ経済学という科目で、「身びいきバイアス」というのがあります。
(マクロ経済学ではなくミクロ経済学です)

人は自分に有利な情報を選択し、不利な情報を選択しない傾向がある。
①患者さんが少ないのは景気が悪いからだ。
②鍼灸師会の方針がはっきりしないから我が鍼灸院の売り上げが伸びないのだ。
③患者さんは移り気だから、やりにくい。
と考える人がいたとします。

そうすると、その人は「自分の問題点を認識できず」に成長できなくなります。
①患者さんが少ないのを、どのように増やすかが仕事です。
②鍼灸師会の方針ではなく、個人の鍼灸院の方針が間違っているかも知れません。
③気移りにさせた原因が自分にある場合が多いのです。

それを解決する方法は、「耳の痛い話に耳を傾ける」ことが重要になります。
則ち、人は、いい情報に耳を貸す傾向があるのですが、自分にとっての「いい情報」というのは、案外「自分の都合のよいこと」と錯覚している場合があるというわけです。
それを「身びいきバイアス」というわけです。

これは情報提供者の問題でもあります。

教えようとしていることが、その人にとって「いい情報である」と感じたら聞いてくれるのですが、そうでないと思ったら耳を貸してくれないわけです。
そうすると、同じ情報でも、いい情報に変えて提供してあげれば耳を貸してくれるわけです。
もう一つの解決方法があります。
わかりたいけどわからない、ともどかしく感じているような人を探して提供してあげればいいわけです。

ある程度の年齢になれば、「誰に教えようか」と考えるものです。
遺産相続をどのようにするかと考えるのと一緒です。
最近の臨床実践塾では、秘伝公開が増えてきましたが、サーッと流して、質問がなければ繰り返して説明をすることはありません。

質問がないということは、以下のいずれかになるからです。
①理解している
②いい情報として受け取ってない
③質問のしかたがわからない


①と②の場合は説明の必要がないわけです。
③の場合は「親睦会」に参加して質問をしてくれたらいいと考えています。
いずれにしても、学ぶ姿勢のある人は学べるものです。
学ぶ姿勢は以心伝心でもわかります。

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論語と鍼灸 (33)  鍼灸の道:学びて時に之を思う、亦た説ばしからずや。

2011-06-07 16:40:45 | 論語と鍼灸
【日(ひ)に其(そ)の亡(な)き所(ところ)を知り、月(つき】に其の能(よ)くする所を忘(わす)れなきは、学(がく)を好むと謂(い)うべきのみ】
(毎日のように足りないところを自覚し、毎月のように上達したところを確認するなら、まずは学問を好んでいると言えます)


これを、きょうの論語に書こうと準備をしていましたら、この論語にピッタリのメールが届きましたので、ご許可を頂いて掲載させてもらうことになりました。

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先生のブログを読んで、とても勉強になります。
私には、君子は程遠いようです(-_-;)

お蔭さまで、巨針を使うのに少し自身がついてきました。
ありがとうございます。

この間、『腰痛』が主訴の方が来られました。
8年間毎日精神安定剤とアレルギーの薬を飲まれている方でした。
案の定、脊椎が右曲がりでした。(かなり、キツイ状態でした)

1、2回は経絡治療で様子を診たのですが、なかなか戻る気配がないので、
巨針を右膈兪から次髎、左脾兪から次髎まで透刺しました。

結果、3回目に来られた時には、すこぶる調子がいいとのことでした。
さらに、手にアレルギー性の湿疹みたいなのが出来ていたのが、出なくなったと喜びの声を頂きました。

たぶん、薬疹だと思うのですが・・・
出ていた部位は、拇指と示指(肺大腸経)の井穴付近と、心包経の労宮付近でした。
七星論で考えると、納得のいくことばかりです。

巨針の練習を自分の脚でしている時は、正直嫌になることもありましたが、このように結果がでると、嬉しくなります。(やってて良かったと。)

私は思うのですが、何にしても『成功するか、しないか』では無く、『やるか、やらないか』だと思います。

そして、『あきらめない』ことだと思います。

なんでも、『山あり、谷あり』ですが、先ずは自分を信じて行けばいいと思います。

長々と書いて申し訳ありません。
つい、嬉しくなったのでメールさせて頂きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私までモチベーションがかかってしまいました。(^o^)

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論語と鍼灸 (32) 鍼灸技術の差はどこからくるのか

2011-06-06 11:02:31 | 論語と鍼灸
【性(せい)は相(あ)い近(ちか)し、習(なら)えば相(あ)い遠(とお)ざかる】
(人間の性は似たりよったりですが、学ぶことで差が出てきます)

学者の息子が学者になるとは限らないものです。
総理大臣の息子が総理大臣になるとは限らないものです。
鍼灸の大先生の息子が鍼灸の大先生になるとは限らないものです。

鍼灸学校に入ってくるときは、そんなに差があるものではありません。
誰が開業しても、お客さんの目からは同じ鍼灸院に見えるはずです。
鍼灸院というひとくくりで見られるからです。

しかし、時間とともに患者さんの数や売り上げに差がでてきます。


【子(し)の曰(たま)わく、教えありて類(るい)なし】
(先生が言いました。教育が全てであって、生まれつきのものではない)

