田中和人 作陶展
画・江嵜 健一郎
第24回 木器(こうづき)窯 田中和人 作陶展が阪急うめだ本店7階美術画廊で3月30日(水)~4月5日(火)開かれており楽しみに出かけた。穏やかな物腰で出迎えてくれた。椅子に座っている田中さんを入れて会場の様子をスケッチした。
当欄でも田中和人展は紹介しているが、食器であれお皿であれ思わず手に取って見たくなる温もりを田中作品にいつも感じる。
恥ずかしながら小物しか買えないが何事も出会いがある。この日は器の色にほれた。目と目が合って、水色が器の表面を走る一輪差しに思わず手が伸びた次第である。
田中さんは1945年、中国漢口の生まれ、1964年、伊勢市の奥田康博氏に師事,三田市木器(こうづき)で独立、今日に至る。
たまたま母校甲陽学院のさる会合で30数年前に出会って以来だから結構長くお付き合いいただいている。木器窯にも複数回寄せていただいている。
この日は三田に住んでいて急逝した同窓のAさんと木器窯を二人で尋ねた時の話になった。偶然だが3人いた同窓が三田住まいだった。3人が申し合わせたようにほぼ年を置かずに鬼籍に移ってしまった。
いつも作品展に同道される奥様と三田は阪神間と温度で5~6度は違うと言う話になった。会場にスノウドロップがいけてあったので伺ったら三田ではまだですということだった。桜も少し先になりそうだと話された。
田中さんに「三田は今や大都市でしょう」と水を向けた。いやいや人口も増えない。ここ20,30年変わらないという意外な返事だった。
当方は多少絵心はあると自画自賛しているが、所詮はしがないサラリーマン出に過ぎない。田中さんは2年おきに24回、しかも大阪の表玄関の梅田阪急で個展を開かれる。頭が下がりますと申し上げた次第である。
俗にいう「マンボウ」が解除された。ぽかぽか陽気も幸いして平日のお昼過ぎの時間帯だったが、そこそこの人が店を訪れていた。今年は、早々からコロナにウクライナがかぶさる不運に見舞われた。せめてコロナだけでも一日も早く収まってほしいと祈るばかりである。(了)