どれもこれも耳の痛い話ばかりですが、教育の重要性が説かれた論語を並べてみました。
人間に上下はなく、教育の仕方や勉強の仕方で未来が変るというわけです。
親にとって子どもは大きな希望ですが、悩みの種になるときもあります。
親が子どもの教育にかける情熱は年々加熱していきます。

日本はまだマシです。
テレビで見るように韓国や中国はすごいものです。
韓国や中国の子どもたちが可哀想と思うときもあります。

ただ、勉強は「させられている」と考える人と、「やっている」と考える人がいます。

「やっている」とおもしろくなってきます。
わからないところを調べて、わかったときの喜びは大きいものです。
それを覚えると、もっと勉強したくなります。
それが実学になってきます。


人間学を学ぶ雑誌『致知』の6月号に、松下電器の副社長に就任したあと、WOWOWの社長、その後会長、現在WOWOW相談役をされている佐久間二氏が、松下幸之助氏と語る場面が掲載されています。

ある時、松下幸之助さんが、新聞広告に出ていた某ミシンメーカーが、消費者が購入したいミシンを積み立てて販売する「予約販売制度」を取っていることがわかり、その調査を命じられ、調査の後報告書を上司に渡しましたら、幸之助さんから直接説明に来るようにと言われました。

佐久間さんは、一通りの報告をした後、「やるべきではありませ」と結論を述べたそうです。
すると、幸之助さんはじっと話を聞いたあと、「君はそれ、自分で確かめたんか?」と言われたそうです。

調査会社や部下にやらせたのではなく、自分の目と耳と足で確かめたのかという意味だったらしいのですが、佐久間さんが「全部自分で確認しております」と答えたそうです。
その場面の詳細まで書くと『致知』の著作権に触れるかも知れないので、ここらで止めますが、佐久間さんの「やるべきではありません」と言い切るところや、幸之助さんが「君はそれ、自分で確かめたんか?」というところは、真に迫ります。


鍼灸の世界は、自分で確認しなくても「古典に書かれている」と言えばまかり通ることが多いものです。
これでは実学にならないと思うのです。
他人の知恵を借りたに過ぎないと思うのです。
自分の目と耳と足で確かめたのでないと、空論に近づいてしまうと思うのです。

私は古典に書かれた内容を確認するために20余年の歳月を要して『人体惑星試論奥義書』という本にまとめました。
文才や編集能力がないことと、最終原稿を提出するときにとんでもないミスをしたせいで、誤植や脱字を多く出してしまいましたが、内容が変ることはなく、自分の目や耳や感触、及び患者さんの変化を「客観的に観ることができ、かつ再現できる方法」を書き留めたつもりです。

孔子は、人間の性は似たりよったりですが、学ぶことで差が出てくると言っています。

学ぶことで自分を変えることができます。
学ぶとは、自分の目と耳と足で確かめることだと考えています。

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論語と鍼灸 (31) 鍼灸師として学びたいこと

2011-06-05 09:13:06 | 論語と鍼灸
【生まれながらにして之(これ)を知る者は上(じょう)なり。学びて之(これ)を知る者は次(つぎ)なり。困(くる)しんで之(これ)を学ぶ者は其(そ)の次(つぎ)なり。困(くる)しんで学ばざるは、民(たみ)の斯(こ)れ下(げ)と為(な)る】
(生まれながらにして道理を知っている人は、最上位にあります。学んで道理知る人は、その次に位置します。痛い目にあって初めて道理を学ぶ人は、その次のランクです。痛い目にあっても道理を学ばない人は、人民の中でも最低に位置します)


孔子は、「私も学んでこれを知ったのだから、私は“上”ではありません。一緒に学びましょう」と言ったようです。
孔子様の謙虚さは凄いですよねー。

とりわけ私の場合は、「苦しんでこれを学ぶ」に入るので、その次の次辺りです。
孔子の「私も学んでこれを知った」という言葉を知ったときに、私は「次の次である」と言いやすくなりました。
孔子のそのお言葉を聞くまでは、道理や倫理を知っているつもりでしたので、「自分自身をABCDでランク分けしなさい」と言われたら、「Bです」と答えていたかも知れません。

道理を学び始めて感じたことですが、そこの世界に身を置くことは安心と広さを感じることです。
小さなことにいちいち気をかけないようになった気がします。
ほんとうに大切なことが見えてきたような気がします。

私はこれまで鍼灸の技術だけを頼りに生きてきた気がします。
しかし、去年から、治療技術の高い人を思い出しながら、治療技術の巧拙はどこからくるかを考えてきました。
そして、ようやく技術向上への起点が見えてきた気がします。
この「起点」を、臨床実践塾で皆さんと一緒に学ぶことにしました。

このブログに書いている論語は、私のこれまでの反省を込めて書いているのですが、それでも多くの方々からお礼のメールを頂きます。
(臨床実践塾では論語ではなく、「起点を交えて、鍼灸上達のポイント」を話しています)

何を学ぶか、何を信じるかは、各々違うと思います。
しかし、鍼灸師ならこの世界に来たほうがいいと考えています。
「人間学」則ち、いかに生きるかを学ぶことが、鍼灸技術の向上につながるからです。

人間である以上、失敗はつきものです。
失敗をしない対策は知識や見識を高めることです。
【困しんで学ばざるは、民の斯れ下と為る】
にはなりたくないものです。

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